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17アノマレコード:005-E(東京湾特区言語汚染・自傷精神腐食災害記録/刹那、時々、毛根ごと②

「──堕竜警報、広域認識災害、第一種最上級警戒を発令。セクター〇五・東京湾お台場を中心とし、半径四キロメートル圏内の因果律に深刻な破綻を確認。超巨獣の超空間穿孔を視認しました。地上世界への完全現界まで、十、九、八──」  日本防衛特務機関『エンブリオ』の地下深国に位置する中央統制管制室。そこは、無数の電子音声の冷徹な重奏と、オペレーターたちの悲鳴に似た狂乱の怒号が激しく交錯し、空間の酸素を急速に薄め、焦げ付いた重油の気配を濃厚に漂わせる地獄の底だった。 「エンブリオ地上固定重魔力砲、全軸物理ロック完了! 照準誤差ゼロ!」 「第1から第8エネルギー伝導管、伝導率120%を突破! 反応炉、臨界点を迎えています。融解まであと数秒!」  管制室のオペレーターたちが、ミリタリー独特の冷徹な高速詠唱で、コンソールに無機質なお役所仕事を叩きつけていく。爪の隙間から滲み出た鮮血が、白漆の文字盤を赤く染めていく。 「対竜重魔力、完全解放! 一斉射撃、テ──ッッッ!!!!」  激震。防爆ガラスの向こうで、大気を分子レベルで融解・蒸発させるほどの凄まじい熱量を持った魔力弾頭が、現世の闇を切り裂く純白の光の槍となって堕竜の巨躯へと撃ち込まれた。大気がプラズマ化し、地下通路全体が割れんばかりの衝撃波に包まれる。 「直撃──!! ターゲットの肉眼視認、消失!」  オペレーターたちの歓声が上がる、その一瞬の寸前。 「──魔法弾、駄目です!  全く効果がありません! 撃ち込まれた弾頭質量、熱量、エネルギーのすべてが中和……いえ、因果のバグによって完全に無効化されています!」 「クソ!! コイツも熱線浸透率ゼロだと!? エンブリオの最新戦術理論を前回より更に強化したと云うのにすべて無視した概念装甲で弾かれているのか!? くっ、通常のログでは記述不可能です!」  血の気の引いたオペレーターの悲鳴が重なり、管制室に絶望の沈黙が広がる。通常の戦術データでは一切太刀打ちできない、完全なイレギュラー。  大型モニターを見上げる宗像司令官は、くたびれた外套のポケットに深く両手を突っ込んだまま、くたびれた顔のまま、ただ一本のタバコに火をつけた。その指先だけは、冷酷なまでに静止している。 「……うんうんうん。特異個体だね。効くわけ無いよね、お役所の作ったオモチャじゃ。現世のルールで、あの不条理を裁けるわけがない」  気だるそうで、それでいてすべてを諦めたような冷静な一言が、静かに室内に落ちる。  司令官・宗像。この不憫な大人であるスケベおっさんは、濁りきった瞳の奥底に、これから始まる圧倒的な不条理の幕開けを冷徹に見据えていた。 「異空間深度、計測不能領域へ突入! 物理構造の基本定数が急速に崩壊中! 虚数境界が完全に剥離します!」 「──七、六、五──」 「お台場大橋の鋼鉄フレームが自重を無視して反転! 破壊された無数のコンクリート破片が、重力を失った肉の消しゴムのカスのように宙に浮き、互いの角を削り合いながら逆再生のように歪んで組み上がっていきます!」  その瞬間、空間が内側からハイドロプレスで押し潰されたように、生々しい金属の軋み声を上げて引き裂かれた。そこから噴出したのは、焦げ付いた有機物と、排気ガスの匂いを限界まで濃縮したような、視界を完全に遮断する黒錆色の不吉な靄だった。 「──四、三、二、一。……対象、現界(ハザード・アウト)。物理的接触を許容します」  出現したそれは、既存のあらゆる生態系と神の秩序(オーダー)への、最大にして最悪の冒涜そのものだった。  全長数百メートルに及ぶその巨体は、全身が無数の、それも数千、数万の、今なお苦悶に歪み、脂ぎった「人間の生々しい口」だけで隙間なく埋め尽くされた、おぞましき肉塊の塔。皮膜の裂け目から覗く粘膜は錆びついた金属の赤黒さを放ち、無数の肥大化した舌が、互いの脂と唾液を貪り合いながらピチャピチャと不快な湿った音を立てて蠢いている。  通常のデータベースには一文字たりとも存在しない、完全な識別不能個体(イレギュラー)。  いつもなら戦場を完璧な王道攻めの力で圧倒し、華麗に敵を屠るはずの、高潔なる美形集団『コル・ドラコ』のエレンやロイ、イエーガー、ジャックたちが、その完璧な陣形を保つことすらできず、想定外の異常事態を前にして泥濘の中で大混乱に陥っていた。 「駄目です! 通常の戦術データ、過去の戦闘ログ、既存のあらゆる高周波防護障壁、一切太刀打ちできません! 完全に無効化されています!」 「前線部隊の精神損耗率、95パーセントを突破! 精神の堤防が、内側からハイドロプレスで圧殺されていく……ッ!」  肉塊の塔に生い茂る数万の口が、一斉に肺胞を鳴らし、世界を呪う不快な咀嚼音と共に、空間を震わせる言語の弾丸を全方位に吐き出し始めた。 『──死ね、消えろ、お前が存在すること自体が世界の致命的な歪みだ、今すぐ爪で己の臓物を毟り取って海に投げ捨てろ、その首を自ら毟り取れ──』  その【言語汚染・精神腐食】の波動が空気の分子を震わせ、耳に到達した瞬間、周辺一帯のモルガナの訓練生たちや、退避の遅れていたエリートアルファ達の脳細胞は、チェーンソーで内部から滅茶苦茶に引き裂かれるように、一瞬で致命的なバグを発症した。 ◆ 「あ、ああ、あああぁッ!」  ある者は自身の衣服を引き裂き、鋭く尖った己の指爪を喉肉に深く突き立てて、血飛沫と共に気管を掻きむしり、ある者は虚ろな瞳で狂ったように銃口を己の顎の下へと押し当てて引き金を引く。脳内のすべての思考が、防ぎようのない絶対的な自殺願望、自己破壊衝動へと強制変換されていくのだ。  理性がノベライズのページを破るように引き裂かれ、命令系統は致命的なノイズで埋まり、相互交信は完全に途絶。泥に塗れて己の頭を抱え、正気と恐怖の狭間で視線を数ミリ揺らして硬直していた。  全滅、そして特区の完全消滅の二文字が管制室の全員の脳裏を過り、絶望がハイドロプレスの重圧となって降り注いだその刹那、司令官・宗像の濁りきった瞳に、特務機関の王としての冷徹な、血生臭い光が宿った。 「通常のログじゃ埒が明かねえ。……あの最高機密(アノマレコード)をぶち開けろ」  宗像の低く乾いた、金属が擦れ合うような声が、管制システムの主機へと強引に介入する。 「しかし宗像司令官! あれは未だ処理中の、直忠という青年をめぐる狂った竜たちの最悪の災害記録──」 「構わん、因果の蓋を力任せに剥ぎ取れ。あの青年の持つ、エリートの脳細胞をチェーンソーで切り刻む『異常な重力』の記録でなければ、この不条理の汚染は絶対に中和できん」  システムが強制起動し、中央モニターに血の滲むような赤で【ANOMARECORD:005-E】の文字が刻まれた瞬間、お台場の黄昏の天空が再び、内側から爆発的に引き裂かれた。  【アノマレコード 認識ログ:005-E】  【対象識別:堕竜『おしゃべりな死体』】  【固有属性:言語汚染・自傷精神腐食──全身が無数の人間の生々しい「口」で覆われた「肉塊の塔」を形成。対象の発する咀嚼音および呪詛を聴取した生命体は、脳内の全思考が自己破壊衝動へと強制変換され、防ぎようのない絶対的自殺願望による自傷行為(不可逆的自滅)を始める規則性を検出】  【警告:現在、黄昏の竜アンヘルの精神領域より、固有因果『直忠』のデータが毎秒14%の速度で剥離中】  【エラー:対象(アンヘル)の精神に極度なバグ(狂愛/ラット)が発生。最大物理質量による東京湾お台場全域の『自滅的自食プロトコル』が緊急起動】  【緊急事態:個体名『直忠』、精神体にて『おしゃべりな死体』の全言語汚染・精神腐食負荷をインターセプト。  ──肉体(ヴェセル)へのフィードバック発生。胃壁反転、内臓剪断。バイタル生命維持限界(デスライン)まで残り42秒。中和プロトコルの記述を開始します──】 「──概念毒限界突破、黄昏の竜、コードネーム『アンヘル』号、異空間からの投下まであと十、九、八──」  緊迫したオペレーターの絶叫カウントダウンと共に、虚数空間の障壁を圧倒的な物理質量だけで踏み破り、金色の毛並みを持った巨獣が天空からお台場の海へと降臨する。大罪の業(暴食)を背負った、物理最大質量を誇る、世界を喰らう飢餓の化身。  だが、その絶対的な巨獣すらも、現界した瞬間に『おしゃべりな死体』が放つ数万の口からの呪詛を、その巨大な鼓膜にまともに浴びてしまった。 「ガ、ア、ア、アアアアアアアアアアアアアアアッ──ッ!!!」  アンヘルの巨体が、内部の脂が猛火で爆ぜるような、生々しく凄惨な音を立てて激しく震える。直忠への狂気的な執着バグによって、すでに理性のブレーキが粉々にへし折れていた彼の暴食の衝動が、精神汚染の呪詛によって最悪の方向──【自食】へと反転したのだ。 『美味い、美味そうや、俺の肉、こんなに脂が乗っとる、直忠に食わせる前に、俺が全部食うて骨まで噛み砕いたるわぁ!!』  巨獣は関西弁のツッコミ役としての理性を完全に失い、狂気に満ちた激情の咆哮を上げながら、自身の城門のように鋭い牙で、己の黄金の四肢を、胸の肉を、生々しくズタズタに噛みちぎり始めた。ボキボキと骨が砕け、肉が引き裂かれるたびに噴き出す、強酸性の沸騰した血液が、お台場の美しい海をドロドロとした暗緑色の汚泥へと融解させ、周囲に焦げたレバーと錆びついた鉄の悪臭を撒き散らす。  その凄惨極まる、血と肉が飛び散る死線の中心へ、平然と歩み寄る一つの影があった。  真宵直忠。  全身は地下闘技場仕込みの凄惨な継ぎ接ぎ傷だらけ、衣服の隙間から国家予算数億円の特注メンズブラの黒い防弾繊維をパツパツに覗かせた青年が、普段の能天気な笑顔を完全にその仮面の裏へと隠匿し、死線の上で真剣に鋭利に踏み出す。  ベースは引き算の美学。無駄な肉をすべて削ぎ落とした、世界最高造形の青年の引き締まった褐色肌の肉体が、巨獣たちの凄惨な戦場でハイドロプレスのように力強く躍動する。  すでにミハイルと寝て味覚の泥を、アンヘルと寝て左目の失明をロールバック(完全修復)させた直忠は、己の肉体に累積し続ける絶望的なペナルティの激痛を完璧に隠し持ったまま、自食を繰り返すアンヘルの巨体の前に立ちはだかり、その両腕を大きく広げた。 「──全部、俺が引き受ける。アンヘル、お前のその狂った暴食も、世界の歪みも、全部だ……ッ」  直忠が低く呟いた瞬間、アンヘルの巨大な脳に注がれていた数万回分の「自殺呪詛」の質量が、人間オメガの異常体質を因果の媒介にして、すべて一時に青年の脳内へと逆流、流入した。 「が、あ、ああ、あ、あ、アアアアアアアアアアアアアアアッ──ッ!!!!!」  直忠が、天を仰いで絶叫する。脳味噌を直接金属のチェーンソーで抉り取られ、焦げ付いた重油と排気ガスで煮浸しにされながら、絶え間なく火をつけられるような圧倒的な狂気と苦痛の津波。  世界との同調率崩壊による累積ダメージが、ハイドロプレスの超重圧となって青年の五感を直撃する。彼の口内は、一瞬にして腐った内臓の味と、焦げ付いた有機物の悪臭、錆びついた金属パーツの質感で完全に支配された。全身の継ぎ接ぎ傷の縫い目が一斉に弾け飛び、鮮血が噴き出して、背面に走る極細のコードクロスを赤黒く濡らしながら肌に深く深く食い込んで悲鳴を上げる。あまりの苦痛に青年の左目は再び鮮血に染まり、一時的な部位消失の前兆として、その引き締まったシックスパックの輪郭が、虚数の空間へと不穏に溶けかけ、数ミリの視線が世界の歪みを捉えて泳ぐ。  しかし、青年の精神の奥底にある、地下闘技場で培われた凄惨な哲学は、どれほどの認識災害の前にあっても、決して折れ服すことはなかった。  笑顔の裏に隠匿した静かな絶望と、完璧な儚さを、お前たちのような不条理な怪物の呪いにくれてやるわけにはいかない。 「ぶはっ……!! げ、ゴホッ、オロロロロロロロロロロロロロロッ──ッ!!!!」  直忠は、脳を内側から破壊し尽くすはずだった数万人の死の言葉と呪詛の質量を、文字通りドロドロとした胃液と大量のゲロとして、お台場のコンクリートへ向けて勢いよくぶち撒けた。  それは精神汚染という不条理の、物理的な質量による強制中和。おぞましい概念毒が、青年の嘔吐物という卑俗な汚物へと変換され、大地を汚し、激しい音を立てて泡立ちながら霧散していく。  汚泥のような黒い呪詛がコンクリートに焼き付き、強烈な腐敗臭を伴って気化していく中、直忠は肩を激しく上下させ、膝をついていた。全身の皮膚がひび割れ、そこから滲み出る血が、特注胸当ての極細コードクロスを赤黒く染めていく。一呼吸ごとに、焦げ付いた重油の匂いが肺を灼き、視界の端が砂嵐のように明滅した。内臓をハイドロプレスで押し潰され、五臓六腑が裏返るような激痛が、ロールバックされたばかりの神経を無慈悲に蹂躙する。  それでも、青年は消えかける意識の綱を、その凄惨な根性で引き戻した。血混じりの唾を吐き捨て、震える脚に力を込める。割れた爪が地面を削り、青年の身体から立ち上る、熱に浮かされたような甘美なヒートフェロモンが、周囲の焦げた有機物の悪臭を強引に塗り替えていく。 「……あ?」  自食の呪縛から完全に解放されたアンヘルが、血走った眼を開き、己の腕を噛みちぎるのを止めた。  視線の先には、膝をつき、ゲロと血に塗れながらも、お人好しに不敵に笑ってみせる直忠の姿がある。 「──やれ、アンヘル。お前の最大質量、見せてみろよ」  直忠の短い、しかし全てを受け入れる拒絶と肯定の言葉が、黄昏の竜の理性のブレーキを完全に粉砕し、消し飛ばした。  魂を抜かれたゾンビのように、直忠という特異個体の放つ底なしの異質な重力に脳細胞をチェーンソーで引き裂かれた巨獣は、その物理最大質量をもって、肉塊の塔『おしゃべりな死体』へと凄絶な跳躍を見せた。  文字通りの、圧倒的な圧殺だった。  黄金の質量が不条理な怪物を大地ごと完璧に踏み潰し、数千の口が悲鳴を上げる暇もなく、肉の消しゴムのカスへと完全粉砕、デリートしていく。  巨獣の爪が肉塊の塔の表皮を縦に引き裂くと、内部から錆びついた金属パーツのような骨格が、不快な高音を立てて砕け散った。アンヘルは狂気的なキレ芸の咆哮を上げながら、その圧倒的な顎で、数千の口を持つ怪物の頭部を丸ごと噛み砕き、東京湾の汚泥へと叩きつける。  肉片が飛び散るたびに、お台場の大地が激しく震動し、周囲のコンクリートが粉々に爆砕されていく。物理的な暴力のハイドロプレスが、概念怪異の存在そのものを、因果の底へと力任せに押し潰していった。  『おしゃべりな死体』の無数の口が、潰された肉の隙間から『あ、あ、が、し、ぬ』と、潰れたカエルのような声を漏らし、最後はアンヘルの尾の一撃によって、一粒の肉片も残さず虚数の彼方へと完全に消去された。  凄まじい衝撃波がお台場を駆け抜け、やがて世界の絶対ルールによる終末論的演出と共に、破壊された街や飛び散った肉片が一瞬で逆再生修復(完全ロールバック)されていく。錆びついた鉄の歯車が互いの脂を貪り合うような金属音を立てて、世界が元通りに、何事もなかったかのように完璧に組み上がっていく。 「ふぅ……死ぬかと思ったわ」  ツルツルの静寂が戻ったお台場のコンクリートの上で、直忠は能天気な顔をロールバックさせ、衣服の隙間から、汗と血で濡れた黒い特注メンズブラの位置を「ぷるん」と直した。精神面の回復まで約1日──。  その瞬間、血の海の真ん中で、背面の極細紐が褐色の最高造形に淫らに食い込むその光景を、特等席で見つめていたアンヘルの脳細胞が、二度と元に戻らない極太の衝撃で、真っ黒に焼き焦げたのだった。

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