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16実験セクター44号、および夜空のブルースクリーンについて前編②
「おい、そこの貴様ら! いつまでそこでサボっとんじゃ。……今から合同訓練始めるから、他の候補生も全員叩き呼んで外の砂浜に集まれぇ!! ……5分以内にな?」
アンヘルは、俺の後ろからゾロゾロ付いてきていた穀潰しのモブ候補生たちを忌々しげに睨みつけると、全員指定の場所に集合するように厳しい指示を出し、苛立ちを隠さない足取りで階段をドタドタと下りていった。
残された俺たちは、顔を見合わせて「訓練って一体何やるんだろうね?」と軽く首を傾げた。
「ねえ、せっかくだし見学しに行ってみようぜ!」
慶太のその一言に全員の意見が一瞬で一致すると、俺たちはパタパタと掃除道具を雑に片付け、ようやく手に入れた「1ヶ月の休暇(バカンス)」を満喫するべく、意気揚々と屋敷の外へと繰り出すことにしたのだった。
◆
合同訓練。高貴なる金『ノーブル・ドール』と、高貴なる銀『ノーブル・ダルジャン』。
この二大勢力のメイン担当は当然、特務機関が誇る精鋭部隊コル・ドラコだ。この二部隊は昔から信じられないほど仲が悪いらしいが、はてさて教官たちを真似て、候補生同士のバチバチとした派閥争いはどうなることやら。
だが、そんな組織の緊迫感などどこ吹く風。イシュタルのキャストたちという華やかで、かつ黄色い声を上げる極上のギャラリーに見守られているせいか、候補生どもは俄然やる気を出していた。
彼らはだらしなく顔を緩ませてこちらに手を振ったり、無駄にかっこつけて見せたりしながら、砂浜で大袈裟に身体をほぐして準備運動に励んでいる。そして、担当隊長が来るのを今か今かと色めき立って待っていた。
総勢300名もの候補生が集まっても、なお余りあるほどに広々とした、どこか寂涼とした砂浜。
一体ここで、どのような凄惨な戦闘訓練が始まるのだろうか?
「──雑草を食らって惨めに生きる愚民共。この俺様が直々に来てやったぞ」
どこまでも不機嫌そうな底冷えのする表情を一切隠そうともせず、地元のヤンキーどころか本物の暴君のような不遜な態度で現れたのは、ミハイルだった。
傲慢の王は、額の双角をギラギラと照りつける太陽に反射させ、眉根を深く寄せた表情のまま、のんびりと威圧的な足取りで歩いてくる。
すると、彼は何もない宙に向かって、指先をちょいちょいと尊大に動かす仕草を見せた。
ズウゥゥゥゥン──ッッ!!!!
五臓六腑を直撃するような、凄まじい大気の重低音が砂浜に響き渡る。
その空間の歪みから出現したのは、頭部から透明に輝く立派な鹿の角を生やした、体長3メートルはあろうかという巨大な白い獅子だった。
そういえば、と俺ちゃんはここで思い出す。
1階でナハトが操った魚の大群も、2階でアクシャラが呼び寄せたスライムも、3階でアンヘルが爆走させた牛と馬も、よくよく思い出してみれば全員が共通して『鹿の角』を生やしていたのだ。
さっき、頭の良さそうなモブ候補生の一人が「星座……」と呟いていたのを思い出す。角は星座と関係している?
顕現した巨大な白獅子は、太い前足でギラギラの砂を勢い良く掻きむしると、ヤル気満々といった具合に、鼻腔から物凄い熱量の蒸気のような荒い鼻息をブシューッと鳴らした。
ミハイルはその巨獣の硬そうな身体をポンポンと無造作に叩くと、底意地の悪い薄笑いを浮かべて命じた。
「殺さない程度に、軽く揉んでやれ。レオ」
瞬間──島中のトタン板やカビ臭い窓枠が振動するような、物凄い絶叫、悲鳴、そして地獄の咆哮が砂浜に木霊した。
白い獅子『レオ』は読んで字のごとく、爆速の猪突猛進を開始した。
砂浜に整列していたモブ候補生たちは、身構える間すら一切与えられないまま、文字通りボロ雑巾のように四方八方へと盛大に吹き飛ばされていった。
宙に舞う人、人、人。受け身も取れずに放物線を描いて飛び、地面の砂に身体を強かに打ち付けていく。
幸いにも下が柔らかな砂浜なので骨折などの深刻な物理ダメージは無さそうだが、それでもあの質量と勢いで正面から突っ込まれたら、精神的な疲労ダメージは堪ったものでは無い。
「おい、貴様ら──本当に我が特務機関エンブリオの候補生なのか? この程度で簡単に吹き飛ばされてどうするんだ。因みに言っておくが、このレオは1パーセントの力すら出していないぞ? もっと! やる気を出せやる気を! 気合いが足らん! まったく、戦力としてもクソの役にも立たない砂利共め!」
ミハイルは隆起した腕を組んだ状態のまま、不機嫌そうに冷酷な蔑みの言葉を候補生たちに投げつけた。正に容赦のない冷酷な暴君そのものである。
「し、しかし……お言葉ですが、ミハイル教官……ッ。この理不尽なまでのシゴキは、対『堕竜戦』を想定したものと認識して宜しいのでしょうか……っ!?」
砂まみれになりながら立ち上がった勇気あるモブ候補生の1人が、息を切らしながらミハイルに必死に問いかけた。
「堕竜? フン、云っておくが、最前線に出て俺たちコル・ドラコがやる任務は堕竜討伐だけじゃない。そもそも、貴様たち下級候補生は、ワイバーンの変化能力によって俺たちの戦闘をサポートするのが役割だ。つまり、貴様たち自身の生身で戦う機会など、実戦においては殆んど無いと云っていい」
ミハイルは鼻で笑うと、鋭い赤瞳で這いつくばる候補生たちをねめつけた。
「だが、貴様たちは古来より続くエンブリオの、本来の泥臭い役割を失念しているようだな。この能無しの蛆虫共め。我が機関の真の役目は、国内及び諸外国より、潰しても潰しても蛆虫の如く復活する堕竜信仰のカルト集団『ザルヴァートル』の駆除だ。奴らが使役し、跳梁跋扈させるこの世ならざる『偽竜』を虚数空間へ叩き落とし、その侵略を止めること。その悍ましい変則戦に対処する為には、小細工の利かない肉体の絶対的な強化が必要不可欠なのだ。分かったか、このミジンコ以下の下等生物共らめ」
……なんでいつもこんなに周りをディスるんだろうな、コイツは。
どこぞの偉そうな王族かよ、マジで。
俺ちゃんは、砂浜の片隅でメンズブラ水着の紐を引っ張りながら、そんなミハイルの天元突破した傲慢さに、本日何度目か分からない呆れ顔を向けるのだった。
「レオの猛攻を掻い潜り、この『ジェミニ』を見事捕まえてみろ。捕まえることが出来れば、夜の訓練を免除して好きなキャストを自由に指名する権利を与える。もしくは、コル・ドラコへの個人指導を希望する者が居れば直々に受け付けてやる。ただし、期間は3日、上限は先着10名までだ」
「候補生の皆さん、こんにちは。もう知っていると思うけれど、俺はテオドア・エンヴィー。教官の一人として、1ヶ月間よろしくね」
いつの間にか砂浜に現れていたのは、気さくて優しい笑顔を浮かべたテオドアだった。
彼が胸元からぽんっと勢い良く放り出したのは、雪のように真っ白で美しい毛並みを持った2羽の大きな兎だった。
そして、その2羽の額からも、やっぱり例に漏れず立派な『鹿の角』が生えている。
2羽の兎──『ジェミニ』達は砂地に着地すると、「たん!」と力強く後ろ足を踏み鳴らし、不機嫌そうに「ブーッ!」と低く鳴いた。その仕草は、まるで狭い檻から今更出されたことに抗議しているように見えた。
(へえ、兎ってそんな鳴き声で鳴くんだ……)
「そう怒らないでよ。暫く出してあげられなかったのは謝るからさ。……そうだ、あれを見てごらん」
テオドアは困ったような笑みを浮かべてプラチナブロンドのサムライヘアを掻くと、何故か自分の召喚獣であるジェミニ達に丁寧に謝罪している。
そしてこちらへ振り返ると、細い人差し指で俺たちイシュタルのキャスト陣を優しく指し示した。
「この訓練が終わったら、好きなだけ彼らに可愛がってもらうと良い。君たち、あそこにいる綺麗なお兄さんたちが好きだろ?」
テオドアがそう囁いた瞬間、俺たちを見たジェミニ達は「ぴょん!」と嬉しそうに大きく跳ね上がり、テオドアの周りを歓喜のステップでくるくると回り始めた。
「よーい……始めッ!!」
ピーッ! と鋭いホイッスルの音が砂浜に響き渡ると同時に、理不尽なジェミニ争奪戦の幕が切って落とされた。
気づけば、ナハトやモルドレッド、アクシャラにアンヘルといったコル・ドラコの教官共も雁首揃えて並び、腕を組んでこの地獄絵図を愉快そうに見物している。
ルールは至ってシンプル。
ミハイルの白獅子『レオ』の凄まじい猛攻を掻い潜るか、力尽くで捩じ伏せるかして、砂浜を縦横無尽に逃げ回るジェミニ2羽を捕まえたら勝ちだ。
好きなキャストとの贅沢な同伴デート、もしくは憧れの精鋭ドラコとの1対1の個人指導。その甘美な報酬を聞いた候補生たちのやる気は、瞬く間に燃え上がる灼熱の炎の如く激しく沸騰した。彼らは目に狂戦士のような闘志を宿し、血に飢えた獣の如き勢いで一斉にジェミニ達へと襲い掛かった。
──が。
「キャ──!!」
直後、絹を裂くような、乙女の如きか弱き悲鳴を砂浜に上げながら、モブ候補生たちがバタバタとレオの突撃によって弾き飛ばされていった。
あの白い巨獣『レオ』ときたら、その巨体の何処にそんな器用な芸当ができるのだと呆れるくらいに小回りが利いており、ただ速く力強いだけでは無いのだと感心させられる。
それはさながら、超高出力のエンジンを限界まで吹かした爆速のスポーツカーが、超絶技巧のカーチェイスでドリフトをかましているかのような自由自在の機動力だった。
そして肝心のターゲットであるジェミニはといえば、主人の命令をどこ吹く風とばかりに、呑気に長い耳の掃除をしながらギラギラの砂浜に寝そべって寛いでいた。
だが、そのジェミニへ一歩でも近付こうものなら、死角から音速で回り込んでくるレオの弾丸のような体当たりを正面から食らうことになる。レオはまさに、全方位へ跳ね返る予測不能の破壊弾だ。
おまけにジェミニ達は、あっちの波打ち際に居たかと思ったら、次の瞬間にはこっちの砂丘の頂上に居る、なんて瞬間移動かと思うほどに足が速く、神出鬼没で捉えづらい。
「そこだ、捕まえたッ!」
「痛えっ! 何すんだよ!」
確かに目の前に居た筈のジェミニを目がけ、勢い良く両腕を伸ばしてガッと飛び込んだ候補生たちは、無様に仲間同士で頭を激突させ、砂まみれになって悶絶していた。
そして肝心のジェミニ達は、とうに在らぬ方向で暢気に毛繕いをして寛いでいる──なんていう、おちょくられた大惨事がそこかしこで度々起こっている。
「クソッ、とにもかくにも、まずはあの白いライオンをどうにかしなくては話にならないぞ!」
ようやく状況を理解した候補生達は、それぞれが訓練用の武器を構え、連携を取りながらレオ目掛けて果敢に飛び掛かった。
が、教官であるミハイルのほんの1パーセントの魔力に守られた獣の皮膚には傷1つ付かず、突撃した候補生たちは木の葉のように容易く弾き返されてしまうのだった。
「アッハッハァ! 候補生用の鈍らな武器じゃあ、レオの毛皮に傷一つ付けることは出来ねえぞォ! それじゃあ箸にも棒にも引っかからねえなァ!」
やれやれと云った風に肩をすくめ、ドスの利いた声で大笑いするのはモルドレッドだ。
「じ、じゃあ、一体どうすればいいんですか……っ!?」
砂浜に転がり、狼狽えるモブ候補生たち。見かねたテオドアが、爽やかな笑みを崩さぬまま、親切そうに「チームワークが必要不可欠だよ」と貴重なアドバイスを付け足した。
「貴様らは目の前の事しか見えていない。レオはこちらが動けば何処までも容赦なく追い掛けて来る。では、あの神出鬼没のジェミニを捕らえるためにどう動くべきか? 少しは脳みそを使って考えるんだな。こんな簡単な道理すら自力で分からんとは、これだから温室育ちの腐った林檎達は困る」
ふん、と偉そうに隆起した胸を張り、不遜に鼻を鳴らしながらミハイルが上から目線で厳しいヒントを投げ出す。
「ついでに、この優しい俺からも出血大サービスだ。よく見ろ、レオはたったの1体だぞ? 対してお前らは何人いると思っているんだ?」
ナハトまでが、オールバックの三編みを揺らしながら飄々とした口調でアドバイスに加わる。
教官たちの言葉を必死に頭のなかで反芻し、候補生たちの中にようやく何かの閃き、あるいは連帯のパルスが起きる兆しが見え始めた。
「───タ、タイムッ! 教官、1回タイムを下さい!」
「……ふん。良いだろう」
最前線で砂を噛んでいた訓練生の悲痛なタイム申請に、ミハイルが鷹揚に許可を出す。
彼らは示し合わせたように激しく頷き合うと、砂浜の中央にぎゅっと固まって集まり、何やら真剣な表情で作戦会議を始めた。
「なーにやってんだろうね、あの人達」
フロアのトドからビーチのアザラシへと進化したノチェルオが、冷たい飲み物を片手に、パラソルの下のシートの上で立て膝に頬杖を付きながら暢気に呟く。
隣で腕を組んでいた炉舞は、う~んと深く唸ってから口を開いた。
「レオ1頭に対して、訓練生の数は総勢300だろ。それだけの圧倒的な数がいながら、たった1頭の機動力に全員が翻弄されてたら、いつまで経ってもジェミニなんて捕まえられっこないよな……」
そこまで言って、炉舞はハッと目を見開いた。
「そうか。チームワーク……成る程な」
「何か分かったの? 名探偵炉舞君」
俺がバケツを傍らに置き、メンズブラ水着の紐を直しながら水を向けると、彼は「フッ」としたり顔で眼鏡の奥の目を光らせ、こう言い放った。
「皆、目の前の『御褒美(好きなキャストの指名権)』に意識を完全に引っ張られて、我先にとスタンドプレーに走っていたんだよ。冷静になって、300がそれぞれの役割を分担して強固な手を組めば、レオを別の場所に誘導して隔離することくらい出来るかも知れない。もしくは、あいつらは全員がノーブル・ドールやダルジャン組のエリートなんだから、自身の『魔法』を使ったってルール違反にはならないだろ? だって、ミハイル教官のルール説明には、魔法の使用を禁ずるなんて縛りは一言も云われていなかったからな! 魔法が使えるなら、それでレオの四肢を動けなくするとか、重力で足止めするとか……やり方はいくらでもあるはずだ」
「成る程、作戦は分かった。けどさ、肝心のジェミニはどうやって捕まえるの?」
イシュタルの癒やし系枠である斗真が、不思議そうに首を傾げて炉舞の顔を覗き込んだ。
「それも魔法を使うんだよ! 魔法と物理の両方から同時に攻め立てる! っていうか、あいつら目の前のレオにパニックになりすぎて、自分がエリートのコル・ドラコサポート候補生だってことを脳味噌から完全アンインストールしてないか!?」
「確かに! 魔法でレオを牽制しつつ、ジェミニ達をひたすら追い掛ける実動係と、予測地点で先回りして待ち伏せする係で、予め位置を細かく決めて包囲網を狭めていったらどうだろう? 見た所、ジェミニ達はどこにでも気まぐれに出現しているように見えて……ん?」
と、そこまで言葉を紡ぎながら、俺ちゃんはある重要な法則に気が付いた。
砂浜の上を神出鬼没に跳ね回っている二羽の兎『ジェミニ』達だが、先程からの移動ルートを注視していると、常に一定の規則的なパターンで座標をロールバックさせているのだ。
これは教官たちから過酷な日常を生きる候補生への、不器用な「優しい肩慣らし」といった所なのだろうか?
この移動規則のパルスを完全に把握しておけば、次にあいつらがどの砂丘の上にリスポーンするかは容易に予測できる。
しかし、こんな単純な(とは云えジェミニ達の瞬間移動を視認するのは並大抵の動体視力では捉えられないが)答え、もしかして鬼教官を気取っているミハイルたちも、最初からわざと手心を加えてくれている……?
だとしたら、あとはジェミニ達が次の座標へ消え去る前にガッと捕まえる、一瞬の反射神経と圧倒的な運動神経。そして魔法が実戦レベルで使えるのなら、それらをどう組み合わせるかという純粋な技術の問題になるだろう。
◆
──結局、その日の初日訓練では、候補生たちは300人の数の暴力を以てしても、レオの突撃を捩じ伏せることも、ジェミニ達を捕まえることも出来ずじまいに終わった。
今回は昼間のみの合同演習で、どうやら明日は一転して過酷な夜間訓練が控えているそうだ。
容赦なく照りつける太陽の下、何時間も巨大な獅子と狂った兎とにらめっこを続けさせられた訓練生たちは、全員が「ぜえ、はあ」と肺を焼き焦がすような荒い息を吐きながら、日の暮れなずむ砂浜の上で死屍累々とばかりにゴロゴロと寝そべっていた。
ナハトやテオドアといった教官たちは、そんな彼らの極限状態の様子をつぶさに観察しては、手元のタブレットに冷徹な手付きで何やらデータを打ち込んでいる。
俺たちキャスト陣も暫くその光景を興味深く見学していたが、総勢400名分の夕食の用意をしなければいけない時間になったため、一足先にカビ臭い大屋敷へと戻ることにした。
しばらくして、泥のように疲れ切って屋敷へ戻ってきた候補生たちは、一様に顔を真っ青にして生気を失っており、豪華な食事にも殆ど手を付けられないまま、ふらふらと大浴場へ向かうと、その後は全員が自分の割り当てられた部屋へと直行して泥のように眠りに就いたのだった。
「──よっぽど過酷な訓練だったんだね、あの子たち」
「まあねぇ、この異常な暑さの中、あんな化け物相手に何時間も休みなく動き回ってたら、いくら頑丈なアルファでもこうなるよね……」
イシュタルのキャストたちが同情の眼差しで静まり返った廊下の奥を見つめ、思ったことをぽつりぽつりと呟きながら、山のような食器を洗っていく。
屋敷のフロア自体は、最初に見た時は目を疑うほどゴミと埃まみれで汚かったのに(ナハトたちが特殊なアストロ魔導で一瞬にして片付けてしまったが)、この厨房エリアだけは、何故か新品同様の眩い輝きを放っており、プロ仕様の調理器具がこれでもかと完璧に揃えられていた。
最高級の包丁が用途ごとにズラリと美しい刃を並べ、壁際には特大の鍋、フライパン、巨大な蒸し器、キッチンポット、果ては本格的な薫製器や専用の焼き釜までが鎮座している。 驚くほど広々とした調理空間は、大人数が同時に効率よく動き回れるように、完璧な計算の元で設計されているのが素人目にもよく分かった。
「お──い、皆、やってるかぁ?」
厨房の入り口から、ふいに聞き慣れた声がした。
見れば、炉舞が片手に冷えた缶チューハイとジュースをいくつか抱えながら、「裏片付けが終わったら、皆で一杯やろうぜ」と、ニヤリと労うような笑みを浮かべて顔を覗かせていた。
「お、いいね。すぐ行くわ」
俺たちは残りのピカピカになった食器を丁寧に拭き上げると、指定の棚へと静かにしまい、夜の静寂が満ち始めた厨房を後にしたのだった。
◆
「──あはははは! うひひひひ~~ッ!」
すっかり気持ちよく出来上がってしまった俺ちゃんは、冷房の冷気が吹き溜まる大広間の畳の上で、だらしなく笑いながらゴロゴロと転がっていた。
ムチムチの褐色シックスパックを容赦なく晒し、メンズブラの紐を緩ませて醜態を晒す俺の姿に、炉舞と慶太が盛大に眉を顰める。
2人が俺の傍らに転がっていた空き缶を拾い上げて確認した瞬間、武臣が「あーっ!」とすっ頓狂な驚きの声を上げた。
「これ、ただのジュースじゃねえぞ! コル・ドラコ用のガチのガッツリ系チューハイじゃんッ!」
「マジかよ……。直忠のやつ、いつもの鉄パイプ味の障害が治った反動で、味覚がバグってジュースと間違えて一気に煽りやがったな」
「因みに度数は?」
「45度おおぉおおお!!!??」
コミンジ5全員が絶叫した。ウルセェな~。
この屋敷に持ち込まれた物資の中には、夜な夜な豪快に喉を鳴らすコル・ドラコたちのために、当然のように大量の酒類が含まれていた。
特に最近の缶チューハイは果汁入りのジュースと外見が酷く酷似している上に、暗い物置倉庫のパレットの上にずらりと並べられていたのだ。
一応、アルコール入りとそうでないものはエリアが分けてあったのだが、泥酔寸前のキャストたちの手際と、初めて本物の果実の甘さを知った俺ちゃんのガツガツした飢餓感が重なれば、うっかり間違えて誤飲してしまってもおかしくはない不条理だった。
徐に、俺は畳からむくりと起き上がると、ふらふらとした危なっかしい千鳥足で大広間の襖を開け、廊下へ出ていこうとする。その様子に、斗真と慶太が慌てて声を掛けた。
「ちょ、ちょっと直忠、そんなベロベロで何処行くの!?」
「といれぇ~~、おしっこマンになるぅ~~」
「いや一人で行けるわけないだろ、足元おぼつかないんだからちょっと待てって!」
「そぉ~んな心配すんなってぇ~。俺ちゃんは一人でもやれば出来る子だからさぁ。ほら、見ててよ、よっこいしょういちっと……」
完全に呂律の回っていない頭で適当にうそぶきながら、俺は制止を振り切ってそのまま廊下の闇へとふらふらと消えていった。
背後から、「ったく、あのクソゴリラが……。酔っぱらいの相手は面倒やけど、俺がちょっと様子見てくるから、お前らはここでゆっくりしとけ」と気だるげな関西弁のアンヘルがぶつくさ文句を言いながら後を追ってきたのを、アルコールで脳みそがドロドロに溶けている俺ちゃんが知る由もなかった。
アンヘルが面倒臭そうに廊下を歩いてトイレの前に向かうと、丁度、俺がすりガラスの扉を引いて中へ入る所だった。
「おい、そこのクソ酔っぱらい! タイルで滑って頭打って怪我すんなよぉッ! そんな身体だけデカいのに頭打ったら、ただの重たい荷物やんか!」
「へいへい~~、了解道中膝栗毛ぇ~~」
俺は手をひらひらと適当に泳がせて返事をし、そのまま個室の奥へと消えた。
仕方がない、とアンヘルは腕を組んでトイレの前でしばらく待っていたが、10分が過ぎ、20分が過ぎても、一向に出てくる気配がない。
(いくらなんでも、デカイ方にしても30分も掛かるかぁ? あのオメガ、中で便器を枕にして寝腐っとんのんちゃうか……)
訝しげに思ったアンヘルは、完全に痺れを切らし、様子を窺うように引き戸を開けてトイレの中へと足を踏み入れた。
だが──その瞬間、暴食のアルファの気だるげな顔が、一瞬にして険しい戦闘狂の表情へと一変した。
「な……なんや、これ。ここは、どこや……ッ!?」
そこは、先ほどまで存在していたはずの、古臭い男子トイレでは断じてなかった。
タイルの床も、洗面台も、湿気った鏡もない。四方を不気味なほど無機質な壁に囲まれた、窓も通気口も一切存在しない未知の隔離空間。
振り返ると、自分が今くぐり抜けてきたはずの入り口の扉すら、消しゴムで消されたかのように壁と同化して消失していた。
完全に退路を断たれた密室の隅で、当の俺ちゃんはといえば、冷たい床の上に大の字になって「すやすや……」となんとも気持ちよさそうに寝転がっていた。
アンヘルは慌てて駆け寄り、俺の肩を激しく揺さぶる。
「おい、直忠! しっかりせえ、起きんかい!」
「んあ? ……お、アンヘルじゃ~ん。一緒に飲むぅ?」
アルコールで完全に神経が弛緩しきった俺の、なんとも締まりのない間抜けな返事を聞いて、アンヘルは一先ず命に別状はないと判断し、ほっと安堵の表情を浮かべた。
(……出入り口は、あの一つだけか)
アンヘルが油断なく周囲を睨みつけると、部屋の真ん中に、ポツンと不自然に、静かにそこに佇むように、一枚の古びた鉄製の扉だけが実体化していた。
異変はそれだけではなかった。
スン……と、部屋の密閉された大気の奥から、微かに『ナニカ』の尋常ではない臭いが漂ってきた。
それはお線香のような生易しいものでも、記号的なガソリンの異臭でもない。
床に転がる俺の虚ろな黒瞳に、アンヘルがピクリと鼻をひくつかせ、その整った美形を「本能の嫌悪と狂気」で限界まで歪めてしかめていく、生々しい表情が映り込んだのだった。
「こらっ、クソ酔っぱらい! いつまで床で行き倒れとるんや、はよここから出るぞッ!」
「なんだよぉ~~、アンヘルちゃん冷たいなぁ……っていうかここ何処だよ~、おしっこマンの部屋じゃないじゃん~」
「そんなもん俺が知るかッ! こっちが聞きたいくらいやわ!」
アンヘルは俺の刈り上げ頭をペシんと軽く叩くと、泥酔した巨体をずるずると引きずるようにして唯一の扉へと向かった。警戒を怠らない手付きで冷たい鉄のドアノブを掴み、一気に捻る。
──カチャリ。
扉はあっさりと開いた。……が、目の前に広がっていたのは、いま自分たちが引き返したはずの、窓も通気口もない無機質な密室と寸分違わぬ次の部屋だった。
それから1時間程、アンヘルは俺の身体を担ぎながら、何度も、何度も、狂ったように扉を開け続けた。だが、どこまで進んでも目の前に現れるのは、呪われたロールバックのように全く同じ形状をした立方体の部屋だけ。
無限に続く絶望の回廊を前に、百戦錬磨の暴食のアルファであるアンヘルの背筋に、生まれて初めてぞわぞわと冷たい戦慄が走り抜けた。
「な、何が起こっとるんや、これ……。あ、そや、アストロや。こういう時はレオを呼んで、物理的に壁に風穴を開けてもろて──」
そこまで言い掛けて、アンヘルはハッとして息を呑み、その場に釘付けになったように立ち止まった。
いつの間にか、俺たちが今くぐろうとしていた扉の真上に、場違いなほど鮮明な発光を放つ電子液晶パネルが実体化していたのだ。
そこには、冷徹なフォントでこう表示されていた。
『セックスしないと出られない部屋』
「思いッッッッきり古典的なエロ本の世界線やないか────いッッ!!!!」
「声がうるさ~~い、お耳が痛いよぉ……うひひ」
唾を飛ばしながら額に青筋をビキビキと立て、この不条理ハザードの空間に魂のツッコミを入れるアンヘル。
対する俺ちゃんはといえば、すっかり脳みそがアルコール度数の高いお酒に溶かされて、相変わらず床に寝転がって「うひひ」と間抜けに笑うばかりだった。
アンヘルは即座に術式を起動して召喚獣アストロを呼び出そうとしたが、指先からパルスが一切立ち上がらないことに気づき、青ざめた。特務機関の誇る高位魔導が、この空間の絶対的なルールによって強制的に完全アンインストールされている。
彼は屋敷の自室に竜剣を置いて来てしまったことを激しく悔やみながら、望み薄ではあるが、もう一度扉のドアノブに手をかけて全力で捻った。が、やはりというか当然というか、鉄塊のように微動だにしない。
「おらァッ!!」
アンヘルは強靭な脚を鋭くしならせ、扉のド真ん中を思い切り蹴飛ばした。
人の姿をしているとは言え、その中身は戦術級の破壊力を備えたコル・ドラコのアルファだ。10トントラックだろうが鋼鉄の防壁だろうが、本気の一撃を叩き込めば消しゴムのカスの如く易々と粉砕・破砕してしまう怪物的なパワー。
──にも関わらず、放たれた超重量のキックの衝撃は、まるで豆腐の塊にでも吸い込まれたかのように、不思議なほど音もなく静かに吸収されてしまったのだった。
「嘘やろ……。俺の蹴りも拳も、1ミリも効かへん。……あはは、なんでや、これ……。笑えん冗談はナシやで、ホンマに」
アンヘルの綺麗な額から、じっとりと焦燥の汗が滲み落ちる。
どれだけ絶対的な物理法則を叩き込んでも、この部屋の不条理な概念バグの前には無力だった。
「……チッ、しゃあない。テオドアかナハトが誰か異変に気づいて、外から助けが来るのを大人しく待つしか──。……はぁ、あいつらに助けられるんは、流石にちょっと癪やなぁ」
アンヘルはこれ以上の無駄な体力消費を避けようと、観念してその場にドカッと座り込むと、頑として開かない扉と不気味なパネルを鋭いターコイズブルーの瞳で睨みつけた。
(なんや、このふざけた内容は……。もしや、あのカルト集団ザルヴァートルの仕業か? いや、そんなことして、あいつらに一体何のメリットがあるかっちゅう話やな。まあ、彼奴らはいつも生理的にようわからん悍ましいことしかせぇへんが……。それにしても、俺の肉体強度が一切通用せんのも説明がつかへん。そやったらザルヴァートルやない……もちろん堕竜の結界でもない。なんなんや、この部屋は)
(それに──それに、や。俺は、本当は……)
アンヘルが膝を抱え、脳内でドロドロとした葛藤のパルスを濁らせ始めたその瞬間、電子パネルの文字が、ピコンと軽い音を立てて滑らかに変形した。
『ヤるなら処女が良い』
「は~~? あんた、そんな見た目してまさかの処女厨かよ。キッショ、僕ちん引くわー」
床に転がっていた俺ちゃんは、アルコールで虚ろになった黒瞳をアンヘルに向け、この世の終わりを見るかのような蔑みと軽蔑の眼差しを投げかけた。
「な、な、な、なんでやねん!? なんで今、俺の心の中の超プライベートな思考がリアルタイムでパースされとるんや……ッ!? いや、違う! 誤解や直忠ちゃん! 俺は決してそんな歪んだ処女厨やない! ただその……こう、段階を踏んだピュアな恋愛がしたいだけやねんッ! なぁ、引かんといてやぁ!」
気だるげな面影など一瞬でどこかへ消し飛び、情緒が裏モードへスライドしかけたアンヘルは、身振り手振りで慌てて必死の抗議をまくし立てた。
だが、そんな彼の必死の言い訳を嘲笑うかのように、電子パネルの内容が再びピコンと最悪な形に書き換わる。
『ブスのビッチは嫌だ』
「う、お、お、もう止めろおぉぉぉぉ~~ッッ!!!! ……って、待って! 今『直忠ちゃんの呆れた顔めっちゃ可愛ええな』とか考えたのまで流れてへんよね!?」
アンヘルは思わず勢いよく立ち上がると、自分の脳内の奥底にある「狂った心の声」を全自動で暴露し続ける不条理パネルに向かって、顔面を真っ赤に染めながら絶叫するのだった。
「はいはい、どうせ俺ちゃんはあんたの言うところの、不細工で尻の軽いビッチですよ~だ」
床に転がったまま、目を眇めて盛大にぼやく。まあ、かつて地下闘技場で「おっさんをベッドで鳴かせる人生に不要な凄惨な哲学」を嫌というほど叩き込まれた身だ。
事実といえば事実なのだが、それにしてもこのお堅い教官様の脳内パルスには呆れて物も言えない。
ピコン。
そんな俺のぼやきに呼応するように、無慈悲な電子パネルのフォントがまたしても滑らかに変形した。
『ホントは滅茶苦茶興味ある』
「あ、あ、あ……やめ、やめろおおおぉぉぉぉぉぉ~~~ッッ!!!! 直忠、頼むから今すぐ耳塞いで! いや違う、脳みそのスイッチ切ってぇな!!」
ついにその場に両膝を突き、力無くガックリと項垂れるアンヘル。誇り高き暴食のアルファとしての尊厳を、全自動プライベート暴露マシーンによって粉々に粉砕・デリートされた哀れな男に向かって、俺ちゃんは畳み掛けるように声を掛けた。
「なんだよぉ~、アンヘルちゃんってば意外と中身はドロドロのムッツリだったわけぇ~?」
「う、ううう……酷い……。これは特務機関のいかなる尋問よりも凄惨で惨たらしい拷問や……ッ。なぁ直忠、俺のライフはもうゼロや。頼むから今すぐ記憶喪失になってぇな……」
その時、ふと、熟れきった果実のような濃密で甘い香りが、密閉された部屋の空気をチクチクと毟るようにして鼻腔を擽った。
お互いの視線が、至近距離でカチリと交錯する。
(俺ちゃんは匂いから、あんたの脳内がドロドロに溶けた狂った心の声がちょ~っとだけ分かっちゃうんだからね~、うひひひひ)
お酒の力も手伝って、脳内でそんな謎の優越感のパルスを濁らせつつ、俺ちゃんがずいっと顔を近づけると、突然の急襲を喰らったかのように跳び上がった。
「うわ、わッ!? 近寄るな!! 俺は絶対に屈さへんぞッッ!! ……って、待って! 今『そんな可愛い顔で近寄られたら普通に押し倒してまう』とか考えたのまで流れて──ああっ、もーっ!!」
どこぞの生真面目な捕らわれの女騎士みたいな様式美の台詞を吐き散らしながら、物凄い勢いで後退して壁際まで身を寄せたアンヘルだったが、元よりこの密室には逃げ場などなく、とうとう俺ちゃんに物理的に追い詰められてしまった訳で。
俺の肉体から溢れ出る全方位全自動の誘惑香が、窓のない立方体の部屋をあっという間に満たしていく。そうなれば、身体の構造がアルファである以上、否が応にも下半身は正直すぎる反応を突き返してくる。
(あ~~、そういえばそうだ。ミハイルたちとの度重なるハザードで体内に溜まってた堕竜の蓄積毒、この暴食のラットとヤれば、ある程度まとめて解毒(ロールバック)出来るじゃん?)
ピコン。
『ずっと気になってた』
「へぇー、俺ちゃんのことぉ~? ……な~んてね」
俺は片方の目を眇め、小悪魔じみた妖艶な笑みを浮かべて見せた。
その褐色ムチムチボディの破壊力をゼロ距離で食らったアンヘルは、思わず「ぞくり」と背骨を震わせるような表情を浮かべる。その有様は、さながら百獣の王の檻に放り込まれた無力なガゼルのようだった。
「お、お、俺は……ッ……!」
完全に言葉を詰まらせ、美しい輪郭の顎のラインからポトリと大粒の汗が床に落ちる。
今、この一切の不完全さも世界の法則も許さないような圧倒的な美貌の少年は、オメガを抱くか抱かぬかの、人生最大の瀬戸際に立たされていた。
重厚で厳かなガラスケースの中に飾られていても何一つ違和感の無い、その芸術品の如き美々しさ。綺麗に整えられたラベンダーアッシュの眉は苦悩に歪み、長い睫毛に縁取られた二重のターコイズブルーの双眸には、喉から手が出るほど欲しかった褐色肌のオメガが、狂おしいほどの熱量で映り込んでいる。
筋の通った鼻にツンと皺が刻まれ、色気のある薄い唇を噛み締めながら、ごくりと喉仏を鳴らした。
俺ちゃんがそっと、その非常に美しい柔肌の胸元に触れると、アンヘルは電気ショックを喰らったかのようにびくりと大きくたじろいだ。
密室内を支配する二人の心臓の音が、これ以上無い程にうるさく加速し、高鳴る。期待と不安、そして本能の暴食欲が綯交ぜになり、お互いの息が熱く荒くなっていく。
「……ッ、お、俺は……こんな不条理なハザードやなくて、もっとピュアな……段階を踏んだ恋愛を……ッ。……って、待って、今『最期に直忠の笑顔が見たいな』とか脳内で美化された妄想したのまで、パースされとる……?」
漸くの思いで喉の奥から消え入りそうな言葉を絞り出す教官様だったが、俺ちゃんはそれを無慈悲に遮ると、真っ赤になったアンヘルの顔を至近距離で凝視しながら、こう冷徹に言い放った。
「セックスしないと出られない部屋なんだろ。だったらもう、やるしかねーだろ。往生際が悪いぞ、さっさと男の腹を決めろ」
「た、助けが来る筈や……! テオドアかナハトがきっと気づいて……多分……ッ。なぁ直忠、あいつらが壁ぶち破って入ってくるまで、俺に近寄ったらあかんで!?」
「いつ? それまで俺たち、この空気の薄い密室の中で干からびずに生きてられるの~?」
「ぐう……っ!!」
アンヘルは奥歯を噛み締めた。そんなもん、言われなくとも百も承知だった。
自分が頼りにならない以上、あのふざけたパネルの指示(エロ本の様式美)に従うか、いつ来るかも分からない特務機関の救助を待つかの二者択一の賭け。
やけど後者は、そもそもこの世界のバグが相手ではいつになるか分からへん。かと云って、前者も指示通りにヤッたところで本当に扉が開く確証は無い──が、試す価値だけは、十二分にある。
「アンヘル君の記念すべき初めての相手が、こんな不細工でビッチな俺ちゃんでごめんな?」
俺が小悪魔の様にクスリと微笑むと同時に、暴食の教官様の薄い唇を塞ぐように、深く、濃厚な口づけを交わしたのだった。
(~~ッッ!! や、柔らか……ッッ)
俺がアンヘルの膝の上に乗りながら、首に腕を回して、ちゅ、ちゅう、と何度も唇を重ねる。
アンヘルは我慢出来ずに俺の腰に腕を回すと、ぐっと抱き寄せて唇を貪った。
「ん、んう、……ふ、ぁ……ッ♡」
──重なった唇の隙間から互いに甘い吐息が漏れる。
恐らくアンヘルにとっては初めてのキス。
2人の唇が重なれば重なる程に恋しくなる。
そっと離れるだけでも我慢出来ない。
互いに追い掛ける様にしてむしゃぶりつく。
──何故だか、アンヘルの心の声が伝わって来る。
ずっとずっと我慢していた。
それは誰かに命令されたからでもなく、自分の意思で、普通の恋愛をしたかったから。
普通に恋をして、付き合って、体を重ねる……夢だった。
我ながら少女趣味かも知れないが、この狂った世界で、毎日狂った日常を送る中で、唯一の癒しが欲しかった。
しかし身体は正直だ。
殆ど感じない体質を理解した上で自棄になって色んなオメガを抱いても何も感じない。虚しさだけが残るばかり。
逆にジーヴァやミハイルは性欲なんて1ミリも無いのでは無いかと思っていた。
──この、目の前の妖艶な色香の化け物が現れるまでは──。
(ふう~ん。そんな風に思ってた訳かぁ)
「あっ、そんな、がっつくなよ……ッ♡ 逃げねぇから……んっ♡」
はふはふと食らいつく様に唇を重ねると、俺は途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
(俺はこいつに負けたんや無い、性欲に負けたんや……ッ。べ、別に噂から聞いて存在が気になって無かったと云えば嘘になる……けど、まさかこんな形で……ッ)
キスをしながら自分のシャツのボタンを外そうとする俺をアンヘルは止めた。
「お、俺がするわ……」
「ふうん、別に良いけど……」
アンヘルがぷち、ぷち、と緊張で震える指先でボタンを1つずつ外していく。
そこから滑らかで艶かしい褐色の素肌が覗くと、アンヘルはごくりと喉を鳴らした。
露になった雄っぱいを下からぐ、と揉み上げる。
(おおお落ち着けッ、これは大胸筋や……ッ。お、お、お、男のオメガがどうしてこんなむちむちのおっぱいしとるんや~~ッ!? あかん、こんなん目の前に迫ってきたら、俺のピュアな段階が……段階がすっ飛ばされてまうがなッ!!)
弾けるような弾力と瑞々しい肌、蕩けるような感覚に陥ると、アンヘルは夢中で俺の胸を揉んだ。
「ん……っ♡ ぁ……ッ、ぅ……ッ♡」
俺は胸を揉まれる度に恥じらう様にくぐもった声を漏らす。
「な、なんや、、恥ずかしいんか?」
アンヘルが強がるように、ハハッと笑いながら俺を煽った。
俺は熱を持った潤んだ瞳でアンヘルを見据えると、アンヘルはぐう、と喉を鳴らした。
(こ、こいつ……ッ、いつもは強面の癖に、なんでこうもがらりと雰囲気が…………って、アカンアカン! 何ちょっと可愛いとか思とんねん俺! しかもこれ、直忠に全部読まれとるやんか!! 誤解や、違うねん直忠ぁ!!)
俺はそっとアンヘルの手に触れると、自身の桃色の粒に触れさせた。
「ここも、して……♡」
ぷにぷにと弾力があって柔らかい粒を恐る恐る弄るアンヘル。
人差し指と親指の腹でこねくり回すと、ぴくんっ、と身体を跳ねさせる。
次第に芯を持ってぴんと立つ粒を、アンヘルがべろりと舐めた。
「あ……ッ!♡」
ちゅう、ちゅぷ……吸って、しゃぶって、舐めて、噛んで、刺激を与える度に小さく喘ぐ俺が堪らなくいじらしく、もっと鳴かせたくなるようだった。
アンヘルの中の嗜虐心がむくりと鎌首をもたげた。
両粒を片方は指先で、片方は口でカリッと噛まれ、じんじんと疼く粒を熱い舌で舐められると俺の背筋を快感が走り抜ける。
「あぅ、ふ、ンン……ッ♡ ぁ、ぅあッ♡」
はっ、はっ、と浅く息を乱しながら、俺は与えられる快感に素直に身悶えする。
我慢が出来なくなってきた俺は、アンヘルの下半身に媚びるように自身の尻の割れ目を擦りつけた。
「…………ッッ!!」
下半身を刺激されて、俺を見るアンヘル。その瞳は期待に満ちていた。
もどかしそうに俺のズボンを脱がすと、そこに覆い被さった。
そっと俺の尻の割れ目に沿って指先を這わすと、しとどに濡れそぼつ穿孔から蜜が溢れていた。
ぬるぬるになったそこに指をゆっくりと挿れると中がきゅう、と締まった。
1本、2本、と加えて中をくちくちと解すように動くと、俺の口から甘えるような声が漏れる。
「ん、あ、あ゛……ッ♡ あっ、ぅん、く゛……ッ♡」
夥しい色気に目眩を覚えながら、アンヘルは焦るように自身のズボンのファスナーを下げ、ボクサーパンツの中からぶるんっと弾けるコル・ドラコ特有の大振りの立派なペニスを取り出すと俺の穿孔にあてがった。その太いカリ首と開ききった笠は正に凶器じみていた。
熱い質量を持ったそれを、ぐ、と力を入れ奥へと腰を深く持っていくと、もう十分に濡れて、指で慣らしたにも関わらず、そこは狭く、ぎちぎちにいっぱいになった。
しかし肉襞はペニスをスムーズに奥まで誘い込み、あっという間に誑かす。
少し腰を動かしただけで、アンヘルは呆気なくイッてしまったようだ。
「はは、なんだよ、もうイッちまったのか? あっ、また大きく……ッ♡」
俺が余裕綽々で笑っていたが、すぐにその顔が快楽に歪んだ。
「ぐ、うる、さいッ。まだや、まだ終わらへん……ッ」
吐精しても尚驚く程の回復力で再び大きくなったペニスで俺の奥へと勢いよく穿った。
狭くて温かくぬるりとした肉襞が美味そうにペニスを咥え込む。
腰を打ち付ける度に肉の壁がペニスに刺激されヒクリヒクリと痙攣し、とろとろの愛液がじゅわりと滲む。
「あっ♡ アッ♡ う゛、おぅ゛──♡ ぁ゛っ♡ ん゛ッ♡ ぐぅっ、んん゛ッ♡♡」
酔った影響もあってか、いつもの喘ぎよりもより雄みのある声で俺は恥じらいもなく啼いた。
「んふ♡ あ゛っ♡ あ♡ そこぉ゛♡ いい゛ッ♡ ん、ああ゛ッ♡♡♡」
「ん♡ イク♡ いぐっ♡ いッ♡ あ゛──ッッ♡♡♡ ~~ッッ♡♡♡」
桃尻の割れ目から、穿孔をとろりと精液が愛液と共に絡まり溢れ出る。
ビクビクッと身体が震え、口から涎を滴しながら涙目で喘ぐと中がきゅう、きゅう、と蠕動し締まった。
堪らずアンヘルも達してしまう。
ふう、ふう、と息を吐きながら、ぴくんっ、ぴくんっ、と痙攣し、俺はアンヘルに軽くキスをして「もっと、もっとして……ッ♡」とはしたなくおねだりした。
再びむくりと元気になるアンヘルの下半身。
ん、、と呻くように呟いて、俺は次に来るであろう快感に胸を踊らせ期待する。
「あ、あ゛ッ♡ んぁ゛ッ♡ ふっ♡ んん゛ッ♡ んう゛っ♡ ん、ん、うあ゛ッ♡♡」
ぱちゅんっ、ぱちゅんっ、バチュッ!!
肉がぶつかり合って弾ける音が2人きりの室内で大きく響いた。
「あ゛ッ♡ いいッ♡ いいッ♡ そこ♡ おく゛ぅ♡ もっとぉ゛ッ♡ んぁああ゛──ッ♡♡♡」
アンヘルの腰の動きに身を委ねた俺の身体が、熱い鉄の杭を打ち付けられた様に反動を伴ってガクン、ガクンッと乱暴に揺さぶられる。
それがやけに艶かしくて、乱れる髪、フェロモン、汗、涙、声……温もりがアンヘルの理性をどんどん駄目にしていった。
「ひっ♡ い゛♡ ってるぅ゛ッ♡ う゛ぁ゛、あ゛ッ♡ やぁ゛ッ♡ あ、きもちい゛♡ ぁ゛──ッ♡ んあぁあ゛ぅ゛~~ッッ♡♡♡」
ぱちゅ! ぱちゅ! ぱちゅん!
何度も何度も穿たれて、幾度も達して、あられもない姿を晒して、淫靡な喘ぎ声ではしたなく鳴き、艶かしい肢体で、甘ったるい熟れた果実のような色香で、アンヘルをどろどろに溶かして虜にしていく様は我ながらまるで精液を啜る女郎蜘蛛のようだ。
アンヘルの下で突き上げられる度に蠱惑に乱れて魅せる俺に、アンヘルは溺れるように抱くと、この色香の蜘蛛に絡めとられてしまう。
強すぎる官能にいやいやと首を振るが、されども脚はアンヘルの腰に絡み付く。
キスをして、舌を絡ませ合いながら、甘くて蕩けるような唾液に酔いしれた。
幾ら達しても快楽が次から次へと波の様に押し寄せて、途切れる事の無い快感に、際限無く俺を穿ちたい欲求が更に強まっていくのが伝わって来る。
蹂躙し、支配し、存分に孕ませる──。
「ぷぁ、は……ッ♡ アン、へルぅ……きもち、い……っ? おれは、きもち、いよぉ……っ♡ あ!? アッアッアッ♡ やあぁ゛~~ッッ♡♡ まって、まって、アッアッ♡ ひ、あっぁああ゛ッ、~~ッッ♡♡♡」
パンパンパンパンパンッ!!
俺が情けなく涙目になり、朱に染まった頬でとろりと濡れた唇から優しい声音と共にアンヘルの頭を撫でると、いても立ってもいられなくなったアンヘルが激しく腰を打ち付けてきた。
耳まで真っ赤にした顔で、口の端から涎を滴しながら、俺は目を見開いて驚きと快感に打ち震えながらアンヘルを見た。
噛みつくようなキスをされて、尚も攻め立てられる。
「は、さっきまで、余裕ぶっこいてた奴はどいつや……ッ」
アンヘルが煽ると、俺は困ったような顔をしてアンヘルの頬にキスをした。
「ご、ごめ、ん、なさい……♡」
「~~~~ッッ!!!!」
我慢の限界等とっくの昔に突破していると云うのに、まだ人の心を擽り弄ぶように手のひらで転がす俺に、アンヘルはまんまと嵌まってしまったようだ。
「あッ──!?!?♡」
48手の燕返し。
そこから強引に俺の奥へと更に激しく抽挿する。
止めどなくやってくる快感に、どうにか逃れようと足掻くがアンヘルは腰を密着させ脚をがっしりと掴んで離さない。
グブッ!! とあってはならない音がして、アンヘルのペニスが俺の結腸まで侵入してしまった。
そのまま獣のように犯されて俺は頭を振ってあられもなく喘いだ。
「うあ♡ あ゛──ッ♡ アッアッ♡ あ♡ ふあぁあ゛ッ♡ んぅ、ぐ♡ うぐっ♡ あっ♡ だめ♡ だめ♡ だめッ♡ おなかのなかいっぱいだからぁ゛ッ♡ こわれ、ちゃうよぉ゛ッ♡ うあ゛ッ♡ イ、くぅ゛ッ、~~ッッ♡♡♡」
「おねが♡ まってぇ♡ イッ、てる……ッ♡ イ、てる♡ からぁッ♡ んっ、んっ♡ やんっ♡ く、あ゛っ♡ あぁああ゛ッ♡ やらぁ゛っ♡ もう、おかしく゛♡ なるうぅ゛~ッ♡ ひあぁう゛~~ッッ♡♡♡」
アンヘルはそれでも腰を振るのを止めず、尚も激しく抽挿し、俺の艶かしい脚に舌を這わせ、噛みついた。
アンヘルは鋭い竜牙を剥き出しにすると、ドクン、と俺の下腹部でオメガの絶対法則が、アンヘルの放つ凶悪な捕食者臭に反応して激しく脈打ち始める。
ラベンダーアッシュの髪を振り乱したアンヘルは、日頃の軽薄な笑顔を完全に消し去り、ただ目の前の獲物を貪り尽くすことだけを望む飢えた獣そのものの瞳をしていた。
「ひゃ、あ……っ!? アンヘル、お前……ッ!♡」
「もう遅い、遅いんよ直忠ちゃん……。自分からこんな美味しそうなフェロモンをこれでもかって撒き散らして、俺の脳ミソを100%破壊しておきながら、今更逃げられると思わんといてな……!」
耳元で、暴食のアルファの熱い吐息が爆発する。
アンヘルの激しい愛撫は、さながら肉体と肉体が極限の速度で激突し合う、盛りのついた獣すら生ぬるい、本能そのものだった。
奴の熱い舌が、俺の継ぎ接ぎだらけの褐色肌をねっとりと這い回り、過剰変異した俺の嗅覚の粘膜には、アンヘルのドス黒い執着の匂いが限界濃度で流れ込んでくる。脳の認識規則がバグを平起こし、視界が快楽のパルスで真っ白に染まっていく。
閉ざされた部屋の怪しげな照明が、二人の激しいセックスを妖しく照らし出す。
お互いの粘膜とフェロモンが完全に混ざり合い、世界の絶対法則が書き換えられていくような、狂おしいほどの熱量が空間を満たしていく。
アンヘルは俺の太い腰をガシッと掴むと、その熱い本能のすべてを注ぎ込むように、俺の奥へと深く、深く、容赦なく突っ込んで来た。
「んあぁぁぁあ゛──ッッ!!!?♡♡♡」
俺の喉から、情けない絶叫が漏れる。
1度噛みついたら離さないとばかりに幾度も幾度も止めどなく溢れる欲望のままに、心行くまでアンヘルは俺を堪能し、それは、三日三晩に及ぶ濃密な監禁ハザードの、ほんの幕開けに過ぎなかった。
世界の理不尽なシステムに閉じ込められた2人の獣は、ただ互いの肉を求め、貪り合い、夜の帳が完全に明けるまで、その激しい闘争の手を止めることは決してなかった──。
◆
「──ヘル、アンヘルッ!!」
──声が聞こえる。
誰の声や……待て、この緊迫した響きには酷く聞き覚えがある。
これは──。
アンヘルは激しい焦燥感に突き動かされるように、がばりと勢いよく上半身を起こした。
視界に飛び込んできたのは、無機質な四方の壁でも、あのふざけた電子パネルでもない。木々の葉が陽光を遮る、見知らぬ場所……というか、鬱蒼とした森の中であった。
「は、……なんやここは……? って、ええっ!? お前なんでそんな服着てえんねん────ッッ!!!! ……って、アカンアカン! そんな格好されたら、俺の健全な大胸筋(おっぱい)の医学的考察が、ただのスケベ目線になってまうやん!」
ズザァッ!! と凄まじい土煙を立てながら、アンヘルはシャツ一枚というあまりにも無防備な格好の俺ちゃんから、弾かれたように距離を取った。
(あ、あ、そういえば……あの不条理な密室に閉じ込められてから、俺たちは確かずっと──。……待って、嘘やろ? 俺ら、ずっとあんなことやこんなことしとったん!? あかん、その記憶が今、直忠にリアルタイムでパースされとる──ッッ!? いや、もうあの部屋やないんや、そこは心配せんでええか……)
途端に、アンヘルの脳内で三日三晩に及ぶ濃密な強制中枢狂乱の記憶が、濁流の如くロールバックされる。
ポタッ、と熱いナニカがアンヘルの鼻先を伝い、緑の苔の上に零れ落ちた。
「アンヘル、大丈夫か? 鼻血、めっちゃ出てるぞ……」
「ええい、近寄るなぁッ!! それよりお前、自分の残りの服はどうしたんやッ!! ……あかん、こんなん目の前に迫ってきたら、俺のピュアな段階が……段階どころか理性が消し飛んでまう!! ってもう手遅れやん!!」
本気で心配して手を伸ばす俺の手を乱暴に振り払い、ビシッと人差し指を突き出して抗議するアンヘル。
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