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20アノマレコード:007-G(六本木特区因果固着・魂質酸化反転災害記録/首無しライダーが嗤う②
目の前がぐにゃりと歪んだ。足元が不安定で、底なしの泥沼に深く沈んでいくような最悪な感覚──。
「何処だ、ここ……」
気が付くと、俺は一人で見知らぬ不気味な場所に立っていた。
(どういう事???)
えっと──、さっきまで確かにアパートの近所のコンビニに居た筈で、でもここは絶対にコンビニじゃない。
『堕竜警報、堕竜警報──』
「はいはい。今更の重役警報お疲れ~」
脳内のバックドアから響く無機質なアラートに、俺は乾いたツッコミを入れる。
(つーことは、これはザルヴァートルの偽竜の……夢???)
「チクショ~いつもいつも唐突に巻き込みやがってぇ~~……」
恨みがましい呪詛を吐きつつ周囲を見回すと、どうやらヨーロッパの古い洋館のような建物の中に居るって事だけは理解できた。
床には真っ赤な絨毯が敷き詰められ、花の模様が描かれたクリーム色の壁には、額縁に填められた大きな古い風景画が飾ってある。
ふと気が付くと、廊下の奥に白い小さな丸い机が一つ置いてあり、その上の花瓶には、真っ赤な百合の花が一輪挿してあった。
「……?」
何か奇妙な違和感を覚えて机に近付くと、その百合の花から何かがポタポタと滴っていた。
恐る恐るその花びらに触れてみる。
指先に重たくぬめった、生々しい感触が伝わってきた。
と同時に、ツンと鼻を刺激する強烈な香りが漂ってくる。
憶えがある……これは、
「……血か」
手に付いた血の感触と臭いが猛烈に気持ち悪くて、ズボンのポケットに入れていたハンカチでちまちまと拭っていると、
「……ウッ……」
「……?」
突然、空間の狭間から小さな声が聴こえて、ピクッ、と俺の大きな身体が歩みを止めた。
取り敢えず周りを見渡す……が、影一つ居ない。
「……フ、ウッ……グスッ」
(誰か泣いてる……?)
「……誰か居ますかぁ~?」
様子を窺うようにして、姿の見えない相手に声を掛けてみるが、明確な返事は無かった。
「フ、フウ、グス……」
正直めちゃくちゃ気が進まない……が、他に調べられる所も見当たらないのがこの世界のルールだ。
仕方なく、不気味な泣き声のする方へと一歩ずつ進んでみる。
やがて、金色に輝くプレートに『芋虫姫ジュリエッタ』と記された、木製の小さな扉を見つけた。
「ここかぁ……?」
どうやらこの扉の向こうから、女がすすり泣くような声が響いている様だ。
「おーい」
無遠慮に扉を拳でノックする。
……返事は無し。
(開けるしか無いか……)
ドアノブに手をかけ、軽く捻ると、カチャリ、と軽い金属音がして扉が開いた。
なにぶん小さな扉であるため、182センチの巨体を屈めて、覗き込む様な姿勢で中を伺う。
煉瓦の暖炉、薄いレースのカーテンが付いた可愛らしい花柄の天蓋ベッド、小さなピンクの机と椅子、赤い本棚……所謂、どこにでもある女の部屋だ。
そのベッドの上に、一体のフランス人形がポツンと不自然に座っていた。
だけれど、この部屋の主であるはずの生き物の姿は何処にもいなかった。
いつの間にか、あのすすり泣く声もピタリと止んでいる。
何故か首筋がぞわりと粟立った。
暖炉の赤い炎に照らされて、フランス人形の淡い緑の硝子瞳がキラキラと妖しく輝いていた。
カタン、と背後で微かな音がして、勢いよく振り返る。
──が、何もない。
首を傾げながら再び正面を振り返ると、先程までベッドにちょこんと座っていたはずの可愛らしいフランス人形が、重力を無視して宙に浮かんでいた。
「え、超常現象???」
──メキィッ。
何かが決定的に割れる音がして俺が固まっていると、フランス人形の下半身がバキバキバキッと凄まじい勢いで裂け、中から五メートルはあろうかという巨大な芋虫の醜悪な肉塊が飛び出してきた。さらに、赤いネイルの施された人形の女の手が、百足の如く芋虫の身体から無数に生え出て蠢いている。
フランス人形だった上半身は俺と同じ等身大の女の姿になり、小さな乳房が露になって剥き出しになっていた。
その女の口が、裂けるようにゆっくりと大きく開いた。
「アキキャッギイイイィィアアアアアアァアアア!!!!!!」
「耳いってぇ……」
脳細胞をチェーンソー破壊されるような不快な超音波に、俺は思わずその場にしゃがみ込んで両耳を強く塞いだ。
次の瞬間、目映い閃光が視界をハッキングすると同時に、鼓膜を劈くようなバイクの唸るエンジン音が耳に届いた。
「ぅお!?」
空間の壁面に歪み(バックドア)が生まれ、そこから漆黒のカワサキZ1が猛スピードで飛び出して来た。
俺が慌てて地面を転がって避けると、さっきまで俺が居た場所に、芋虫姫の尻尾の尖端に付いている巨大な毒針が、バチィィィンと凄まじい質量で突き刺さった。
「あ、ぶねー!! あれ? アクシャラじゃん!」
ギャギャギャッ!! 円を描くようにタイヤで床の木片を削りながら、化け物バイクが急停車する。
そのまま此方に背を向けたアクシャラは、バイクを乗り捨てて芋虫姫へと真っ直ぐ向かって行った。
芋虫姫はアクシャラを踏み潰そうと、地響きを鳴らしながら何度も大きなしなる下半身を床に叩きつけてくる。
百足の様に無数に生える長い手が、アクシャラを捕食しようと一斉に伸びて襲って来るが、アクシャラは冷静にそれを躱すと、空気さえ切り裂く黄金の雷を放って一掃した。
しかし、斬られた断面から次々と新たな手がグポグポと生えてきて、焼いても焼いても切りが無かった。
アクシャラは芋虫姫の迫り来る腕を強靭な爪で引っ掴んで捻ると、ボキリッと嫌な音がして人形の腕が根元から引き千切れた。
その裂け目のような傷口からボタボタと赤黒い血が流れ、何か不気味な触手の様なものがくねりながら出て来たかと思うと、直ぐに新たな手となって再生していく。
次の瞬間、乱撃の隙を突いて芋虫姫の首が蛇のように異常な速度で伸び、アクシャラの頭部を容赦なくガブリと喰い千切った。
「アクシャラ!!」
「──ッ、アハッハハハァ!! アタマを取ったら死ぬと思ったかヨ!? ハッ、小賢しい擬態しやがってぇ! 実体化する!! 乗れ!!」
「──え!?」
首の無い切断面から肉を震わせるような不敵な声を響かせながら、アクシャラは俺の身体を乱暴に掴んでバイクの後ろに乗せた。そのままハンドルを強く握り締めると、驚くべき跳躍力でバイクごと上空へ跳ね上がり、百足の様な女の手を黄金の雷で吹き飛ばしながら、芋虫姫の醜悪な背中にドカンと飛び乗った。
グンッ!!
眼の錯覚じゃない。芋虫姫の質量が一際大きく膨れ上がる──それは絶え間なく繰り返され──鏡が粉々に割れるように世界の夢が破壊され、芋虫姫が偽竜の擬態をパージし、本性の堕竜へと成った瞬間だった。
「ハッハァ──!! 振り落とされんなよ!!」
「なんで頭喰われてんのに喋ってんだよぉ~~!! んひぃい~~!!」
頭の無いアクシャラが、狂気的なバランス感覚でバイクを操り、芋虫姫の蠢く腕の上を猛スピードで疾走する。
どんどん高度が上がると、気付けば周囲の高層ビルすら遥かに超えていた。
凄まじい空気の圧に晒されながら、アクシャラはヴンッ、と唸るエンジン音と共に、芋虫姫の巨大な顔面スレスレまで大ジャンプした。
それは一瞬の出来事。アクシャラの身体が空中空間でバゴン!! と爆発的に膨らみ、真の竜へとその姿を変貌させた。
消えるバイク、空中にゴミのように放り出される俺。予想外のハザード展開に思考が完全に停止する。
「ミ゛ィ」
「毛玉!? なしてさここに!?」
ボンッ! と毛玉の身体が突如として大きく膨らみ、俺はそのふわふわの毛並みに慌てて必死に捕まった。
「アキキャッギイイIイィィアアアアアアァアアア!!!!」
ウォォオオオーーン……。
眼前で、高層ビルさえ超える巨大な化け物生命体同士が、世界の尊厳をかけて戦っていた。
瑠璃の冴えを帯びた深碧色の鱗を持つアクシャラの竜が、巨大な腕を一振すると、芋虫姫の乳房が皮も肉もミンチのように凄惨に空中に飛び散った。
芋虫姫の醜悪な下半身が地震の様に大きく揺れると、周囲の空気がビリビリとひりついた。
何本もの触手の手が竜の巨躯に纏わりつくと、グボッ! と鋭いナイフのように竜の身体を深く突き刺した。
穴から大量に飛び出る血と、引きずり出される内臓。
唸る神竜は目の前の芋虫姫の髪の毛を鷲掴みにし、至近距離から何度も何度も凶悪な嵐球を撃ち込み、周囲に焼け焦げた嫌な臭いが充満した。
ドォン、ドォン、ドォン、ドォン!!!!
それからアクシャラの竜は右腕を大きく振りかざすと、一気に横に空間ごとないだ。
ズギャッ。ビチビチビチビチッ。
肉の引きちぎれる悍ましい音が響き、血の飛沫が六本木の空中に舞う。
芋虫姫は腹から大量に管の様なものと内臓の血を垂らしながら、ゆっくりと崩落するようにくず折れていく。
ズゥウウウウンン……。
視界を埋め尽くすけぶるような土煙と共に、激しい振動が街全体を覆うようにして、堕竜は完全に事切れた。
しかし、そこで終わりではなかった。
「毛玉ぁ~~!! お前は俺の救世主だなぁ~~!! ン~マッ♡ ァ痛ぁい!! 何で噛むんだよ~!?」
ふわふわとゆっくり下降し、漸く地面に着地すると、毛玉は元通りの小さな愛くるしい姿に戻った。お礼のキッスをかまそうとした俺だったが、鼻頭をガブリと噛み付かれた。いつもの手厳しい塩対応である。
「あ、毛玉!? どこ行くんだよ~! お~い!」
ふい、と毛玉は興味を無くしたかのように、小さな身体を揺らして姿を夜の闇の中へと眩ました。
──これもいつも通りの光景のはずだった。
六本木セクター06。
かつて最新鋭の欲望と虚栄が狂乱の夜を踊らせていた絢爛な大都会は、いまや物理法則そのものが脳溢血を起こして死滅した巨大な屠殺場へと変貌を遂げていた。
空を覆い尽くすのは、どんよりとした鉛色の暗雲ではない。歪んだ超高層ビルの外壁を幾重にも侵食し、街全体の空間構造そのものをギチギチと締め上げる鈍い色の金属──塊特異堕竜『錆びた揺り籠』だ。
そのビジュアルは、現世の生物の形態を根底から冒涜していた。
無数に絡み合う錆びついた鉄製ギロチンの刃、きしみながら回る巨大な歯車群、そこに何重にも巻きついた焦げた針金。そして、それら無機質な構造物の隙間から絶え間なく溢れ出し、ビルの壁面を伝って地上へと滴り落ちるのは、ドロドロに腐敗した粘稠な羊水と、黒く濁った廃オイルの濁流だった。
開口部と呼ぶべき鉄の亀裂からは、金属同士が激しく擦れ合う狂おしい摩擦音と、幾千の赤ん坊の産声が複雑に干渉し合った不気味な超音波が噴出している。その微振動は六本木のコンクリートを分子レベルで粉砕し、空気そのものを不快な金属臭で満たしていた。
「……ッ、ぐうっ……! さっきので終わりじゃなかったのか……耳の奥が、脳ミソごと削られてるみたいに痛え……ッ!!」
ひしゃげて原形をとどめていないガードレールの脇、黒い油膜と鉄錆の泥が広がる路上に膝をつき、真宵直忠は両耳を強く押さえて激しく呼吸を乱していた。
スーツの裏側では、痛烈な衝撃を物理的・概念的に吸収するためにあつらえられた【特注メンズブラ】とガーターベルトが、防弾繊維の強固な意地によって胸元と腰回りをガチガチに締め付けている。
「おいおい……冗談じゃねえぞ。新宿の時よりも街の腐り方がグロくなってんじゃねーか……! なんで俺が毎回こんなゲロとオイルの海に放り出されなきゃいけないんだよ……っ!」
直忠が血走った目で呪詛を吐き捨てる間にも、彼の中に眠る特殊体──オメガとしての特異な【器】が、六本木全域に満ちる不気味な圧力を逃げ場のない「魂の直結パス」を通じて吸い上げ始めていた。
──ズドンッ、と六本木の上空で大気が破裂する重低音が響き渡った。
物理空間が硝子のように脆く粉砕され、虚数領域の深淵から六本木の夜空へと降り立ったのは、数万トンの圧倒的質量を誇る神たる巨大ドラゴン──万魔の【壊嵐の竜】、コードネーム【モリガン・テュ・エ】。
深碧色の暴風と激しい嵐をその全身に滾らせ、荒々しい狼の面影を残す神々しい巨躯が、六本木を侵食する無機質な異形『錆びた揺り籠』を、絶対的な捕食者の冷酷な視線で射抜く。
万魔(レガリア一族)の一員であり、暴虐と狂気を孕んだアルファであるアクシャラの魂の波動が、直忠のオメガとしての回路へダイレクトに接続される。
(は。あの野郎、まだ息を吸ってやがったか)
脳髄に直接記述される、アクシャラの不敵で凄みのある声。直忠の細い脊髄を、竜が放つ殺意と攻撃の予兆が強烈な電流となって駆け抜けた。
「ひッ……! く、来る……! なんか知らんけど、あいつの脳ミソのギラついた殺気が直接流れ込んできやがる……っ!」
モリガン・テュ・エが咆哮を上げた。深碧の暴風が大気を切り裂き、音速を超えた壊嵐の爪が『錆びた揺り籠』の巨大な鉄製ギロチンへと叩きつけられる。数万トンの超質量物理ダメージが、異形を砕き散らす──はずだった。
──ギギギィィィィンッ!
六本木全域の空間が金属疲労を起こしたかのような、悍ましい反発音(ルールエラー)が鳴り響いた。
『錆びた揺り籠』を覆う無機の鉄輪と歯車群が、攻撃を受けた瞬間に【概念の鏡】へと反転。堕竜の固有能力──【無機生命保護】および【全自動因果逆転】が牙を剥いたのだ。
『────グガァアアアアアアアアッ!?』
絶叫を上げたのは、攻撃を仕掛けたはずのモリガン・テュ・エだった。
音速を超えて放たれた数万トンの壊嵐エネルギーは、そのまま100%の純度でアクシャラ自身へと反転転送。神竜の強靭な深碧の鱗がベチャベチャと音を立てて自壊し、肉が腐敗した雑巾のように削れ落ちていく。
「あガっ、あぁっ……!? カヒュッ、ガヒュ──……ッ!!」
魂が直結している直忠の肉体にも、あまりに惨惨たる狂気が伝播した。
アルファであるアクシャラが受けた「自壊の激痛」が、魂の回線を通じてそのまま倍加して直忠の脳髄にダイレクトに叩き込まれる。
五感を特大のハイドロプレスで叩き潰されたようなルールエラーの激痛。肢体・五体の一時的部位消失ペナルティが直忠を襲う。世界との同調率が急速に崩壊し、直忠の左目の光彩が一瞬で消え去り、漆黒の空洞へと変色した。
さらに、味覚と嗅覚が深刻な障害に支配され、直忠の口内に、じっとりとした錆びついた鉄パーツと焦げたオイルの不快な味が溢れ返った。
「ひ、ぐがぁあっ……! 痛え、痛え痛え痛え!! なんだよこれぇえっ! 脳ミソがドロドロに溶けて、おエエ……ッ!!」
四つんばいになった直忠は、勢いよく虹色のゲロと凄惨な血ヘドを六本木の路面へとぶちまけた。
鼻血と血涙、および魂の髄から搾り出された汚物をぐちゃぐちゃに撒き散らしながら、大真面目に臓物を裏返したような勢いで絶叫し、吐き続ける。凄惨な地獄の汚辱でありながら、あまりにも唐突で突き抜けたアホさの落差。
一方、日本防衛特務機関「エンブリオ」の地下数百メートルに位置する中央管制室。
オペレーターたちの血の気の引いた顔が、明滅する赤色アラートの血紅色に染まっていた。
「バイタル低下! モリガン・テュ・エの魔力反応が急速に減衰中!」
「駄目です、精神汚染が第3層を突破! このままでは魂殻がパージされ、アクシャラの精神が死滅します!」
死んだ魚の目をしたグレーのスーツ姿の男──宗像司令官は、無精髭を撫でながら静かにタバコの煙を吐き出した。
「……やっぱりお役所の作ったオモチャじゃ歯が立たないねぇ。システム、全知のログ──『アノマレコード』へのアクセスを強制承認。これより、堕竜の因果エラーを強制記述する!」
ドン、とコンソールが叩かれると同時に、管制室の大型モニターがノイズに埋め尽くされ、血のような紅い機械文字が猛スピードで奔流した。
【アノマレコード認識ログ:006-B】
【対象識別:堕竜『錆びた揺り籠』】
【固有属性:全自動因果固着・無機生命保護──対象への全物理破壊エネルギーを「魂の酸化・劣化ダメージ」へと置換し攻撃者側へ逆流。中和プロトコルの記述を開始します】
『アノマレコード』が容赦なく敵の正体を剥ぎ取る。だが、そのオーパーツを現実世界に固定し、堕竜の絶対的な能力を中和するための「器」は地上にいた。
路上で汚物に塗れながら、直忠のダチョウ並みの脳みそがついに恐怖と苦痛の限界を迎えて弾けた。
「ふざけんな……! こんな泥ネズミみたいなところで、ゲロ吐いて死んでたまるかぁあああッ!!」
お人好しなアホ面を血と涙でぐちゃぐちゃに歪め、直忠の特殊体質【器】が完全起動する。
アノマレコードが導き出した「エラーの逆流先」として、神々の暴力を魂の器で強引に一括して引き受けるため、直忠の肉体が世界の不可視の力によって引き剥がされた。
「ゴブッ、ぶふぉ、おごっ、ヴぇロオオオオオオオッ!!」
直忠は四つんばいのまま、六本木の路上へ凄惨な血ヘドと無数の金属片混じりの汚物をぶちまけた。
凄惨な地獄の汚辱でありながら、あまりにもシュールなコメディ。
エレベーターが落ちるような不条理のなか、直忠がその汚物と共に因果災害のすべてを吸い尽くし、中和した瞬間、世界のバグがパチンと音を立てて弾け飛んだ。
『錆びた揺り籠』を覆っていた無機の因果逆転ルールが、完全に消滅する。
『───ガ、オ、オオオオオッ!!』
自由を取り戻した深碧の大神竜モリガン・テュ・エが、天空で咆哮した。
傷ついた巨躯から血を流しながらも、その凶暴な瞳は、地上でゲロを吐き散らしながら自分を救った人間のガキ──直忠を明確に捉えていた。
冷酷な戦闘狂としての脳髄に、太く、黒く、狂おしいほどの「執着バグ」の電気信号が極太に焼き付けられる。錆びた揺り篭による魂への束縛が完全に破壊され、この男を毟り取り、手中に収めたいという凄まじい執着のバグだけがアクシャラの理性を狂わせていく。
『よくも……直忠を泥塗れにしてくれたな、鉄クズがぁッ!!』
アクシャラは怒号とともに、今度は何の反転も起きない最大質量の壊嵐を『錆びた揺り籠』へと叩き込んだ。
音速を超えて空間ごと金属と歯車を切り裂く。ドゴォオオオオン!! とビル破壊の時間差の衝撃音が響き、正体を暴かれた堕竜の肉塊は微塵となって完全に消滅した。
敵の消滅と同時に発動するのが、【記録再生魔法:街と人間の再生】である。
ビデオの逆再生のように、崩壊したビルがスルスルと元通りに立ち上がり、道路にこびりついた鉄錆や焦げたオイル、そして直忠が盛大にぶちまけた凄惨なゲロも、一瞬で綺麗さっぱり消え去っていった。
「……うぅ……喉の奥が鉄錆びの味と酸っぱのコラボレーション……」
衣服も肉体も完全に無傷の状態へと戻り、六本木の路上へ残された直忠は、ひどく間の抜けたアホ面を晒していた。
「アノマレコード,ログクローズ。……ターゲットの完全消滅を確認」
「街の被害、ゼロ。被験体のバイタル、正常値へ復帰」
地下管制室にて、宗像司令官は気怠い眼差しのまま、ふぅ、とタバコの煙を吐き出した。
その手元の端末には、また一つ新たな執着のバグを刻み込んだ、ただ一人の少年のデータが冷徹に保存され続けていた。
◆
あの大怪獣大戦争の次の日の夜のことだった。
「う、──ッ」
ずくん、と下腹部が熱く疼いた。
(ヒート……来ちまった……誰か、適当に……)
ぼやける視界の中に誰かの逞しい気配がし、誰かに優しく抱き留められたような気がしたが、俺の意識はそこで完全に途絶えてしまった。
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