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12アノマレコード:004-D(秋葉原特区存在抹消・重力質量災害記録/貪欲は灰塵に帰す①
「──警告! 警告! 特異震度7(クラス・マキシマム)を感知! ターゲット周辺の現実性濃度(ヒューム値)、測定不能なレベルまで完全消失(ゼロ・ドロップ)しました! 物理法則の維持、不可能です!」
地下数百メートルのエンブリオ作戦本部。冷徹な空調の作動音を完全に掻き消し、血の混じった絶叫がオペレーションルームを支配していた。
壁一面のメインモニターには、数秒前まで「オタクの聖地」であった秋葉原中央通りの、世の終わりめいた光景が映し出されている。
「認知汚染、防壁を貫通! 視覚隔離フィルターが物理的に焼き切れました! 第二・第四オペレーション室のスタッフ計18名、精神汚染ステージ5(クラス・オメガ)へ移行! 『赤ん坊が呼んでいる』と叫びながら、自身の肋骨を素手で引き抜ようとしています! 直ちに脳死隔離(キル・スイッチ)を実行してください!」
「だめだ、自動システムが作動しない! ハザードが電子回路の『0と1』の概念すら食い破っている! 早く……早く空間を遮断しろ!!」
「エンブリオ地上固定重魔力砲、全軸ロック完了!」
「第1から第8エネルギー伝導管、充填率120%突破!」
管制室のオペレーターたちが、ミリタリー独特の冷徹な高速詠唱でコンソールを叩きつける。
「対竜魔力解放! 一斉射撃用意!!」
前線指揮官の怒号が響く。ターゲットは眼前の肉塊。
「っテ──ッッッ!!!!」
激震。防爆ガラスの向こうで、大気を融解させるほどの魔力弾頭が、光の槍となって堕竜の巨躯へと撃ち込まれた。
「直撃──!!」
歓声が上がる、その寸前。
「──魔法弾、駄目です! 全く効果がありません! 弾頭質量、熱量ともに中和......いえ、完全に無効化されています!」
「バカな、また熱線浸透率ゼロだと!? この個体も概念装甲で弾かれているのか!?」
血の気の引いたオペレーターの悲鳴が重なる。通常の戦術データでは一切太刀打ちできない、完全なイレギュラー。
モニターを見上げる宗像司令官は、くたびれたグレーのスーツのポケットに手を突っ込んだまま、ただ一本のタバコに火をつけた。
「......こいつは異常個体だな」
気だるそうで、それでいてすべてを諦めたような冷静な一言が、静かに室内に落ちる。
デスクの上には、彼が職権乱用で作成した「エンブリオ・キャストグラビア写真集」の校正紙。直忠のタイトニットワンピース姿のページに、彼は爪で小さくチェックを入れながら、死人のように冷たい声でマイクを叩いた。
「うるさいよ。人類が数人狂ったところで、明日の天気は変わらないの。予定通りバックアップ魔法の術式を待機。世界を巻き戻す準備だけしておきなさい。……ほら、オペレーター。ぐずぐずせずに、あの不愉快な『お出迎え』のカウントを始めなさい」
「は、はい! 空間の位相接続、マイナス11次元で固定! ──『堕竜、地上への出現まで十、九、八──』」
カウントダウンの数字が刻まれるたび、秋葉原の空が「物理的に」引き裂かれていった。それは雲が切れるような生易しいものではない。まるで、巨大な肉食獣が腐った生魚の腹をハサミで内側から切り開いたかのように、ドロリとした黒紫色の裂け目が虚空に現れる。
裂け目から溢れ出たのは、光を拒絶する絶対的な陰影だ。現世に這い出してきたのは、無数の、本当に何万、何百万という、皮膚のただれた赤ん坊の顔面がアメーバのようにドロドロに凝固した「泥の塔」──概念災害指定個体『堕竜(名もなき死体)』。
顔面たちは互いの肉を品下りなく咀嚼し合い、歯のない口から乳児の泣き声に似た超低周波を撒き散らしながら、天へと向かって自らの肉を増殖させていく。
「──四、三、二、一……出現(インパクト)!!」
ズズズズズズズズウゥゥゥゥン!!!!
秋葉原全域に、人間の鼓膜を物理的に破裂させ、眼球の毛細血管をすべて一瞬で叩き割るレベルの地鳴りが轟いた。
怪獣災害(メガスケール)の圧倒的な質量が、空間そのものを圧砕する。万世橋は自重に耐えかねてコンクリートの粉塵へと爆ぜ飛び、神田川の水は一滴残らず沸騰して天空へと逆流した。中央通りのビル群は、まるで水に濡らした段ボール箱のようにグニャグニャに歪み、自壊していく。
それだけではない。堕竜の存在そのものが放つ「アンティ・ミーム(存在消滅)」のルールハザードが、秋葉原という土地の歴史、記憶、概念そのものを削岩機のように激しく削り取っていく。自動販売機が「最初から存在しなかったこと」になり、文字が消え、概念が消え、世界が急速に、底の抜けた「白い虚無」へと塗り潰されていった。
「ガ、ハッ……オ、オロロロロロロロロロロロッッッ!!!!」
その破滅の秒読みの中心。陥没し、めくれ上がったアスファルトの地獄の真ん中で、直忠の五体が、あり得ない角度でのけ反っていた。
「あ、あ、ガ、頭が……脳みそが、内側から削岩機でゴリゴリ削られてる……ッ!! ギギ、ギギギギギッ!」
ただの人間でありながら、アルファドラゴンたちへの精神的・概念的ルールハザードを、その身に強制的にバイパス(肩代わり)して盾となる特異体質。
ガガガガガガガガガガガガガガガガッッッ!!!
目に見えない不可視のルールハザードの爪が、直忠の脳髄に直接突き立てられる。
「よし、システム、全知のログ──『アノマレコード (Anomarecord)』へのアクセスを強制承認。これより、堕竜の因果エラーを強制記述する」
管制室のすべてのモニターが、一瞬で冷徹なバグノイズで埋め尽くされ、真っ赤な警告文字(アラート)が血の涙のように一斉に点滅を始めた。
エンブリオが堕竜対策のために最高機密として管理・運用している全知のデータベース『アノマレコード』。
それは、現世のバグを観測し、記録し、その不条理なルールを逆手に取るための冷徹なお役所仕事の結実だった。
「駄目です! 認識災害の侵入を阻止できません! 第4隔壁まで消滅!」
「【器】である真宵直忠のバイタル急低下! 精神衝撃、精神活動限界数値を突破! このままでは直忠の魂が自己崩壊(ロスト)します!!」
オペレーターたちの悲鳴が響く中、画面上に冷酷な機械文字が猛スピードで走る。
【アノマレコード 認識ログ:004-B】【対象識別:堕竜『名無しの骸』】【固有属性:反ミーム・存在剥奪──巨大な腐った赤ん坊の顔が凝固した「泥の塔」を形成。対象に接触、またはその認識災害領域に侵入した生命体は、現世のあらゆる人間の記憶および因果律の登録から、リアルタイムで抹消・不可逆的エポケー(存在消去)される規則性を検出】【警告:現在、赤竜レッドフードの記憶領域より、固有因果『直忠』のデータが毎秒14%の速度で剥離中】
【エラー:対象(ミハイル)の精神に極度なバグ(狂愛/ラット)が発生。最大物理質量による秋葉原全域の『自滅的粉砕プロトコル』が緊急起動】
【緊急事態:個体名『直忠』、精神体にて『名無しの骸』の全存在剥奪負荷をインターセプト。
──肉体(Vessel)へのフィードバック発生。胃壁反転、内臓剪断。バイタル生命維持限界(デスライン)まで残り42秒。中和プロトコルの記述を開始します──】
ミハイルたちアルファが受けるはずだった「存在消滅」の激痛と恐怖が、すべて直忠の貧弱な人間の神経系へと逆流してくる。
細胞の一つ一つが、生きたままミキサーにかけられるような、乾いた絶対的な苦痛。
だが、直忠の『器』はどれほど破壊されても、ハザードを現世に逃がすことを許さない。すべてを自分の肉体へと強引に繋ぎ止め、人間の泥臭い排泄行為によって中和する。
「ぶふっ、ゲボォォォォォォッ! カハッ、オロロロッ!」
直忠の口から、人間の胃液と、千切れた内臓の破片を極限までドロドロに煮詰め、さらに肥溜めのヘドロを混ぜ合わせたような、悍ましい「内臓フレーバーの精神的ヘドロ」が大量に噴出された。
鼻から、目から、耳から、赤黒いどす黒い血と汚物が間欠泉のように噴き出す。
骨が自重と重力の歪みでミシミシ、バキバキと音を立てて折れ、皮膚の隙間から肉芽が泡を吹いて弾け飛ぶ。世界はエンブリオの魔法で「再生」されるが、直忠の肉体に蓄積されるこの精神損耗だけは、何一つリセットされず、ただ純粋な「激痛の借金」として肉体に刻み込まれていく。但し、直忠は特異体質故に完治ロールバックまでに約1日は掛かる。
「はぁ、はぁ……っ! クソが、痛え……痛えよ、クソがぁ!! まだだ、もっと寄こせ、全部俺に流し込めッ! アルファの野郎どもに、指一本触れさせんじゃねえよォォォッ!!」
直忠は白目を剥き、恐怖と激痛で失禁し、全身の筋肉をボロ雑巾のように痙攣させながらも、迫り来る概念の毒をすべてその身に縛り付けた。
その結果、堕竜の「無敵の不条理」は、強引にこの世界の「物理的に殴れるただの巨大な肉塊」へと引きずり下ろした。
「ターゲットのルールハザード、直忠個体によるバイパス・中和率94%を維持! 堕竜、現世における物理的実体化の固定を確認しました!」
地下の作戦室で、自身の鼓膜が破れて耳から血を流すオペレーターが叫ぶ。
宗像は静かに、写真集の「直忠のブルマ姿」のページをめくった。
「よし、狂犬を檻から出しなさい。街ひとつ消えても、再生魔法の予算(ポッド)内で収まるさ。壊して、直して、それが我々の仕事だ」
「了解! 特対アルファ、空間転移による超高高度投下プロセス、最終シークエンスへ移行! ──『レッドフード号の出撃まであと十、九、八──』」
秋葉原の上空、高度一万メートルの大気が、巨大な「黒い穴」として陥没した。
そこから、世界の引力そのものをねじ曲げ、周囲の雲を渦巻状に吸い込みながら、超巨大な真紅の質量兵器──赤き竜のアルファ、【コードネーム:レッドフード】が、現世へと超音速で墜落を開始した。
「──三、二、一……極点突入(グラビティ・インパクト)──!!」
ドッゴォォォォォォォォォォォォォォォンッッッッ!!!!
激突。いや、それはもはや隕石衝突(メテオ・ストライク)を越えた、地殻の陥没だった。
【レッドフード】の巨体が秋葉原の中央通りに激突した瞬間、地殻そのものが数百メートルにわたって跳ね上がり、衝撃波だけで周囲のビルが文字通りの微粒子へと昇華、消滅した。怪獣サイズたる大怪獣の全質量が、秋葉原という街を瞬時に巨大な円形クレーターへと変貌させる。
『ル、ガァァァァァァァァァァァァァッッ!?』
真紅の巨躯、全身の鱗の隙間から溢れ出るのは、空間を歪めるほどの圧倒的な熱量。
何より、足元で血の海に沈む直忠の、限界突破したオメガフェロモンを感知したことによる「狂愛(ラット・フェノメノン)」の熱病が、【レッドフード】の脳髄を完全に焼き切っていた。目が血走る。理性が消滅する。
「あいつの……あいつ……?? 誰、だ……クッ、記憶が混濁して……ッ! その汚い顔で、見つめるな、触れるな、消そうとするなァァァッ!!」
【レッドフード】の眼輪筋が引き裂けんばかりに開かれ、その固有属性攻撃──『万象圧縮の紅蓮質量(グラビティ・フレア)』が全開で発動した。
彼の周囲の空間が、超高熱の紅蓮の焔と共に「漆黒の重力球体」へと強制圧縮されていく。
あまりの超重力に、光すらもねじ曲がって黒い影となり、周囲のあらゆる廃墟の残骸、押し潰されたビルの数万トンの鉄骨が、すべて【レッドフード】の背後にブラックホールのように集束していく。空間そのものが自重でミシミシと悲鳴を上げる。
『──お前が存在していた事実ごと、塵も残さず灰になれェェェッ!!』
ゴアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!
【レッドフード】の放った紅蓮の超重力波が、実体化させられた堕竜(名もなき死体)の泥の塔へと直撃した。
数百万トンの肉塊と、絶叫する赤ん坊の顔面が、超高熱でドロドロの液体へと溶け落ちながら、同時に超重力によって極小の原子レベルへと圧搾されていく。
肉が焼け焦げて油が爆ぜる悍ましい悪臭と、骨がガラスのように粉砕されて擦り切れる乾いた不条理な音が、秋葉原のクレーターの底に地獄の交響曲のように響き渡る。
「ギ、エ、ゲ、ア、アァァァァァァァァッ……ッッ!!」
堕竜が悲鳴を上げる間もなく、その概念生命体としての全存在が、【レッドフード】の圧倒的な「物理質量」と「属性の焔」によって、文字通りの肉泥(スラリー)へと叩き潰され、因果の彼方へと消滅していった。
「ターゲット、完全に消滅。概念消滅ハザードの霧散を確認しました。……エンブリオ、バックアップ魔法、最大出力で起動。世界の再構築を開始します」
オペレーターの魂の抜けたような声が響く中、秋葉原の街並みが、まるでフィルムを逆再生するように、急速に元の「賑やかな電気街」へと巻き戻っていく。
砕けたコンクリートが組み上がり、万世橋が繋がり、消えた人々が何事もなかったかのように歩行者天国に現れ、スマホの画面を見つめる。誰も、世界が一度滅びかけたことなど知らない。
しかし。
「……は、はぁ……っ、ゲホッ、ごふっ……」
再構築された歩行者天国の、きらびやかなアニメショップの路地裏で。
直忠だけは、全身の骨がバキバキに折れ、内臓の形が変わり、口から内臓フレーバーのヘドロを流したまま、血の海に倒れ伏していた。
世界がいくら綺麗に修復されようとも、彼の『器』が肩代わりしたダメージだけは、彼一人の精神に残留し、ドス黒く澱んでいる。
完治までの約1日をこの状態で耐え抜かねばならない。
その様子を、地下のモニター越しに冷ややかに、しかしどこか満足そうに見つめながら、宗像司令官は手元の端末にアクセスし、冷徹にログを更新していく。
『【Anomarecord:004-B 完了】
秋葉原セクションにおける概念個体「名もなき死体」の処理は成功。
特対個体「レッドフード」の狂愛(ラット)同調率は規定値を15%超過。空間破壊規模は想定内。
なお、「器(直忠)」の肉体累積損耗率は現在78%。次アークまでの生存可能性、極めて危うし。
……まあ、死んだら死んだで、新しい器を育てればいいだけの話かも知れない。
だが、オーパーツであるアノマレコードと共鳴し、ドラゴン達と魂の繋がりを持つ奇跡の、直忠という特殊な【器】の代替品が見付かるとは到底思えなかった。
それはそうと、今回の事件のご褒美として、次はあのオメガの筋肉ダルマちゃんを南の島へ連れて行こう。たまには休暇も必要だよね』
宗像は誰にともなくウインクして、フッと鼻で笑うと、画面を消し、再び自分のハレンチなグラビア本へと目を戻した。
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