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18アノマレコード:006-F(お台場特区猛毒概念・細胞浸食壊脱災害記録/サイコーにイカレポンチ①

 堕竜を崇拝する狂信のカルト教団ザルヴァートル。  彼らは天界から堕ちたる女王の肉片を、悍ましい苗床として人間へと植え付け、血の実験を使い続けてきた。  数多の肉の消しゴムのカスを積み上げた果てに、教団が『最高傑作』と自負する特異な偽竜が生み落とされる。  それは、生命の樹を揺るがす不条理な研究の結末──人間に堕竜の血肉を精子へと置換して受胎させ、強制的に胎内で調整された異質の生命だった。  だが、産み落とされた個体は、皮膚を引き裂かれ神経を剥き出しにされる凄惨な人体実験の重圧に耐えかね、その内に宿る破壊の衝動を爆発させる。  結局、制御不能の烙印を押された哀れな野犬は、ゴミのように路地裏へと遺棄された──。 ◆  ──それは、世界の歪みを隠匿して回る、いつもの退屈な日常に過ぎなかった、筈だった。  適当に新宿の喧騒を散策していると、ガラス張りの瀟洒なテラスが目を引くお洒落なカフェを見つけた。 (おお、あそこで優雅に紅茶とパンケーキでも──ぐふふふふ)  俺は笑顔を能天気に弛ませ、自己評価の低い『ただのムチムチの肉塊』を揺らしながら、美味しい妄想を膨らませる。 「何頼もっかな~。バニラアイスとバターと蜂蜜とホイップクリームと果物と──」  欲望に忠実なド変態ビッチの片鱗を覗かせ、注文の羅列をぶつぶつと呟いた、その時だった。  ──ん? (今なんか、見てはいけないものを見たような)  俺は無言で踵を返すと、笑顔の下に地下闘技場仕込みの凄惨な哲学を潜ませ、改めて今来たコンクリートの道を逆方向へと戻った。  ブティックとビルの狭間に切り取られた、陽の光すら届かない乾いた暗がりの路地裏。  その汚泥の吹き溜まりに、一人の人間が打ち捨てられたように倒れていた。  よく見ると、それは使い古されて泥に塗れたボロ雑巾みたいに、無残に汚れている。  纏った衣服はカッターで切り刻まれたように穴だらけで破れてるし、頭頂部からは夜を拒絶するようなオレンジ髪の天然パーマが、ボサボサのウルフカットとなって奔放に跳ねている。  捲れあがったボロ靴の隙間からは、凍傷一歩手前の煤けた足の指先が、無防備に覗いていた。 「お──い」  声を掛けてみた。  屈みこみ、ぷるんぷるんの雄っぱいをホールドする特注メンズブラの擦れる音を響かせながら、気怠げに様子を窺う。  返事の代わりに路地裏の湿った空気を震わせたのは、獣の咆哮を思わせる、そいつの大きな腹の虫の鳴る音だった。  腹が空いてるのか。  俺は辺りを見渡して緑色の看板を捉えると、スラムの泥団子と称されるマゾン高円寺での生活力を発揮し、近くのコンビニを見つけたので急いで店内に飛び込んだ。 「おい! おにぎりとー、唐揚げ!  買ってきたぞ。憐れな浮浪者よ。俺に感謝して崇め敬い奉れよ」  両手に惣菜の詰まったビニール袋をぶら下げて戻った俺は、不条理認識災害の真剣さをギャグで塗りつぶすように、大袈裟なステップで路地裏へ滑り込んだ。 「つーか生きてる?」  恐る恐る様子を窺うように、薄暗い地面へ顔を近付けた、その瞬間だった。  ボロボロの男はガバッと不自然な跳躍で起き上がると、飢えた怪物の速度で、俺の手に持っていたポリ袋を暴力的に引ったくった。  プラスチックの擦れる金切り音が響く。  そいつは狂った野犬のパッションを剥き出しにしながら、それから凄い勢いでおにぎりを包装ごと噛み破って頬張り、油の滴る唐揚げも指ごとむしゃむしゃと貪り食べた。 「そんなに慌てて食うと喉に──」  俺が云い掛けて声をかける間もなく、そいつはおもむろに「ゴフッ」と排気ガスのような声を漏らして窒息しかけ、己のガリガリの胸元をどんどんと激しく叩き出した。  見かねた俺が、ペットボトルのお茶を手渡すと、それすらも濁った爪で獰猛に引ったくられた。  ごきゅ、ごきゅ、ごきゅッ、と喉仏を上下させて勢い良く茶を飲み下し、そいつは「はあ~~」と焦げ付いた重油の匂いが混じるような熱い大きな息を吐く。  呼吸が繋がるや否や、また残りの特製おにぎりと唐揚げを、まるで生肉を貪るようにばくばくと口の中に突っ込んでいく。  それを暫く腕を組みながら眺めて、漸く落ち着いた様子のそいつを見て、俺はシックスパックの腹を僅かに揺らし、顎に手をあてて思考のコードを巡らせた。 (見た所、俺と同じか……特に年は違わないかな。候補生たちと大差ない。家出? にしてはやけに格好がボロボロだし、それに身体も骨の形が浮き出るくらいガリガリだし……) 「お前、どっから来たの?」  俺の問いかけに、路地裏の静寂が満ちる。 「…………」 「もしかして、今流行りのシネマ横男子?」  歌舞伎町の吹き溜まりの単語を投げかけると、浮浪者は、ラベンダーの残り香に脳を焼かれたように瞳を揺らし、ポツリと掠れた声を漏らした。 「……知んね」  呟いた男は、ソースの染みた指の先をペロペロと舐めて、更にはプラスチックの唐揚げ容器の底まで、犬のように舌を伸ばして舐めた。  もしかして、完全に社会のシステムからデリートされたホームレス……。  俺は目を瞑り、眉間に深い皺を寄せて、一休さんのようにおでこに指をくるくると撫で回しながら、喉の奥で唸った。  こんな不審なエラー個体をマゾン高円寺へ拾って帰ったら、特務機関の指導官たちや宗像のおっちゃんに烈火の如く怒られるだろうか。  だが、凄惨な闘技場哲学を持つお人好しの本能が、このまま死なせるなと警報を発している。  安全で然るべき国家義務管理プログラム(施設)に送るにしても、この狂った縄張りのど真ん中に放置するよりは、一度コイツを連れ帰った方がリスクが良い。  俺が結論を出した瞬間、おもむろに男は立ち上がると、ふらふらとした足取りで俺に近付いて来て、いい歳の青年の癖に、その滑らかな指先で俺の薄手シャツの裾を、ぎゅっと力任せに握った。 (あ~~、もう駄目。これ連れて帰る流れじゃん……)  ──その瞬間、路地裏の空間を切り裂くように、鼓膜を劈く高周波の警報アラートが鳴り響いた。 「突撃──ッ!!」  焦げ付いた有機物の比喩へと昇華するような、凄惨な怒号が響き渡る。  次の瞬間、路地裏の出入口から、星が散りばめられたグラデーション色の隊服を纏った、大量のエンブリオ防衛特務部隊員たちに呆気なく囲まれた。  意味が分からず図りかねて、俺が笑顔を凍りつかせていると、最前列のガスマスクを装着した部隊員が、チェーンソーの擦過音のような怒声を上げた。 「そいつはザルヴァートルの偽竜だ!! 君!! 今すぐその偽竜から離れなさい!!」  こちらに向けられた黒い銃口の冷たい金属光沢が、太陽の光で反射してギラリと輝く。 (あの教団の、偽竜ぅ? コイツが??)  それに、路地裏のゴミ溜めに蹲る浮浪者が一匹と、それを取り囲む大量の部隊員達。  そこには、どう見たって武器なんか持っている筈もない、当然の権利のように衣服を汚しただけの青年(浮浪者)が居たわけだ。  そいつは、周囲を取り囲む大量の銃口を部隊員を気にするでもなく、怯えのステップすら踏まず、ただ退屈そうに気だるそうに欠伸をして、エンブリオの部隊員達に銃口を向けられ囲まれていると云うのに、なんとも不条理な余裕のある態度をしていた。  俺は慌てて、部隊員達の銃口の前に訴え掛けた。 「待てよ! コイツ、ただ腹空かせて倒れてただけだろ!」  それが意味を成すかはわからないが、兎に角こんな無抵抗の浮浪者の青年1匹に、大部隊の最大質量物理でミンチの消しゴムのカスにするなんて、いくらなんでもやりすぎだ。  それが仮に偽竜なんていう化け物が人間の皮を被っているエラー個体にしても、未だ現代日本に対して何も被害を出してもいないし──。  ──いや、もしかしたら俺は間違った甘い判断をしているのか?  確かに偽竜は、本物の堕竜に比べたら災害スケールは落ちるが、世界の絶対概念を無視して必ず人間に理不尽な被害を出している。  その広域認識災害の被害範囲を逆算したら、ここで引き金を引こうとしている部隊員達の判断こそが、冷徹なミリタリー仕様の正しい正論だ。  だとしたら、俺は今、この手を離して、ここで殺すべきなのか……。 「………ッ」  何が正しい因果律なのか自分でも分からなくなって、一筋の熱い汗が、俺の褐色肌の額から特注メンズブラの谷間へとこぼれ落ちた。  畜生、どうしたらいいんだ。  でも──こいつは、人間全てを蹂躙し害を成す、あの忌々しい普通の偽竜とは何かが決定的に別物だ──何故だかわからないが、俺の地下闘技場で培われた本能が、脳髄の奥で『コイツを殺すな!!』と、狂ったように叫んでいた。 「バンッ」 「!?」  突然、俺の背後にいた男が、語彙力のない直感的な声で一言だけ発した。  ──その瞬間、世界の物理法則が完全に無視される。  部隊員たちが完璧なホールドで構えていたはずの銃が、ハイドロプレスで内側から爆破されたように、パチパチと火花を散らして一瞬で木っ端微塵に破壊された。 「な……ッ!?」  ガマスクの奥の瞳孔が収縮する。 「ほら見ろ!! ──やはりコイツは概念拒絶を放つ危険個体だ!! 今すぐ処分しなければ──」 「く……ッ」  この男の一言があんな威力を放つなんて、ますます説得の余地が無くなっちまったじゃねーか! くそ! どうしたら……どうしたら……あ? ああそうか!  俺はズボンのポケットに差し込んでいたスマホをハッキングのごとき速度でひったくると、上層部の最高中枢──宗像のおっちゃんにすぐに電話を掛けた。  幸いおっちゃんは、くたびれたスケベおっさんの気の抜けた声ですぐに電話に出てくれた。 『は~い。ナオちゃんどうした~?』 「おっちゃん! 状況は、そっちの防衛モニターで見えてるよな!?」 『うん。見えてるよ』 「俺は、コイツを殺させたくない! 理由は──コイツを殺すべきじゃないって、俺の本能が言ってる……ああクソ、なんて説明したら良いかわかんねぇ! 兎に角! 責任は俺がとるから、この部隊員達を退けてくれよ。頼む!!」  俺は、必死の険相で受話口に怒鳴り散らした。 『う~ん。じゃあ、ナオちゃんのお気に入りのパンティくれる?』 「ああ、やるやる全部やるよ! お気に入りの下着もブラも一つ残らずやる!!」 『OK~! よ~し、じゃあ──全員、撤退!!』  通話の向こうで宗像のおっちゃんが部隊員達にインカムかなにかで撤退指令を出したのが聞こえた途端、通話はブツッと切れた。  部隊員達は混乱し、狼狽えていたが、上司命令には絶対服従とあってか、焦げた有機物の匂いを残して、すぐにその場を離れて行った。  静寂が逆再生される。 そして残ったのは、この浮浪者と俺の2人だけだった。 ◆ 「なにそいつ!」  慶太が、手元の花札を円形のローテーブルへ叩きつけながら叫んだ。 「え、拐って来たの?」  武臣が、お馬鹿な面面を弛ませて、ババ抜きのカードを握ったまま胡乱に目を丸くする。 「誘拐!?」  斗真が、天然の癒やしオーラを霧散させ、驚きで口元を両手で覆った。 「違げぇよ! 路地裏の汚泥の吹き溜まりで倒れてたんだよ!! 俺を何だと思ってんだ!!」  俺が帰って来ると、いつの間にか俺の狭い六畳一間をコミンジ5の秘密基地にしやがってる野郎共が集まって、いつものごとく花札だのババ抜きやらブラックジャックをだらだらしていた。  俺の自室は、実に見事な「限界スペース活用術」の結晶だった。  広さは一般的な六畳一間。  しかし、白と木目を基調とした魔力制御礼服のようなインテリアと、徹底的に計算された配置のおかげで狭苦しさは微塵もない。  左側にベッドとソファ、右側に家電と本棚。 テレビは壁掛けスタイルで省スペース化を徹底し、中央にはぽつんと円形のローテーブルが置かれている。  ベッド下の収納や、冷蔵庫の上のデッドスペースに収まった電子レンジなど、一歩も動かずにあらゆる機能にハイドロプレスの如く手が届く、機能美に溢れた秘密基地のような部屋。  それが、コミンジ5共にとって居心地が良すぎたのが仇となってしまったようだ。  そこに俺が泥と血に塗れた浮浪者を連れて帰って来たので、皆が驚いて大騒ぎだ。 「なんだよぉ~。ここどこだよ~」  浮浪者が胡乱な目で俺とコミンジ5達を交互に見ると、自分のくたくたのシャツを暇そうに弄りながら口笛を吹いて辺りを見渡した。 「あ~。俺の家だよ、悪いか。お前は暫くここで暮らすの。改めてエンブリオの管理下に入るっておっちゃん云ってたし、それまでの間な。しかし只でさえ俺の部屋は狭いのに……やんなっちゃうなぁ~」  俺は、私服の薄手シャツの隙間から淫らに食い込む特注メンズブラを苛立たしげに引っ張り、ため息を吐き出した。 「おい直忠、そいつを今すぐ風呂に入れた方が良くないか? 傷口から錆びついた重油の悪臭がして、くっせーぞ!」  慶太がキレ気味に正論を唱える。 「……うん、そうね」 「銭湯行こうよ!」  斗真が明るく挙手し、武臣が「さんせー!! よっしゃー!! 銭湯だー!!」と笑顔を弾ませる。 「皆でお風呂、楽しそうだね!」  ノチェルオがニコニコしながら、七輪の炭を片付けつつコミンジ5のメンバー達を見渡す。俺の部屋で何をしようとしたんだお前は。 「ふ~ん。銭湯かぁ。随分行ってないな……」  炉舞があぐらでぐーっと背伸びをした。 「えーっと銭湯は決まりとして、そのくっせー服は処分! しょうがねぇ、俺の大きめの私服を着せるか……」 ◆ 「ふん、ふふん、ふーんふーん~~ぶぶふぶぶッ」 「大人しくしろ、洗いにくいんだよオメーはッ!」  高円寺の銭湯で浮浪者の頭をシャンプーで泡だらけにして揉んでいると、そいつが楽しげに変な鼻歌を歌いながらふらふら揺れるから困った。  俺はシックスパックに力を入れて支える羽目になる。  しかも大分風呂と無縁の生活だったのか、なかなかシャンプーが泡立たず、何度も洗い直して大変だった。  俺の剛腕の筋肉がじわじわと疲労ダメージを累積させていく。  身体を洗うと云うことすら知らないのか、まるで老人介護のごとく身体の洗い方を教えてやる羽目になるとは予想してなかった。 「いえ~~い」 「おいこらぁ! 泳がない!」  気持ちは分かるが湯船で最大質量物理のバタ足で泳いではいけないでござる。 「おいい!! 聞いてんのかー!?  銭湯の湯船で泳ぐんじゃねー!! 武臣! オメーもだよ!! 馬鹿コンビ!!」  俺の怒号がタイル壁に反響する。 くそ~慶太達もなに寛いでんだよ!  俺が連れて帰って来たとは云え、お前らもちょっとは手伝えよな~。 俺の部屋を秘密基地代わりにしてる駄賃くらいこれで払えやぁ!  持つべきものはダチじゃねーのか、それは俺の幻想なのかぁ!? 世知辛い世の中じゃねーの……。  風呂から上がるとタオルで身体を拭かせ、その間にドライヤーで髪を乾かすと、漸くまともな見た目になった。  間近でそいつの顔を覗き込んだ瞬間、脳のニューロンが直接焼き切られるような錯覚に陥った。  無防備にきらめく鮮烈な深緑(グリーン)の双眸は、世界の不条理なルールなんて一文字も知らねえと言いたげに、暴力的なまでの純粋さを宿してギラついている。  長い木漏れ日を反射する宝石じみたその瞳に、間抜けに圧倒されている俺の褐色肌の姿がハッキリと収められた時、特注メンズブラの奥にある心臓がドクンと不規則な脈を刻んだ。  裏社会の泥水をすすって生きてきたはずの肉体は、驚くほど滑らかな白磁の肌に包まれており、冷酷なまでに完璧に整っている。  衣服の隙間から覗くその肢体は、男だとかアルファだとか、そんな矮小な境界線を一瞬で無意味にするほどに美しい。  頭上で奔放に跳ねるオレンジの天然パーマは、まるで夜を拒絶する太陽の残骸のように眩く、掠れた明かりの元ですら幻想的な熱を帯びて発光していた。  その人智を超えたビジュアルの凶暴さをいやらしく引き立てている。 そいつがふっと首を傾げるたび、服の襟元から、過去の凄惨な実験の記憶を焼き付けた首の後ろのザルヴァートルの烙印が、淫らな傷痕のようにチラついて俺の視線を奪った。  畜生、綺麗にしたら美青年が生まれちまった。深い意味はない。  漸くミッションを終えて皆で俺の部屋に帰宅。狭い。美青年が一人増えただけで、空間の密度が限界突破して狭すぎる。  それは我慢するとして、この浮浪者に事情聴取することになった。 「お前、なんであんなとこで死にかけてた訳? もう一回訊くけど家は? ねぇの?」  俺が厳しいトーンで問いかける。 「え~家……ってなんだよ? あれか、第105被検室か? それとも檻のこと?」 「「は???」」  つまり──この浮浪者の話を漸くすると、あのカルト堕竜信仰ザルヴァートルによる長年の実験が実を結んで生まれた最高傑作だった──が、制御不能の為遺棄された、という訳だ。  捨てられたあとは普段はマフィアのお使いをして日銭稼いで、お金が無い時はごみを漁ったりしていたそうだ。 「なんだよそれ……なんだよ……クソッ」  炉舞が言葉を詰まらせて黙った。 他の奴らも同じだった。 「不憫ッッ!! あまりにも不憫すぎるだろォォ!!」  武臣が涙と鼻水を床へ滴らせながら絶叫した。 「ぐす、苦労してきたんだね……」  ノチェルオが、薄い管理礼服の袖で目元を拭う。 「もう大丈夫だよ、僕たちと一緒に居れば良いよ!」  斗真が、天然の癒やし波動を限界まで放ちながら、浮浪者の手首を包み込んだ。  涙と鼻水と涎を滴しながらおいおいと泣くでは無いか。  俺は皆のリアクションにちょっと引きながら、自分で拾ってきておいて何だが、呆然と事の成り行きを見ていた。 「俺はよぉ、バカだけど……ちゃんとじぶんでぇ、生きてきたんだぜ?」  浮浪者は、周囲の涙などどこ吹く風で、ふふんと自慢気に、白磁の鼻頭を高く鳴らした。 「……そうだな。偉いな。よし、浮浪者、オメーの名前を俺が考えてやるよ」  俺は浮浪者の洗い立て乾きたてふわふわのオレンジ頭をガシガシと撫でると、う~んと顎に手を当て暫し考え込んだ。 「名前……105号じゃねーの?」 「ちげーよ。それは名前って云わねーんだよ。そうだな、テロア! よし、お前は今日からテロアだ!!」 「テロア……テロア!!」  テロアはよく分かってないと思うが取り敢えず自分の新しい名前を連呼しながらウキウキでその場で踊り出した。  おい、狭いから歓喜の舞はやめとけ。  テロア。なんとなく思い付いた名前だが、我ながら良い名前だと自画自賛する。  一切の教育を受けていないのでエンブリオに回収されるまですこ~しばかり俺が世話することになるし、教えなきゃいけねぇことが沢山あって眩暈がしそうだが、なんとか堪える。  皆が帰宅した後、夕飯の時間になったので飯を作ることにした。  何が食いたいか聞くと肉!! と元気よく答えるので毛玉の分と一緒に手際よく作ってやった。 ◆ 「ほら、食えよ」  俺が差し出したのは、湯気を立てる分厚い手作りのハンバーグ。  テロアは出されたスプーンや箸を一瞥すらしなかった。  マフィアの使い走りで泥まみれの小銭を稼ぎ、路地裏のゴミ箱を漁って生きてきた奴にとって、道具なんて飯を口に入れる速度を遅くするだけの邪魔者のようだ。  目の色をギラつかせ、ガシッ、と容赦なく素手で掴みかかる。 「おい、熱っ──」  俺の制止が飛ぶより早く、テロアは焼き立てのハンバーグを半分に引きちぎり、そのまま口へ放り込んだ。  ジュワアアッ、と暴力的なまでの肉汁が口内ではじけ、熱さに一瞬、奴の白磁の顔が歪む。  だが、吐き出しはしない。  ゴリゴリと強靭なあごで肉の塊を噛み砕き、喉を鳴らして強引に胃袋へ叩き落とした。 「……っ、が、うっめええええ!! なんだこれ、肉汁が止まんねえんだけど!!」  指についたデミグラスソースまで汚らしく、しかし愛おしそうにチュウチュウと音を立てて吸い尽くす。 いつだって「誰かに奪われる前に、今すぐ腹に詰める」のが奴の生きてきた不条理なルールのようだった。  目の前の俺が引くほどの猛スピードで、奴は二口目でハンバーグを完食した。  ハンバーグを秒で平らげ、皿に残ったソースまで指で拭って舐めとった彼は、次に目の前の小鉢(ほうれん草と人参のお浸し)を睨みつけた。 「おい、この緑の草、なんだ? 俺を毒殺でもする気か?」 「ただのお浸しだよ。お前、肉ばっか食ってたら体に悪いだろ」 「あ? 贅沢言ってんじゃねえよ。ゴミ箱に落ちてるコンビニの弁当だって、緑のトコは酸っぱくなってて食えたもんじゃねえんだわ」  腐った生ゴミや、安い合成薬品の味しか知らない奴は、野菜=マズいもの、危険なものという認識しかないようだ。  俺が「俺の作ったもんは腐ってねえよ。いいから食え」と小鉢を突き出すと、奴はちっと舌を打ち、お浸しを指でひとつまみして口に放り込んだ。  ──その瞬間、テロアの動きがピタリと止まる。  苦味はない。  代わりに、俺が限界まで引いた「出汁の旨味」が、噛むたびにじゅわっと口の中に広がった。 「……は? なにこれ、草のくせに、なんか……肉みてえな美味い汁の味がする……」 「出汁(だし)だよ。お前が美味いって言ったハンバーグの肉とは別の、魚や昆布の旨味」 「知らねえよそんな魔法……。おい、これ、お前が作ったのか? まじで?」  テロアは信じられないものを見る目で、小鉢と、そして俺の顔を交互に見つめた。  奴が生きてきた凄惨な世界には「自分の健康を気遣って、わざわざ美味い野菜を料理してくれる人間」なんて、一人もいなかったのだ。 「おかわりッ!! 頼む、あの肉の塊、もう一個くれ!!」  ソースまみれの両手を突き出し、テロアは犬のように俺に迫った。 空腹の野犬のようなギラついたグリーン眼をされると、それだけで威圧感がある。  俺はため息をつきながらも、キッチンからもう一枚、焼き立てのハンバーグを運んできた。  ただし、今度はテロアの前に皿を置く前に、スプーンを一本、その間に突き出す。 「おかわりはやる。だけど、次はそれを使え。それからこの白飯、これにバウンドさせて汁を吸わすとすげぇうめぇぞ~?」 「あ? タルいこと言ってんじゃねえよ。手で食った方が早えだろ。指についたタレも舐めりゃ同じだ」  奴は鼻で笑い、また素手で肉を掴もうとする。  その手首を、俺はピシッと叩いて止めた。 「同じじゃねえよ。お前、さっき肉汁が手首までボタボタ垂れてただろ」 「あ? ああ、もったいねえことしたな」 「それだよ。手で掴んで引きちぎると、一番美味い『肉のスープ(肉汁)』がお皿や手、テーブルに全部逃げちまうんだ。スプーンを使えば、割った瞬間に溢れるスープを、ソースと一緒に一滴残らずすくい取って口に運べる。……どっちがトクか、頭悪くても分かるだろ?」  ──一滴残らず、一番美味いところを食える。  「トク」という言葉、あるいは「飯を限界まで美味く食える」というプロの理屈は、飢えて生きてきた奴の脳髄にクリティカルに刺さったようだった。 「……マジかよ。あの汁、スープだったんか」  テロアは忌々しそうにオレンジの眉をひそめ、テーブルの上に転がっていたスプーンを、今度は「美味い汁を逃さないための武器」として睨みつけた。 「おう、じゃあ教えろ。どう持って、どうやればその汁を全部オレの胃袋に回収できんだ?」  プライドなんて最初からない。 飯を美味く食うためなら、テロアは驚くほど素直に、スプーンの正しい持ち方を俺に教わろうと手を差し出してきた。  よしよし、いい心意気だ。白飯と一緒にハンバーグを堪能するテロア。 「次はこれだ。さっきお前が『だし』って言ってた、緑の草」  テロアは先ほど一口だけ食べて驚いた「お浸し」の小鉢を引き寄せた。 「これは流石にスプーンじゃすくいづらいだろ。……ほら、箸(はし)を使ってみろ」  俺が二本の木を差し出すと、奴はそれをひったくり、片手で一本ずつ握ろうとした。  まるでドラムのスティックか、暗殺用の針でも持つかのような物騒な構えだ。 「……おい、これ、どうやって挟むんだよ? 棒がバラバラに動いて草が逃げるんだけど!」 「そう怒るな。一本は親指の付け根で固定して、もう一本をペンみたいに持って動かすんだ」 「あー糞、タルい! 手でつまんだ方が早いって!」 「手でつまんだら、せっかくの出汁が指に吸われちまうだろ。箸で優しく持ち上げるから、出汁をたっぷり含んだまま口に運べるんだよ」 「っ……! 出汁を……逃すな、だな……!」  『出汁』というパワーワードを出された瞬間、テロアの目の色が変わった。  もの凄い集中力で、プルプルと白い手を震わせながら、二本の箸でほうれん草の塊を必死に挟み込む。 「……とれた! 掴んだぞ、見てろ!」  そのまま口へ放り込む。  噛んだ瞬間、俺の引いた冷たい出汁がジュワッと口内に広がり、奴は「んおおお!」と奇声を上げた。 「やっぱり美味え! 草なのに、まじで美味えスープを飲んでるみたいだ!」 「最後、この紫のグチャグチャしたやつ(茄子)な。これも箸か?」 「そう。それは油で揚げてから出汁に浸してある。お前が好きな『油』と『出汁』の最強コンボだ。箸で持ったら、崩さないように口に運べよ」  すでに箸の使い方をなんとなく学習したテロアは、今度は慎重に、トロトロになった茄子を挟み上げた。 口に入れると、歯を使うまでもなく、上あごと舌だけで茄子がフワッととろけて消えた。 「……は?」  テロアは咀嚼を止め、呆然と固まった。 「消えた……。肉じゃないのに、油の美味い味がして、汁になって消えたぞ、おい」 「茄子は油と出汁を吸う天才なんだよ。気に入ったか?」 「気に入ったもクソもあるかよ……!  なんだこれ、俺がゴミ箱の裏で泥水すすって、マフィアに殴られながら小銭稼いでた間、街の奴らは毎日こんな美味いもん食ってたのかよ……っ!」  悔しさと、あまりの幸福感に、奴の目からポロポロと涙がこぼれ落ちる。  しかし箸は止めない。  お皿に残った出汁の一滴、ご飯の1粒まで、今度は覚えたてのスプーンで綺麗にすくい取り、自分の胃袋へと回収していった。 「ごちそうさま、だっけか。……おい。俺、お前の手下(子分)になってやるから、明日もこれ食わせてくれよ」 「いや、手下とか要らないから……」 「なんでだよぉ~~もうこれ食わせてくんねーのかよぉ~アニキぃ~~!!」 「俺はお前のアニキじゃねーよ!!  勝手に盃交わしてんじゃねー!!」

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