31 / 66

15孤独に捧ぐララバイ②

「俺はテオドア。よろしくね」  そう言って、挨拶の握手をするでもなく、肩を組んでいた手のひらがするすると俺の腰へと滑り落ち──更には、黒レースに包まれたムチムチの尻の肉へと、恐ろしいほど自然な指使いで侵入してきた。あまりの流れるようなセクハラ行為に言葉を失っていると、長い指先が尻の割れ目に沿って、つ……と、いやらしく撫で上げられる。  流石にムカついたので、テオドアの脇腹の肉を思い切りつねってやった。だが、テオドアは痛がる素振りすら見せず、涼しい顔のまま、まるで出来の悪い教科書を読み上げるように一つの「問題」を提出してきた。 「俺達コル・ドラコが、どうしてスキンを必要としないか、その生物学的な理由を知っているかい?」 「は……? 何それ」  首を捻っても、モルガナを引きこもりながら成績上位に入る俺の脳ミソからは答えなんて出てこない。 「……分かりませーん。ギブ」 「出来ないんだよ。子供がね。俺たちの種子じゃ、受胎しない。そもそもが出すのが無理に近い」 「──な、え?」  それを聞いた瞬間、俺の声がわずかに上擦った。さっきの医者の言葉が、冷たい外科手術のメスのように脳裏をかすめる。 「おっと──勘違いは駄目だよ? 別に俺たちが『種無し』って訳じゃあない。俺たちは『普通のアルファじゃない』。神話の残骸を不条理にリライトされた竜となるレガリア一族だから、オメガの脆弱な受容体じゃその重圧を受け止められないんだ。魔人のアルファなら、人間のオメガを受胎させることは可能だけどね。そうやって魔人には過去アルファしか存在しなかったけど、今じゃハーフの魔人のベータなんかが出てきた。次世代を残せない俺たちに、それでもエンブリオの上がオメガを定期的にあてがう理由はね──天文学的な確率の『奇跡』が起こったら儲けもの、っていう程度の、ただの実験さ。因みに、俺たちには普通のオメガの発情(ヒート)フェロモンは1ミリも効かない。それと、俺はオメガを鳴かすのが好きだからやってるけど、快楽もそこまで感じない。イケたらもっと楽しいんだろうけど、まあ、ただ僅かばかりの快楽と愉しいからヤッてるだけ。これ、この地獄で生き残るための豆知識ね」  ──その、はずだった。 (……だけど、おかしいな。何なんだ、このゴリラ君から香る、脳の髄を直接ハッキングしてくるような良い匂いは?)  ──テオドアは、自分の額の裏側で、まだ開眼していない『第三の目』が、直忠のフェロモンを吸い上げてピクリと狂いそうに脈打ったことに気づき、軽く首を傾げた。  ──まあ、そんなバグは一先ずおいておくとして、と彼は直忠の顔を覗き込んだ。 「──ってなことでさ」 「ひゃうっ!?」  いきなり、鋭い竜牙で耳朶を軽く噛まれ、俺のシックスパックの肉体がびくんと跳ねる。テオドアの手は、すでに容赦なくシャツの隙間から滑り込み、宗像のおっちゃんが押し付けてきた黒レースブラを押し退けて、俺の血の通ったムチムチの胸板を強引に揉みしだいていた。何て手の早さだ。俺でなきゃ見逃しちゃうね、じゃねえよ。 「1発しない? 僕君。今ここで、医者のデスクの上でさ」 「ん~。したいけどぉ。俺、まだ次の予定が残ってるからなぁ」 「そんなの、システムごと抜けちゃいなよ」  耳元で、ジャッカルの甘い吐息と共に囁かれ、全身の骨がドロドロに融解しそうになる。 「もう駄目! おっぱいも尻も揉むの禁止! こっちは忙しーんだよ! ヤるならまた今度な!」 「そう? 残念だな。わかったよ」  引き際だけは爽やかに微笑みながら、テオドアは俺の首筋に、濡れた舌をねっとりと走らせてきた。ちゅう、と音を立てて強く吸い上げられ、俺の喉から「んっ……」と、情けない声が漏れてしまう。キスマーク、確実に赤色の恥辱の痕が刻まれた。 「あれ、直忠──」  その時、廊下の向こうから、空間の酸素をすべて燃やし尽くすような、ただならぬ圧迫感を孕んだ声が響いた。顔を向けると、そこには『強欲』の漆黒の竜──ナハトが、まるで自分の世界の中心を何者かに強奪されたかのような、凄惨で、狂気に満ちた「脳破壊(ラット化)」全開の様相で、此方へ猛烈な勢いで駆け寄ってくる姿があった。  床のタイルを爪で引っ掻くような、凄惨な足音が近づいたかと思うと、俺の肩をガッと強引に掴まれた。そのオッドアイの瞳は、まるで自分の大事なエサ箱にドブネズミが傷入ったのを見た猛獣そのもので、全身の灰褐色肌からどす黒い独占欲のフェロモンを噴き上げている。 「大丈夫か、直忠!? み、妙なことされてないか!? どこか壊されてないか!?」 「大丈夫、未遂だよ」  おっぱいと尻は揉まれたし、首筋に赤色の恥辱の痕(キスマーク)を吸い付けられたけど、セーフ。俺が能天気に笑顔で答えると、ナハトの張り詰めた肩の骨が、一瞬だけ間の抜けた音を立てて緩んだ。 「あはは、何や〜。ナハやん、いつになく必死やん〜。どないしたん、そんな怖い顔して」 「うるせぇな、アンヘル!」  ナハトの背後、無機質な廊下の影から、もう一人の魔人がてくてくと歩いて現れた。両腕を頭の後ろで組み、人懐っこい、だけど底の知れない笑顔を浮かべている。ラベンダーアッシュのアシメツーブロックの髪が、廊下の蛍光灯の下で不気味に揺れた。 「テオやんも、流石に手が早ない? 物事には順序っちゅーもんが──」  後から来たその男アンヘルはテオドアのプラチナブロンドの顔を覗き込むようにして声を掛ける。その声の響きは軽薄だが、どこか神経を逆撫でするような、薄いカミソリの刃のような鋭さがあった。 「だって、このゴリラ君、俺たちを壊しちゃいそうなくらい美味しそうな匂いをぷんぷんさせて歩いてるんだからさ。そりゃあ捕食者として食べたくなるだろ? まあ、今回はフラれちゃったけどね」  テオドアは、俺につねられた脇腹をさすることすらなく、涼しい顔でふう、とわざとらしい溜め息を吐いてみせた。その挑発的な視線がナハトを捉える。 「へ~~~。そうなんだぁ~~~。残念だったな、テオドア~~~」  何故か、鋭い竜牙を鳴らすようにして、急に嬉しそうな声を出すナハト。だが、テオドアは一歩も引かない。冷酷なシルバーの瞳でナハトを一瞥すると、唇の端を吊り上げた。 「まだ、チャンスは残ってるけど?」  廊下の空気が、一瞬でガソリンをブチ撒かれたようにパチパチと爆発寸前の圧を帯びる。魔人どもの執着バグ、マジでめんどくせえ。 「で、君が噂の直忠ちゃん? ……ふーん、なるほどねぇ。フンフン、そういう感じかぁ」  ラベンダーアッシュの男──アンヘルは、顎に細い手を当てて、俺の全身の傷跡だらけのムチムチ褐色肉体をまじまじと観察した。そして、何かに納得したようにポンと手を打つと、極めてフラットなトーンで言い放った。 「うわぁ〜、ホンマにゴリラやん!  あはは、すごいなぁ、噂には聞いてたけど想像以上やわ」 「アンヘルこの野郎!!」  すかさずナハトの拳がアンヘルの頭にクリーンヒットした。鈍い肉の衝突音が響く。 「痛〜い!  ナハやん何すんねん、暴力反対やわぁ〜。そんなんしたら、俺の繊細な身体が傷ついてまうやん」  アンヘルはオーバーに頭を撫でながら、大袈裟なキレ芸の予兆を孕んだ目でナハトを睨む。だが、脳を直忠に破壊されているナハトは、そんなツッコミなど一切無視して、鼻息を荒くしながら熱弁を開始した。 「良いかアンヘル、直忠はなぁ、確かに見た目は霊長類最強のゴリラだけど……こう見えて、ベッドの上ではとってもエロいんだぞ! パッと見は鋼鉄みたいに固そうな筋肉だが、実際に触ると肉厚の、弾けるような超弾力があって、もちもちっとしていて、まるで指先がとろとろに溶けそうな……ッ!」 ……なんなの? さっきから。本当に。ナハト、お前それ、俺のフォローになってると思ってんの? これじゃ俺がただの筋肉モリモリの淫乱ゴリラだって自己紹介されてるようなもんじゃん。恥ずかしいからマジで止めてくんない? 「ふーん。そんな熱いこと言うて、ナハやん昨日も一昨日も、別のキャストちゃん部屋に連れ込んでがっつり抱いてた癖に〜。なぁ直忠ちゃん、どない思う?  こんな浮気性の狂犬」 「あ、アンヘルお前……っ! 余計なことを言うな!」  慌てて顔を真っ赤にするナハトを他所に、アンヘルはニヤニヤとした笑みを浮かべ、俺に向かってナハトを指差した。どう思う、と聞かれても、俺の答えは地下闘技場仕込みの哲学に則って、一つしかなかった。 「どうもこうも。良かったじゃん、ナハやん。お前、俺とヤるまでずーっと未経験(童貞)だったからさ、一回卒業したおかげで、ようやく他のキャストちゃんたちにも興味が湧くようになったんだな~って。男として健全じゃん」  別に、誰が誰とどう盛ろうが自由である。奴隷の世界じゃ、明日の命すら保証されてねえんだ、ヤれる時にヤっとくのが一番だろ。 「…………」  俺の100%悪意のない、能天気な肯定文を聞いた瞬間、ナハトの顔から一切の血の気が引いた。まるで、脳ミソの重要な回路を直接錆びたペンチで引き抜かれたような、絶望的な仏頂面になり、気まずそうに俺から目を逸らした。直忠の純粋な「応援(脳破壊)」が、ナハトの『強欲』の心臓に致命的なエラー(バグ)を叩き込んだ瞬間だった。 「ぷぷーッ! ナハやん、完全撃沈やん! あはは、おもろ、そんな分かりやすく図星突かれることある?」  アンヘルは自分の膝をバシバシと叩きながら、ケラケラと廊下に響く声で爆笑した。 「……うるせぇ。アンヘル、ちょっと面貸せ」  どす黒い、それこそ堕竜の瘴気よりも濃い殺意のオーラを全身から噴き出しながら、ナハトはアンヘルの襟首を鷲掴みにした。そのまま、ずるずると壁際へ引き摺っていき、こそこそと耳元で何やら血生臭い会話を始めた。何を言っているのかまでは、五感が消失しかけている今の俺の耳じゃ、うまく聞き取れなかった。  壁際でこそこそと始まった魔人どもの密談。  五感が死にかけている俺の耳には、擦り切れた磁気テープみたいなノイズ混じりの、だけど必死すぎる声の断片が飛び込んできた。 『──(お前、直忠の前で余計なこと云うんじゃねーよ!)』 『ええやん、ホンマのことやんかぁ。なぁ、キャストちゃん抱いてたんやろ? 隠さんでもええやん、男の子なんやから』 『大体なぁ! なんで俺が直忠を「夜指名」しないか、お前分かってねーだろ!』 『ほ〜ん。なんでなん? ……なぁ、隠さなあかんような、後ろめたいことでもあんの?』 『指名して、あいつに「テキトーに拒絶」されて断られたら、俺、ショックで二度と立ち直れねーだろうが!! それに、他のキャストを抱いてるのは、好きでやってる訳じゃねーよ! 直忠が……直忠のテクが凄まじくて形無しなんだよ! 俺が下手くそで恥ずかしいの!』 『……断られる? ホンマに? 自分、コル・ドラコの最強アルファやで? あはは! 最強でもフラれることあんねんなぁ』 『あいつは、スッゲーお人好しのくせに、男のプライドをドブに捨てるレベルの気分屋なの!!』 『アンヘル……。適当にあっちをふらふらこっちをふらふらの君には、この領域のシステム(構造)は分からないかも知れないけれど』  いつの間にか、その赤裸々な内緒話の隙間にひょいと顔を覗かせたテオドアが、ナハトとアンヘルの肩を親密そうに組みながら、プラチナブロンドの髪を揺らして切り出した。そのシルバーの瞳は、大真面目な不条理に満ちている。 『セックスってのはね、ただの生殖行為じゃないんだ。プロレスなんだよ。肉体と肉体が激突し合う、熱い戦いだ。さながらベッドは戦場なんだよ』 『そうだぜアンヘル。お父事(造語)とお母事(造語)がベッドの上で命がけで必死に戦って、その結果として、子供ってのは出来上がるシステムなんだ』  テオドアのイカれた持論に深く追従するように、ナハトが何度も真剣に頷きながら、アンヘルに対してクソみてぇな嘘を教え込み始める。 『え……。じゃ、じゃあナハやんもテオやんも、夜な夜な沢山のキャストちゃんを抱き潰してるのは──』 「俺たちは『戦ってる』のさ。ベッドという名の戦場の上でもな……」  ふ……と、哀愁を帯びた笑みを浮かべた二人の魔人。無機質な廊下の蛍光灯の下、まるでそこだけに神々しいエフェクトが掛けられたように、キラキラと輝いて見えた。お互いに固い友情と、互いの戦歴を称え合うような、凄まじく美しい「戦友の顔」をしている。 『──あはは! 言うてもうた! 2人揃って夜な夜な何してんねんなぁ、ホンマ元気やわぁ』 馬鹿だ。国を護る特務機関の最前線に、本物の馬鹿が2匹も居るぞ。 「でだ。戦場(ベッド)で戦う上で絶対に外せないのが、相手の『装甲の厚み(身体つき)』だよね」 「そうだ。やはり抱き心地という名の闘争本能が燃え上がらないと、アルファとしての闘志は沸かないからな」 「その点、このゴリラ君を侮るべからずだよ……すっごくスケベな身体をしてる。最初見た時は『ただの頑丈なゴリラじゃないか』って思ったけど、皮膚の裏側に指を滑り込ませて触ってみたら、もう凄いのなんの」 「流石だなテオドア……! 触っただけで直忠の、あの肉厚の、弾けるような弾力の良さが分かったのか」 「当然だろ。胸も腰も尻も……あれは、野生の牙で噛み千切って食べ応えのありそうな、血の滴る最上級のステーキみたいだ。俺は驚いたね。あんなオメガの肉体(カタログラグ)、他に存在しない」 「ホンマに~~……?」  アンヘルは、胡乱な、ツッコミ担当としての疑いの目を向けながらも──しかし、その過剰な熱弁に充てられたのか、ごくりと渇いた喉を鳴らした。ラベンダーアッシュの髪の隙間で、その耳がピクリと動く。  せいぜい、顔の良い男子3人で勝手に部室みたいな猥談(プロレス論)をしてて欲しい。 「あー、お疲れ。俺、次の予定あるから行くわ」  俺は阿保らしくなって、自分の下腹部を擦りながら、その脳がバグった魔人どもの包囲網をすり抜けてその場を去った。背後からは、まだ「ゴリラ君のプロレス的価値」について熱弁する馬鹿どもの声が、無機質な廊下に虚しく響いていた。

ともだちにシェアしよう!