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10 仕掛け
10 仕掛け
仕掛けたのは、ユリアン自身だった。
商会の男に金を渡し、筋書きを与えた。ヴァレンハイト家の護衛に接触しろ。公爵の予定と書簡の中身を流せと持ちかけろ。報酬は、護衛が生涯かかっても稼げない額と、自由の身分と、南の港町の家を。
その日、ユリアンはわざと護衛を外させ、シリウスを一人で市街へ使いに出した。
これで終わりだ、と思った。
誰でもそうする。四年の恩と、一生分の金と自由。天秤にかける必要もない。むしろ早く終わらせたかった。ユリアン自身が、始めたくせに。期待などという間抜けなものが、自分の中で育ちきってしまう前に。
育ちきってからでは、折れる音が大きすぎるから。
日が暮れた頃、シリウスは戻ってきた。そして何も言わなかった。
翌日も、翌々日も。いつもどおり半歩後ろに立ち、いつもどおり燭台の位置を直し、いつもどおり、夜は書斎へ綴りの稽古に来た。
四日目に、ユリアンのほうが耐えられなくなった。
「シリウス」
「はい」
「市街で、誰かに会ったか」
シリウスは羽根ペンを置いた。それから立ち上がり、上着の内側から革袋を出して、机に置いた。
重い音がした。金貨の音だった。
「……受け取ったのか」
「はい。断ると、別の者に持ちかけると言いましたので。私が持っていれば、それで終わるかと思いました」
ユリアンは袋を見下ろした。手が、わずかに震えそうになるのを押さえた。
「なぜ、すぐ報告しなかった」
「……報告する相手が、仕掛けた方と同じでしたので」
シンと、空気が止まった。
「いつから気づいていた」
「あなたが、わざと私に隙を作った日からです」
シリウスは静かに言った。
「あなたは四年、一度も私を一人で外に出さなかった。それが急に変わりました。——わかります。私は、あなたのことだけを見ていますから」
ユリアンは、机に手をついた。
「……怒らないのか」
「なぜです」
「試されたんだぞ。犬みたいに」
「構いません」
「構え!」
声が、思ったより大きく出た。自分でも驚くほど。
シリウスは、驚かなかった。ただ一歩近づいて、机の向こうから彼を見下ろした。
「あなたは誰も信じられない」
彼は言った。
「誰にも信じさせてもらえなかったからです。それは、あなたのせいじゃない」
「——黙れ」
「だから、何度でも試してください」
ユリアンは息を止めた。
「百回でも、千回でも。私は何度でも、金を机に置きに来ます。あなたが飽きるまで」
「……飽きなかったら」
「飽きるまで、と言いました」
シリウスは、そこで少しだけ笑った。四年かけてはじめて見る笑い方だった。眦を下げて、口唇の端を上げた、ひどく穏やかな笑い方。
「ほんとうであれば、私の命は、あの雨の日に終わっていました。そして、あなたに拾われて、名前をもらった」
昏く澄んだ青い目が、ユリアンを捉えていた。
「あなたが私のことを信じられなくてもいい。終わりがないことを、私は怖いと思いません。あなたの傍に居られなくなる方が、ずっと怖い。私は、あなたの犬なので」
◆
その夜、ユリアンは綴りの稽古を中止した。
寝室に戻り、扉を閉め、背中をそこに預けて、床に座り込んだ。
笑みを作ろうとしてみたが、うまくいかなかった。二十七年生きてきて、はじめて、笑い方がわからなかった。
翌朝、書斎に置き去りにした革袋の横に、シリウスの字で書かれた紙が一枚置いてあった。四年前は蚯蚓がのたくったようだった字が、几帳面な、少し角ばった書体になっていた。
『私には、もらったところで、使い道などありません。使い道は、あなたが決めてください』
ユリアンはその紙を三度読み、畳んで、上着の内側に入れた。
死ぬまでそれを抽斗の中にしまっておくことになるとは、そのときはまだ思っていなかった。
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