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12 名を呼ぶ①

 12 名を呼ぶ 「——馬鹿犬め」  声が掠れた。 「なぜ間に入った。避けられただろう」 「避けたら、あなたに当たります」 「私は」  ユリアンは息を吸った。 「私は、お前の主人だ。お前は犬だ。私が金で買った——」 「知っています」  短く、はっきりと。シリウスは寝台の上で言った。 「あなたが天使様じゃないことくらい、知っています」  ユリアンは、まばたきをした。 「あの雨の日、私はあなたを、天使様と呼びました。ですが、あれは間違いでした」  包帯の下で、シリウスが身を起こそうとする。ユリアンは反射的に肩を押さえた。押さえた手を、大きな手がそのまま掴んだ。 「あなたは冷たい人です。人を値踏みします。笑いながら嘘をつきます。金を積んで試します」 「ああ」 「私を拾ったのも、気まぐれだった。あなたは一度もそれを、優しさのふりをしなかった」 「そうだ」 「私は、全部知っています」  シリウスの目は、あの雨の夜と同じだった。無垢な、獣の目。焦点だけが、まっすぐユリアンに定まっている。 「知ったうえで、あなたがいいんです」  ユリアンの視界が、ゆがんだ。  爵位でも、金でも、この顔でもない。剥いで、剥いで、何ひとつ残らなくなったところに立っている、ただの一人の、性格の悪い男。それを見つけて、それでいいと言った人間が、二十七年目にして、はじめて現れた。 「……おまえは」  声が震えた。 「それが、どういう意味かわかって言っているのか」 「たっぷり四年、考えました。字が読めるようになってから、恋の詩を全部読みました。全部、私のことでした」  ユリアンは、笑った。笑って、片手で顔を覆った。肩が震えた。  そして、掴まれたままの手を、握り返した。 「——シリウス」 「はい」 「私より先に死ぬことは許さない」 「……はい」 「それから」  ユリアンは顔を上げた。金糸雀色の瞳が、濡れていた。 「私を閣下と呼ぶな。もう二度と」  シリウスは、少しだけ黙った。  それから、ひどく大切なものを口にするように、ゆっくりと言った。 「……ユリアン」  様、はつかなかった。  四年ぶんの重さでその名が落ちてきて、ユリアンは、とうとう泣いた。

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