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6 本と羽根ペン①

 6 本と羽根ペン 「今日から、剣の修練の時間を少し削れ。剣の代わりに、ペンを持て」 「……ペン、ですか?」  シリウスは呆けた声を上げ、青い瞳を丸くした。  痩せこけていた彼の身体は肉がつき逞しくなり、すくすくと背が伸びた。そしておそらく、まだ伸びる。そして、日夜、少しでも暇があれば剣を振って修練に励み、この半年で驚くほど技術を身に付けた。だから、護衛として横に付かせられる日も近いだろう。そう思った。  言葉遣いは案外きちんとしている。奴隷だったからだ。檻番に舐めた口を聞けば折檻される。そうして生きてきたから、敬語だけは身に付いていた。  しかし、シリウスは字が読めなかった。教わってきていないから仕方がないが、足し算引き算すら知らず、大きい数はすべて「たくさん」だ。これではまずい。ユリアンの隣に置くからには、シリウスにも教養が必要だ。そう考えたユリアンは、彼に教育を受けさせることにした。  教育は、シリウスにとって想像を絶する苦行だった。幼児が読める単語すら彼には読めず、貴族のマナーなんてひとつも知らないのだから。  テーブルナイフとバターナイフの区別がつかず、ワイングラスの脚を握り締め、スープの皿を両手で持って飲むシリウスを見てゲルハルトが白目を剥いて倒れかけるたびに、ユリアンは腹を抱えて笑った。  家庭教師は三人が逃げ出した。  一人目は、シリウスが「わかりません」と言うたび「何故わからないのかがわからない」と匙を投げたので。二人目は、シリウスが「わかりません」と言うたびに鞭を使ったので——正確には、それを見たユリアンが即刻叩き出したので。三人目は、シリウスの目つきが怖いと泣いて逃げたので。  そういうわけで、四人目は、ユリアン自身だった。  ◆  夜、書斎の暖炉の前に机を出させ、彼は自分で文字を教えた。理由は説明しなかった。訊かれもしなかった。  シリウスの書く字は、最初、蚯蚓がのたくったようだった。羽根ペンを剣のように握るので、紙が三枚に一枚は破れた。 「力を抜け」 「はい」 「抜けていない」 「……はい」 「お前は今、紙を殺そうとしている」 「……はい」  ユリアンは溜息をつき、身を乗り出して、その手に自分の手を重ねた。  シリウスの全身が、石のように固まった。 「こう持て。ペンは折るものじゃない」 「……はい」 「呼吸をしろ」 「……はい」  返事が上ずっていた。触れている手首の下で、脈が異様な速さで打っていた。  ユリアンはそれに気づいていたし、けれど気づいていることを知られてやる気もなかった。彼は手を離し、椅子に戻り、頬杖をついてその滑稽な握り方を眺めた。  ——ただ、気づいてはいた。  この男は、ユリアンを見るとき、他の連中と違う見方をする。  ユリアンの美貌を見るとき、人はそこに値札を見る。手に入れれば何がついてくるかを見る。爵位、土地、鉱区、血筋、社交界の発言権。そういうものを透かして見る目つきを、ユリアンは生まれてこの方浴び続けてきた。  シリウスの目には、それがなかった。  彼はただ、ユリアンを見ていた。ユリアンが顔をしかめれば不安そうにして、笑えば呆けたようになり、疲れていれば燭台の位置をそっと変えた。爵位も鉱区も、この男の頭の中には存在しない。存在の仕方を知らない。  都合のいい犬だ、とユリアンは思うことにした。そう思っておくのが一番安全だった。

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