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21アノマレコード:008-H(浅草上野特区有機無機融合・生体侵食災害記録/蕩けるようなデライト②

 ──11月。浅草・上野特区セクター07。  かつて古き良き江戸の情緒とモダンな文化が交錯し、無数の観光客の笑顔で賑わっていた街は、いまや物理法則と生命倫理の双方が凄惨な悲鳴を上げて崩壊した【生体と無機の融合屠殺場】へと変貌を遂げていた。  浅草寺の雷門はグロテスクに引き裂かれ、五重塔の木組みや朱塗りの柱には、何千人もの人間の生肉や皮膚、むき出しの血管、そして狂信的なカルト組織『ザルヴァートル』の信徒たちの顔面がギチギチと隙間なく埋め込まれている。ビルの外壁を侵食するのは、鈍い灰色に光る大理石の質感を持った巨大な異形──特異個体のボス堕竜『万物の彫刻』だ。  ザルヴァートルの「最終実験体」として生み出されたその異形は、堕竜によって吸収され一つとなり、狂信者たちの肉体と魂を強制的に泥のように溶かし合わせ、浅草の歴史的建造物や無機物と強引に結合させて巨大化した狂気の怪物だった。  空気を満たすのは、焼けた肉と腐敗した大理石が擦れ合う甘腐った異臭だ。そして、構造物に埋め込まれた無数の信徒たちの口から、脈絡なく絶え間なく吐き出される狂信の賛美歌と、絶叫の交響曲(ハザード)だった。 「……ッ、げほっ……! なんだよ、この匂い……っ! 生肉と、石灰を混ぜて腐らせたみたいな……吐き気がする……!」  ひしゃげた石畳の上、血と腐敗液が混ざり合う泥に膝をつき、真宵直忠は両手で口元を覆いながら激しく呼吸を乱していた。  私服のパーカーの裏側では、怪獣たちの放つ超質量物理打撃や概念衝撃を物理的・概念的に吸収するためにあつらえられた【特注メンズブラ】とガーターベルトが、防弾繊維の意地のようなホールド感で胸元と腰回りをガチガチに締め付けている。  私服の下に隠された変態的な特殊装備が虚しく肌を締め付けるなか、高円寺のボロアパートから引きずり出された直忠は、大怪獣たちの理不尽な質量と死臭によって完膚なきまでに踏みにじられていた。 「おいおい……冗談じゃねえぞ! 悪趣味が加速してんじゃねーか……! くっそ~、覚悟は出来てっけど……いつもいつも~……っ!」  直忠が血走った目で諦めの境地に到達した間にも、彼の中に眠る特殊体質──オメガとしての特異な【器】が、浅草全域に満ちる不気味な圧力を、逃げ場のない「魂の直結パス」を通じて吸い上げ始めていた。  ──ズドンッ、と浅草の上空で空間そのものが叩き割られる重低音が響き渡った。  大気が粉々に砕け散り、虚数領域の深淵から上空へと降臨したのは、虹紫色の神聖な光芒を全身から放つ巨大な神竜──万魔の【燦爛の竜】、コードネーム【ロワ・アジュダガ】。  灰褐色の肌にプラチナブロンドのボブ、額の双角と目元の青い隈取り。気さくで人当たりの良い爽やかな青年の顔を持ちながら、その瞳の奥には底知れない観察眼と狂気的な独占欲を秘めたアルファ──テオドア・エンヴィーの魂の波動が、直忠のオメガとしての回路へダイレクトに接続される。 (──ふふ、大丈夫? 直忠くん。こんな汚い場所に放り出されて災難だったね)  直忠の脳髄に直接届くのは、驚くほど親しみやすく、柔らかで優しいテオドアの声。だが、魂の直結パスを通じて伝わってくるのは、直忠の全身を舐め回すような冷酷な計算と、恐ろしいほどの人間観察の視線だった。  テオドアは、直忠が軽口を叩いて強がっている笑顔の裏で、オメガの【器】の負荷による部位消失の予兆(左腕の麻痺と大理石化)が始まっていることに誰よりも早く気づいていた。一瞬、テオドアの爽やかな口角が氷のように固まる。 (……へぇ。君、もうそんなところまで蝕まれてるんだ。……ふうん、そっか) 「ひッ……! な、なんだよ……! 声は優しそうなのに、背筋に寒気がするくらいゾワゾワすんだよ……っ!」 (あはは、酷いな。俺は君を助けに来たんだよ? じっとしてて。あんな悪趣味な肉の塊、すぐに片付けてあげるからさ)  ロワ・アジュダガ(テオドア)が咆哮を上げた。虹紫色の光芒が夜空を埋め尽くし、光属性の絶対的な神威が『万物の彫刻』の巨大な肉と大理石の複合体を焼き尽くす──はずだった。 ──ガギギギギィィィンッ!  浅草全域の物理法則が裏返るような、悍ましい肉の擦れ合いと反発音が響き渡った。  『万物の彫刻』を覆う無機の石殻と信徒たちの生肉が、攻撃を受けた瞬間に【有機・無機強制融合】の概念を展開。堕竜の固有能力──【無差別生命・物質結合エラー】が牙を剥いたのだ。 『──あは、これ、なるほどね……っ!?』  ロワ・アジュダガの巨躯が大きく揺らぐ。  テオドアが解き放った光の熱量がそのまま逆流しただけではない。  『万物の彫刻』に囚われたカルト信徒たちの腐敗した生肉と、侵食された無機のコンクリートが、概念の回線を通じてロワ・アジュダガ自身の神聖なる肉体へと強引に癒着・融合を開始したのだ。  虹紫色に輝いていた神竜の身体がベチャベチャと音を立てて腐敗した人間の生肉へと変質し、壊死した肉片と血が撒き散らされる。神竜としての肉体が、カルト信徒たちの醜悪な生体パーツと融合しながら崩壊していく。 「あガっ、あぁっ……!? カヒュッ、ガヒュ──……ッ!!」  魂が直結している直忠の肉体にも、あまりに惨惨たる狂気が伝播した。  アルファであるテオドアが受けた「肉体融合・崩壊の激痛」が、魂の回線を通じてそのまま倍加して直忠の脳髄にダイレクトに叩き込まれる。  五感を特大のハイドロプレスで叩き潰されたようなルールエラーの激痛。肢体の一時的部位消失ペナルティが直忠を襲い、左腕の肌の表面に気味の悪い大理石の幾何学模様が急速に広がっていく。  さらに、味覚と嗅覚が深刻な障害に支配され、直忠の口内に、腐敗した人間の生の臓物と石灰粉末が混ざり合った吐き気を催す味が溢れ返った。 「ひ、ぐがぁあっ……! 痛え、痛え痛え痛え!! 自分の腕が他人の肉と混ざって溶けてくみたいで気持ち悪いんだよ、おエエ……ッ!!」  四つんばいになった直忠は、勢いよく虹色のゲロと凄惨な血ヘドを浅草の石畳へとぶちまけた。  鼻血と血涙、および魂の髄から搾り出された汚物をぐちゃぐちゃに撒き散らしながら、大真面目に臓物を裏返したような勢いで絶叫し、吐き続ける。凄惨な地獄の汚辱でありながら、あまりにも唐突で突き抜けたアホさの落差。  一方、日本防衛特務機関「エンブリオ」の地下数百メートルに位置する中央管制室。  オペレーターたちの血の気の引いた顔が、明滅する赤色アラートの血紅色に染まっていた。 「バイタル低下! ロワ・アジュダガの神核同調率、危険水域! 有機・無機融合エラーが第4階層に到達!」 「駄目です、精神汚染が第3層を突破! このままでは神竜自体が堕竜のパーツとして取り込まれます!」  気だるい目をしたグレーのスーツ姿の男──宗像司令官は、無精髭を撫でながら静かにタバコの煙を吐き出した。 「……フン、カルトの生き残りがろくでもない遺産を残してくれたねぇ。システム、全知のログ──『アノマレコード』へのアクセスを強制承認。これより、浅草の融合エラーを強制記述する!」  ドン、とコンソールが叩かれると同時に、管制室の大型モニターがノイズに埋め尽くされ、血のような紅い機械文字が猛スピードで奔流した。 【アノマレコード認識ログ:008-H】 【対象識別:堕竜『万物の彫刻』】 【固有属性:全自動有機・無機強制融合・概念浸食──対象への攻撃エネルギーを媒介に「犠牲者肉体および周辺物質の強制癒着・腐敗伝播」を誘発。中和プロトコルの記述を開始します】  『アノマレコード』が容赦なく敵の正体を剥ぎ取る。だが、そのオーパーツを現実世界に固定し、犠牲者たちの無念とカルトのエラーを吸い上げて中和するための「器」は地上にいた。  路上で汚物に塗れながら、直忠のダチョウ並みの脳みそがついに恐怖と苦痛の限界を迎えて弾けた。 「ふざけんな……! こんな変な宗教のゲロ肉と混ざり合って死んでたまるかぁあああッ!!」  お人好しなアホ面を血と涙でぐちゃぐちゃに歪め、直忠の特殊体質【器】が完全起動する。  アノマレコードが導き出した「エラーの逆流先」として、犠牲者たちの肉体癒着の呪詛と、テオドアへ伝播した崩壊ダメージを、直忠の肉体が魂の器で強引に一括して吸い上げ始めた。 「ゴブッ、ぶふぉ、おごっ、ヴぇロオオオオオオオッ!!」  直忠は四つんばいのまま、浅草の路上へ凄惨な血ヘドと、融解したカルトの符籤・石灰片が混ざり合った「虹色の汚物」を吐き出し切った。  凄惨な地獄と汚辱でありながら、あまりにもシュールなコメディの再来。  だが、直忠が汚物と共に『ザルヴァートル』の融合呪詛をすべて排出し、中和した瞬間、浅草を覆っていた肉と石の結合エラーがパチンと音を立てて弾け飛んだ。  『万物の彫刻』とロワ・アジュダガを繋いでいたグロテスクな肉の糸が完全に千切れ去り、カルト組織『ザルヴァートル』の最終実験体としての因果が完全壊滅する。 『──あは、あはははっ! すごいね直忠くん、本当にきれいに吸い取ってくれたんだ!』  腐敗肉を削ぎ落とし、完璧な虹紫の輝きを取り戻した【燦爛の竜】ロワ・アジュダガが空中で歓喜の咆哮を上げる。  だが、その竜の額の中央──「第三の目」が、カチリと悍ましい音を立てて開眼した。  万物の彫刻による魂の束縛が打ち砕かれ、テオドアの脳髄に「執着バグ(ラット化)」が爆発的に感染する。爽やかな笑顔を浮かべたまま、その奥にある暗黒の独占欲とサイコパス的な計算が白熱する。  こんなにも無防備で、泥臭く自分を救ってくれたオメガ──直忠を、外堀からじわじわと埋め立て、二度と自分から逃げられないように完膚なきまでに所有したいという狂おしい執着。 (──ねぇ、直忠くん。君はもう、どこにも行けないよ。俺が責任を持って、君の全部をコントロールしてあげるからね) 『俺の視界を汚した不快な芸術気取りども……消えて欲しいな』  テオドア(ロワ・アジュダガ)は爽やかな笑声を残したまま、第三の目から放たれる極大の光芒熱線を『万物の彫刻』の核へと叩き込んだ。ドゴォオオオオン!! と浅草の街を揺るがす光の爆炎が巻き起こり、正体を暴かれた堕竜の肉塊と大理石の構造体は、分子レベルで完全に消滅した。  敵の完全消滅と同時に発動するのが、【記録再生魔法:街と人間の再生】である。ビデオの逆再生のように、引き裂かれた雷門や五重塔がスルスルと元通りの綺麗な姿へと組み上がり、街にこびりついた腐敗肉や血みどろの油、そして直忠が盛大にぶちまけた凄惨なゲロも、一瞬で綺麗さっぱり巻き戻されて消えていった。 「……はぁ、はぁ……死ぬかと思った……口の中が、生のレバーと石灰の味がして超気持ち悪い……」  衣服も肉体も完全に無傷の状態へと戻り、浅草の路上へ残された直忠は、ひどく間の抜けたアホ面を晒していた。  そこへ、人間の姿へと戻ったテオドアが、プラチナブロンドの髪を揺らし、眩しいほど爽やかな笑顔を浮かべて歩み寄ってくる。 「大丈夫? 直忠くん。すごく頑張ったね、偉いよ。……ほら、立てるかい? 肩を貸すよ」  甲斐甲斐しく直忠の肩を抱き寄せるテオドア。その爽やかな笑顔の裏で、暗く冷たい第三の眼光と独占欲が、直忠の逃げ道を完全に塞ぐように外堀を埋め始めていた。  直忠は、自分がすでにこの「親切で優しいサイコパスなドラコ部隊長」の罠の中に捕らわれていることに、まだ気づいていなかった。 「アノマレコード、ログクローズ。……『万物の彫刻』の完全消滅を確認」 「カルト組織『ザルヴァートル』の全反応消滅。被験体直忠のバイタル、正常値へ復帰」  地下管制室にて、宗像司令官は気怠い眼差しのまま、ふぅ、とタバコの煙を吐き出した。その手元の端末には、また一つ新たな執着のバグを刻み込んだ、ただ一人の少年のデータが冷徹に保存され続けていた。

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