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4 犬に星の名を

4 犬に星の名を 「おまえ、名はなんと言う」  少年の熱がようやく引いた頃、ユリアンはベッドの横で訊ねた。呼び名がないと不便だ。 「……ありません」 「呼ばれ方はあっただろう」 「檻番は……二十七、と呼んでいました」  焼き印の数字だ。ユリアンはペンを置いた。 「その数字に意味はあるのか? 親につけられた名は?」 「檻に入った順番、だと思います。親につけられた名は……あるのかも、わかりません」  ひどい話だと思った。この少年は、名前も分からないほど小さい頃から檻の中で暮らしてきたのだ。  貧富の差があることくらい、ユリアンだって知っている。一握りの富の足元に、数多の貧者が居ることも。  しかし、何故、小さな子どもの頃から檻の中で育つ人間が居るのか——ユリアンには、想像がつかなかった。 「逃げようとは思わなかったのか?」 「俺は、檻の中しか知りません。檻から出たところで……何処へ行けば良いのか、俺には、分かりません」  ああ、そうか。この少年は、外の世界を知らないのだ。  きっと、檻の中は地獄だったろう。だが、ユリアンが浴びてきた悪意や謀略は、少年は知る由もないだろう。  手負の獣のような目をしているくせ、彼は同時に、無垢だった。  外には、外の地獄がある。そんなことは、彼にはこのまま、知らないでいてほしい気がした。 「……では、檻に入るより前に、憶えていることは?」  少年は少し考えた。考えるという動作そのものに慣れていないのが、見ていてわかった。 「大人の女の人が、何かを歌っている姿……」 「それだけか」 「……はい」  ユリアンは窓の外を見た。冬の夜で、空気が乾いて澄んでいた。東の空の低いところに、ひときわ白い星が出ている。 「——シリウス」  白い星の名を、ぽつりと呟く。 「今日からそれがお前の名だ」  ユリアンは、星を見つめたまま続けた。 「犬の星だ。よく似合う」  背後で、息を呑む音がした。  犬を拾って犬の名をつけたようなもので、我ながら悪趣味だと思った。だが少年は——シリウスは、深く頭を下げた。 「……ありがとう、ございます」  その声が少し震えていたので、ユリアンは振り返らずにおいた。  ◆  名前を、もらった。  その晩、与えられた部屋——自分ひとりのための、鍵のかからない、扉のある部屋の寝台で、彼は何度も口の中でそれを転がした。  シリウス。  シリウス。  シリウス。  音の形が、まだ自分のものになっていない。舌の上で滑る。それでも、二十七よりずっといい。二十七には何もなかった。あれはただの数で、自分の前に二十六人いて、後に何人かいた、というだけの記号だった。何人かが死んで、番号だけが次の誰かに渡された。  だけど、これは違う。  これは、あの人が、この世界の中から選んで、自分に当てはめたものだ。  犬の星。犬でいい。犬がいい。犬なら、傍にいていいことになる。  彼は毛布を顔まで引き上げて、声を殺した。  泣き方を知らなかったので、その泣き声は咳のようだった。

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