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16実験セクター44号、および夜空のブルースクリーンについて後編①

「直忠、お前にエンブリオから小包届いてるぞ」  座敷の長椅子で寝そべっていた慶太が、ひどく面倒くさそうに片手でポンと俺に手渡してきた。茶色い防水紙で厳重に梱包された、日本防衛特務機関エンブリオの公印つきの小包。 「サンキュー。え〜と、なになに……おお! とうとうアレが完成したのか! ヨッシャア!!」  思わず誰もいない空間に向かって、俺はひとりで熱いガッツポーズを決めていた。  待ちに待った中身は、司令官の宗像のおっちゃんが国家予算を数億円ほど不当に引っ張って特注させたという、俺専用の超強化大胸筋サポーター──通称メンズブラの最新モデルだ。  包みを開くと、焦げた有機物と特殊ジェルの無機質な匂いが微かに鼻腔を突いた。  前面は堕竜の容赦ない衝撃波を分散させるための超高密度防弾繊維と、油圧プレス機のごとき圧力で俺の大胸筋を完璧にハイドロホールドする衝撃分散ケージが組み込まれている。重厚な戦闘服のようでありながら、背面は一転して肉体の躍動と排熱のためだけに極限まで削ぎ落とされた、デザインはセクシーで変態的な細いコードクロス仕様。お揃いの下部パーツと共に、褐色肌の境界線へ淫らに食い込む歪な機能美の結晶。  世界との同調率が崩壊しかけた俺の肉体を繋ぎ止めるための、これ以上ない最高で最低な装甲(ブラ)だった。 ◆ 「「うらああぁああ!!!!」」  割れるような泥臭い雄叫びが、連日連夜の訓練場に響き渡る。  候補生たちは地獄の死線でお互いに泥だらけの手を組み、作戦に作戦を重ね、気の遠くなるような試行錯誤を繰り返し、すると数え切れないほど失敗し続けた。  あの絶望的な始まりから、気づけば3週間という時間が経過していた。  咆哮を上げて向かってくる獅子の巨獣(レオ)に対し、ボロボロになった彼らが一斉に地面に手を突く。  その瞬間、砂浜を割って勢い良く強靭な大木の枝が急成長するように伸び、巨獣の四肢に硬く絡みついた。完全にその巨体を縛り上げ、身動きを封じる。  だが、それで安心もしていられない。  その程度の拘束ではそう長くは持たないことも、彼らはこれまでの敗北の中で痛いほど学んでいた。 「「おい!! ジェミニの方頼むぞ!!」」  レオの足止めを死守する候補生たちが、双子兎(ジェミニ)の担当班へと声を枯らして叫ぶ。  彼らは視線だけで深く頷き合うと、ジェミニが次に跳ぶであろう座標をあらかじめ予測し、先回りして一気に飛び掛かった。  空振り、空振り、空振り──絶望的な速度差。  しかし次の瞬間、張り詰めた空気の中で彼らの視線が交錯し、張り巡らされた伏線が静かに回収される。  双子兎の目の前に、概念的な巨大な四角い硝子の箱が出現した。逃げ場を失ったジェミニたちは、そこにぽつんと、檻に捉えられた小さな羽虫のように完全に捕獲された。 「「イヨッシャアアアア!!!!」」  地を震わせるようなガッツポーズと、野太い雄叫び。  砂まみれ、汗まみれになりながら、限界を超えた達成感のあまり、その場に崩れ落ちて感極まって泣き出す候補生までいた。  死線の上で必死に踊りきった彼らの姿に、見守っていた俺たちまで熱いものが込み上げ、気づけば拍手喝采を送りながら一緒に貰い泣きをしていた。  ちなみに、本番はこれで終わりではなかった。夜にはさらに過酷な、罠だらけの暗黒の森を抜け、ゴールである山の麓まで全員で辿り着くという課題が残っていたのだ。  こちらもかなりの苦戦を強いられ、罠にかかるたびに肉体が摩耗する凄惨な行軍となったが、奇しくも同日の夜、やっと全員が五体満足のまま無事にゴールへと滑り込んだ。  最上位アルファ(コル・ドラコ)の出した絶対的な期限内に、全ての合格条件をクリアすることは叶わなかった。  それでも、戻ってきた彼らは泥と傷にまみれた顔で、どこか誇らしげで満足そうな笑みを浮かべていた。  何より、これまで決して相容れなかったはずの、誇り高き二つのエリートライバル組(ノーブル・ドールとノーブル・ダルジャン)の間に、血と汗で洗われた確かな友情が芽生えたのは言うまでもないと思う。  相変わらず、ドール側の竜たちは、ダルジャン側の竜たちのことが気に入らないようだし、その逆も然りだが……まあ、それはお互い様か。  それでも、ボロボロになりながらも一回り大きな戦士へと成長した候補生たちの後ろ姿を見ながら、コル・ドラコ達は「やれやれ、これだからクソガキ共の相手は割に合わねえ」と、くたびれた口調で煙草の煙を吐き出していた。  けれど、その視線の奥の、数ミリだけ緩んだ目元は──育成プロトコル段階の候補生たちの生還を、誰よりも優しく、嬉しそうに誇っていた。  ──次の日。  残りの1週間を好きに過ごして良いとコル・ドラコからご褒美を貰った候補生たちは、大歓喜だった。  早々に水着に着替えて海へと向かう彼らの後を追うように、俺たちキャストも各自の装備を身に纏い、眩しい砂浜へと足を踏み出した。 「お前……なんやその格好は」  アンヘルが口をあんぐりと開けたまま、ひどく眉を顰め、まるでこの世の終わりでも目撃したかのようにぶるぶると人差し指を俺に向けてきた。 「え? 水着じゃん?」 「ウェットスーツや無いかああぁああ──ッッ!!」  アンヘルが喉の奥を引き裂くような力任せの声を上げた。鼓膜に響いて耳が痛い。 「もっと、こう、……無かったんか……だってお前、いつもはもっと、羞恥心のネジが一本残らず吹き飛んだような、無防備にも程がある格好をしとったやないか……」  身振り手振りを激しく交え、宙で何かを掴むようにわきわきと怪しく指先を動かすアンヘル。  そんな彼の狼狽ぶりを完全にスルーしながら、俺は心底わけがわからないという怪訝な表情で言い返した。 「俺に何を求めてるのかちっともわかんねーけど、たまにはこういうカチッとしたのも良いよな~って思って着たの。文句ある?」  俺は固まっているアンヘルをその場に放置して、慶太たちと一緒に、砂浜でノチェルオを埋める遊びを始めることにした。  背後で呆然と立ち尽くすアルファの視線など知る由もなく、俺たちは至って平和に、キャッキャウフフと砂塗れになってはしゃぎ合う。 「ノチェルオちゃ~ん、おっぱい大きくしましょうね~!」 「いや、なんで? なんで僕が今から埋められるの???」  涙目で狼狽えるノチェルオ。  けれど、なんだかんだと不満を口にしつつも、大人しく砂の上に横たわって埋められてくれるんだから、本当に優しい奴だと思う。  ノチェルオ……大好きッ。  ある程度深く掘り下げた砂のベッドにノチェルオを寝かせ、俺たち五人は楽しげに砂を被せて、即席の砂像を完成させていった。 ◆ 「アンヘル、お前の言いたいことは痛いほど分かるぜ……」  ──徐に砂浜の陰から現れたナハトが、アンヘルの肩にそっと手を置いた。その眼差しは完全に光を失っており、死んだ魚のような虚ろさで、遠くで砂遊びに興じる直忠を見つめている。  その背後には、ジーヴァやモルドレッド、テオドア、ミハイルといった面々が、何やら酷く不満げな表情を浮かべて集結していた。唯一、アクシャラだけは腕を組んだまま、特に何の反応も示さずにその光景を静観している。 「上半身を覆う厚手のウェットスーツだけならまだ耐えられた……だがアイツは……その下にさらにサーフパンツまで穿き込んでやがる」 「あれじゃあ、素肌どころか、衣服の裏に隠された肉体のラインすら一切拝めねぇなァ」  モルドレッドがカサカサに乾いた溜め息を吐き出し、独占欲 of 独占欲のやり場を無くして爪を噛む。 「色気も何もあったもんじゃないね」  どこか遠い世界を見つめるような目で、テオドアが冷たく口角を凍らせた。 「ハッハッハ。全く凡愚の考えることは、この俺には到底理解できんな」  一人だけ場違いにふんぞり返るミハイルだったが、次の瞬間、ナハトとアンヘルの容赦ない拳がその紅蓮の頭頂部へと同時に振り下ろされた。 (直忠……何故、わざわざそれを選んだんだ……)  ジーヴァは虚無を宿した眼差しで、完全にガードされた直忠の背中をじっと見やった。脳内の執着回路が奇妙な拒絶反応を起こし、狂いそうになる。  しかし、彼らがその乾いた絶望に浸っていられたのも一瞬だった。すぐに他のキャストたちや、最上位アルファであるコル・ドラコに熱烈な視線を送る候補生たちの大集団に包囲され、エリートアルファたちは抗う間もなく、そのまま砂浜の彼方へと連れ去られていくのだった。 ◆ 「ねえ、ちょっと……どこ行くの?  僕を置いて行かないで!!」  砂遊びに飽きた俺と慶太、炉舞たちの意識は、自然とエメラルドグリーンに輝く海へと向かっていた。  慌てたノチェルオの必死の大声に呼び止められて、俺たちはハッとしてようやく我に返る。 「あ、悪い悪い! すぐに砂を退けるから待ってろ〜」 「やべえ、ガチで忘れてた」  ノチェルオを回収するべく、いそいそと両手で砂を掻き分ける俺たち。当のノチェルオは、頭だけを砂浜から出した状態で、心底胡乱な目を向けて俺たちを睨みつけていた。  どこまでも続く、澄み渡った青い海。  空はどこまでも穏やかで、上空から照りつける太陽の光が網膜に痛いほど眩しい。  俺は額に片手を翳し、目を細めて境界線の曖昧な空と海を見つめた。  それから、白く泡立ちながら足元に寄せては返す波へと視線を落とす。 (海……)  その規則的な水音を聴きながら、俺は錆びついた過去の記憶をゆっくりと思い出していた。 『うみ?』 『そう、海、だ。こう書くんだよ。さんずいに、毎……』  滝さんが目を細めて、小さな俺に笑いかける。  滝さん。あの血と鉄の匂いが染みついた、ほの暗い地下闘技場で、唯一俺を化物ではなく人間として対等に接してくれた恩人。名字は滝さんから、名前も滝さんがつけてくれた。  長いこと患っていた病でもうこの世には居ないけれど、彼の言葉だけは俺の脳裏に焼き付いたまま離れない。  滝さんは白い紙の切れ端に、鉛筆ですらすらと達筆な文字を刻んでいく。 『海……は、どんなとこ?』 『何処までも広く、地平線の彼方まで続くような、青い水……そして凄くしょっぱい』 『なんで?』 『大量の塩化ナトリウムが混ざっているからな、海水は塩辛いのさ。泳ぐと気持ちいいぞ。直忠、お前もいつか海を自分の目で見られたら、泳いでみな。楽しい事をどんどん見つけるんだ。こんな掃き溜めにいつまでも居ることは無い』 『やだ……おれ、滝さんと一緒が良い。ずっと一緒が良い! うみ、いやっ』  俺は必死になって、滝さんの細い身体にしがみついた。  そうして強く掴んでいないと、煙のようにどこかへ消えてしまいそうだと思ったんだ。 『はっはっは! ……お前はいつまで経っても甘えん坊だなぁ』  滝さんの皺が深く刻まれた大きな手が、優しく俺の頭を撫でてくれた……。  ──そんな遠い過去の、大切な記憶。 (……相変わらずひんやりと冷たい)  ウェットスーツの裾から露出した足先を、ちゃぷ、と海水に浸ける。  ごくりと喉を鳴らして、手にした浮き輪の硬いゴムの質感をぎゅっと握り締めた。  沖のほうから、慶太や炉舞が「おいでおいで」と手を振ってこちらを呼んでいる。  次の瞬間、無防備な背中に強烈な物理衝撃が走った。  俺は足をつんのめらせ、前方の海面に向かって、思い切り白い飛沫を上げてダイブする形で倒れ込む。 「ブハァ! べえ゛──ッ! しょっぱい!!」  口内に入り込んだ強烈な塩化ナトリウムの味に顔をしかめながら、慌てて水面から顔を出して振り返る。 「ふん、ちんたらと何をしてるのかと思えば……」  そこには、いつものように不機嫌そうな顔をした清守が傲然と立っていた。  どうやら、俺の背中をダイナミックに蹴飛ばして波間に沈めた犯人は、間違いなくコイツらしい。 「おい、清守! なにすんだよっ」  沖から戻ってきた炉舞が、あからさまに顔を顰めて怒りの声を上げた。  斗真が慌てて海を掻き分けるようにして俺の側まで駆け寄ると、「大丈夫?」と優しく気遣うように声を掛けてくれる。 「ぼさっとしているのが悪いんだ。ゴリラはいつものろまだからな」  ふふん、と不遜に鼻を鳴らし、腕を組んで傲然と言い放つ清守。その後ろに手下さながらに他の訓練生たちを従えて立っている姿は、どこか我が儘な女王を思わせた。 「へっへっへ。お前、もしかして一人で寂しかったんだな?」  俺がニヤリと不敵な笑みを浮かべてからかうように声を掛けると、清守はその整った可愛らしい顔を一層不機嫌そうに歪めた。 「おい、直忠。そんなの放っておけよ。あっち行こうぜ」 「りょーかい。あ、そうだ」  慶太に促されて歩き出そうとした俺は、ふと思いついたように清守を振り返った。 「もしかして清守ちゃんって、本当は泳げないの~!?」  舐めきった口調で尋ねた瞬間、勢い良く海水を顔面に引っ掛けられた。清守は怒り心頭といった様子で、ずんずんと容赦なく波を割って海の奥へと入っていく。 「馬鹿にするな! ゴリラと違って俺は完璧に泳げるんだよ! ほら、見てみ──」  勝ち誇ろうとした清守の姿が、不意に、吸い込まれるように海面から消失した。  俺は頭上に疑問符を抱えながら、咄嗟に頭へシュノーケルマスクを着けて海の中へと顔を突っ込んだ。 「────ッ!?!? 」  視界に飛び込んできたのは、泡の向こうで必死の形相を浮かべる清守の姿だった。何処の馬の骨とも知れぬ不条理な力が、その足を底へと捕らえて完全に身動きを奪っている。 (清守!!)  俺は慌てて浮き輪をその場に放り投げると、抵抗の強い水の奥へと向かって一気に腕を掻いた。深く潜り、伸ばした腕でやっとこさ清守の細い手首を掴み取る。 (ぐ、なんだこれ……凄く力が強い……ッ! 畜生、離してたまるか!!)  一体何が起こっている。  清守が苦しそうに身を踠かせている。当然だ、海の中じゃ人間は息も出来ない。  ぶくぶくと銀色の泡を吐き出しながら、彼の肺の中の酸素が急速に減っていくのが見えた。  不味い、このままじゃタイムリミットを迎える──。  俺は無我夢中で清守の身体を手繰り寄せるように引き寄せると、己のシュノーケルマスクを強引に外した。視界が水に滲む中、清守の唇に自分の口をぴったりと重ね、残った息を力強くその肺へと吹き込んだ。 (これで何とか……ッ)  世界との同調率がねじれるような不条理な感覚。不意に、清守を底へ引っ張っていた見えない力が僅かに弱まった。  俺は本能だけで清守をこちら側へ抱き寄せ、濁る水の奥から海上を目指して必死に浮上した。  ──そして、眩しい光を網膜に捉えた瞬間に、俺の意識はぷつりと途減絶した。 「──た、ただ、直忠!!」  誰かが張り裂けそうな声で、必死に俺の名前を呼んでいる。  この、どこか焦げ付いた焦燥感に満ちた声は、一体誰のものだろうか。 「う、ん……げほっ、ごほっ!」

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