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act:毒占欲の果てに

 仕事がオフの日、いつもの帰り道を狙って、リコちゃんの後をつけていた。当然隣には克巳さんがいる。  梅雨がすっかり明けた時期だというのに、妙に湿度の高い夕方。蒸し暑さを感じながら帽子を目深に被り、サングラスをかけて、ふたりに分らないようにすべく、距離をとって歩いていた。  どうやって、可愛いリコちゃんをヤってやろうか――最近、頭の中はずっと、そのことばかりでいっぱいだった。  ちょっと前に抱きしめた、いい香りが漂っていたリコちゃんの躰を思い出す。細いラインに華奢な腰つき……腕の中にすっぽりと納まる、愛しのリコちゃん。  彼女は、どんな声をあげるんだろう? どんな表情で、悦びながら啼くんだろうか? きっと凄くすごく、気持ち良いんだろうな。  君を俺のモノに出来るのなら、どんなことをしてでも、手に入れてあげるよ――リコちゃんのすべてを俺のものにして、誰にも渡さないように、しっかりと可愛がってあげないとね。  たとえそれが誰かに後ろ指を差されることだとしても、君との繋がりを深めるためなら、笑顔を浮かべて進んで犯してあげる。何人たりとも俺たちの仲を切り裂けないように、心と躰に痕をつけるべく刻み込むから。  ほくそ笑みを浮かべながら、ふたりの後姿をじっと見つめた。  そしてすれ違う人をやり過ごし角を曲がった瞬間に、向こうから来た人と、軽くぶつかってしまう。  ふとした刹那、ぶつかってきた人の太い腕が、俺の被っていた帽子を払い落とした。もしかしたら、驚かせてしまったのかもしれないな。目の前のふたりに、夢中になっていたせいだ。 「すみません……」  落としてしまった帽子を、腰を落とし慌てて拾い上げる。 「……こんなところで、何をやっているんだ稜――」  唸るような低い声に、びくっと躰がすくんでしまった。思わず、手にした帽子を落とすくらいに驚くしかない。 「も、森さん!?」 (何で、こんなところにいるんだよ、この人――)  見慣れた顔が、そこにはなかった。白目を充血させた瞳で、じっと俺を見つめてくる。 「あの男をつけてるんだろ? どんだけご執心なんだよ。俺よりも若い男の方がお前のこと、気持ちよくさせてくれるってか? ぁあ?」  口元を歪め喉で笑いながら、スラックスのポケットから、おもむろに手を出す。何かを握りしめていると思い視線をそこにやると、黒光りした折りたたみ式のナイフだった。 「ひっ……」 「お前を誰にも渡してやるもんか。俺だけのモノにしてやる!」  目の前でゆっくりと折りたたみナイフが音をたてて開かれ、迷うことなく切っ先が俺に向けられた。  何だよ、これ――俺が森さんに対して、何をしたっていうんだ!?  自然と滲んできた冷や汗を感じながら、じりじりと後ずさりする。背中を向けたら、そのままズブリと刺されると咄嗟に判断。素早く目の前を駆け抜けてやった。  だけど恐怖で足が思うように動かず、数歩進んで絡んでしまい、無様に歩道へと倒れ込んでしまう。  ズシャッという転んだ音と、サングラスの外れた音が一緒に鳴った。その物音に前方にいた、リコちゃんと克巳さんが立ち止まり振り返る。 「稜っ!?」  驚いた克巳さんの声が聞こえたけれど、その声に反応出来ず、仰向けのまま退くのに必死で。そんな俺に森さんが素早く跨り、右手で持ったナイフを無言で振り上げる。  息を飲んで、狂気に満ちた顔を直視した。  冷ややかな眼差しの直ぐ傍にある俺を狙う凶器は、夕陽を受けて光り輝いている。それが振り下ろされる動きは間違いなく早いはずなのに、何故だかスローモーションのように見え――  次の瞬間、焼けるような痛みが腹部を襲った。痛みが伝わって初めて、自分が刺されたこと認識する。  着ていたブルーのシャツに血がじわじわと滲み渡り、黒い色に染まっていった。 「あ、ぁ"あ"、あ"ぁっ!!」 「まるで、ヤってるときみたいな声を上げるのな。感じているのか稜? ん?」  歯を食いしばり、何とか激痛に耐えながら森さんを見上げると、下卑た笑いを浮かべ、刺しているナイフを更に腹に押し込んできた。 「やっ、やめてえぇ!! い、いぃ、痛いっ……っ、もぅ…やめ――」  耐え難い痛みに足をジタバタしてのたうち回り、涙ながらに訴える俺を、またしても恐怖が襲う。刺していたナイフを抜き取って、両手で持ち直し、勢いよく振り上げたからだ。 (――もう、ダメだ……)  ぎゅっと目をつぶり、襲ってくるであろう痛みに耐えるべく、躰を強張らせていたら、跨っていた森さんの重みが、いきなりなくなった。  恐るおそる目を開き、躰を捻って刺されたところを押える。出血の量がひどくて、アスファルトに血溜まりが出来ている状態。その最悪の事態を確認し、この後に訪れるであろう死を予感した俺が、目にしたものは――  ナイフを持った森さんに勇敢に立ち向かっている、克巳さんの姿だった。 (どうしてなんだよ、どうしてこんな俺のために――) 「ぅ……克巳、さん――」  肩で荒い息を繰り返すのが精いっぱいで、止めることもままならず、ただ見守ることしか出来ない。 「離せっ! 稜を殺らなきゃダメなんだぞ!!」 「何をバカなこと言ってるんだっ。そんなことをしても、彼は手に入らない! そんなことも分からないのか!?」  克巳さんがナイフを持つ、森さんの右腕を両手で押さえ込んで、後ろ手にぎゅっと捻りあげた。カランと音をたてて、アスファルトの上にナイフが落ちる。  この捕り物劇のお陰で俺らの周りには、たくさんの人だかりが出来ていて、その行方を注目していた。苦痛に顔を歪ませながら、そんな人々の表情を見やる。  囁かれる自分の名前と好奇の視線――明日の朝刊の芸能欄は、間違いなくこの事件で、いっぱい埋め尽くされちゃうんだろうな。  自分自身にそんな余裕がないのに、ぼんやりと考えてしまった。 「まだ生きてるの? やっぱりしぶといのね」  信じられないセリフが、思わぬ人から乾いた声で告げられる。俺は目を見開いて離れた場所にいる、大好きな彼女の顔を、じっと見つめた。 「リコちゃん……?」  俺の傍までゆっくり歩いてくると、頭をヒールでグリグリと踏み潰されてしまって。踏まれた痛さなんかよりも、リコちゃんから放たれる冷たい視線が躰に突き刺さってきて、もっともっと痛かった。 「っ、なっ、なんで!?」 「なんでって、それはこっちのセリフなんだけど。自分のやったことを思い出しなさいよ」  忌々しそうな顔をして言い放ち、踏んでいた足を退けて、後ろに反動をつける。俺の顔面に向かって、蹴り上げようとしているのか!?  モデルとして芸能人としてコレだけは何としても、死守しなきゃならない!  寸前のところで顔の前を腕でガードして、ギリギリやり過ごしてみせた。 「黙って蹴られなさいよ。それだけのことをアナタ、してくれたでしょ?」 「な、何を言ってるのかな。俺は、何も――」 「昔からそう……稜くんは私の物を欲しがって、何でも奪い取っちゃうんだから。本当に悪いクセだよね」 「それはリコちゃんが好きだから、持っている物がどうしても欲しかったんだ」  リコちゃんの触れた物や愛でている物が、全部欲しくて堪らなかった。だから小さい自分は、ちょうだいとよく強請っていたのだ。 「親には片親で不憫な稜くんに、よくしてあげなさいと言われてたから、仕方なく面倒見てあげていたのに、それを見事に勘違いしてくれちゃって、困ったコだよね」 「それでも俺は君と一緒にいることが出来て、すっごく嬉しかったんだ。たとえそれが強制されたことだとしても、リコちゃんに優しくされたことが、本当に――っ」 「だからってどうして、克巳さんを奪ったの? 女の私から男であるアナタがどうやって、克巳さんを上手いことたらしこんで、骨抜きにしたのかしらね?」 (――何で、それを知って……)  リコちゃんの言葉に愕然としてしまい、思わず顔のガードを解いてしまった。残忍な笑みを浮かべながら足先で俺の顎を掬い取り、強引に見上げさせられる。 「克巳さんがどこかおかしくなったのは、アナタの家に初めて行ってから。それでピンときたのよ、何かあったんだって」 「……そう、気がついていたんだ」 「昔からアナタが私のモノを強請るクセがあったからこそ、気がついたの。それで探偵に依頼して、芸能人の葩御 稜のことを、徹底的に調べてもらったわ」  顎にかかっていた足を、頬に目掛けて思いきり踏み潰される。ヒールの踵がぐりぐりと皮膚に食い込んで、すごく痛かった。 「キレイな顔して、随分とヤりまくってるんだって? 仕事が終わったら森って男に抱かれて、家に帰ったら克巳さんに抱かれて。呆れちゃうくらい、稜くんってお盛んなのね」  ――ああ、そうか。これで全部繋がってしまった。 「だから……なんだね? 損得勘定で動く森さんを上手いことそそのかして、俺に攻撃するように、リコちゃんが何か言ったんでしょ?」  克巳さんが森さんの電話を切ってしまった後、改めてふたりきりで話し合いをしたんだ。あれは克巳さんが一方的に想っていることで、俺としては森さんと、これからも変わらずにヤっていきたいと、何度も頭を下げた。  森さんの方が大事だと、これでもかと念を押してみせたんだけど。俺の言葉に渋い顔をしながらも、それで納得してくれたはずだったのに―― 「ホント馬鹿ね、人の心は単純じゃないのよ。アナタがよろしくヤってる声を、目の前でちょっとだけ聞かせてやったら、このザマなんだから」  克巳さんに取り押さえられている森さんに、視線を飛ばしたリコちゃん。 「……それって俺の部屋に、盗聴器を仕掛けたの?」 「素人がそんなこと、出来るワケがないでしょ。克巳さんのカバンに仕込んでおいたのよ。私にだけ優しくて、いい人だと思ったのになぁ。どうして、稜くんの毒牙にかかっちゃったのか。欲望に走る男って、みんなバカだよね」  吐き捨てるように言い放ち、俺を踏みつけていた足を退けると、弾んだ足取りで、克巳さんたちの元に向かった。  そして足元に落ちていたナイフを音もなく、そっと拾い上げる。 「理子さん……それを、どうするつもりなんだ?」 「決まってるでしょう。調子こき過ぎた稜くんを、この手で殺ってやるのよ」  俺、リコちゃんに殺されちゃうのか―― 「稜は何も悪くない。悪いのは俺だ、俺を刺せばいい」    森さんの躰からゆっくりと立ち上がり、リコちゃんが手にしているナイフを、自分の胸元へ強引に導いた。 「純粋に理子さんを愛してる彼よりも、そんな彼を愛してしまった俺のことを、君の手で罰してくれ」 「克巳さん、何を言ってるの、悪いのは稜くんだよ。あんな気持ち悪い人、死んでしまえばいいんだって!」 「理子さん頼む、俺から殺してくれないか……稜を愛しても、どうせ彼は理子さん以外愛せない、そう思うんだ。分かっているのにこの気持ちは、どうにもならなくて苦しすぎる。だからもう君の手で、俺の命を奪ってほしい。この苦しさから解放してくれ……」  克巳さん――俺の気持ちを、理解していたの? 「私が克巳さんを、殺れるワケないじゃない。好きな人に手をかけるなんて、そんなこと出来ないよ」 「理子さん……?」  所々震えるように告げられた声色に、克巳さんが困惑した表情を浮かべた。  リコちゃんの手で、克巳さんを殺らせちゃダメだ――それだけは何としてでも、阻止しなければ。  ふたりの会話を耳にしながら、その隙を窺ってみた。 「全部あのコが……稜くんが悪いのよ。変な毒を振りまいて、周りの人間に悪影響を及ぼすんだもん。だから私がその命を奪ってやるの、大事な人を守るためにね。そしたら克巳さん、きっと目が覚めるわよ。稜くんがいなくなったら、また私を愛してくれるんでしょ?」  どこか悔しそうな表情を浮かべ、必死に訴えかけるリコちゃんの言葉に、無言で首を左右に振った克巳さん。  狂気じみた彼女の言葉を聞き、周囲からただならぬ雰囲気がひしひしと流れてくるのを肌で感じた。克巳さんに断られたこともそうだけど、その雰囲気に当てられたリコちゃんの瞳に、涙が滲みはじめる。 「何で? 私、間違ったこと言ってないよね? 稜くんは人を惑わす、悪魔みたいな男なのに……」 「そうだよ、リコちゃん。君は間違ってない! 俺は自分の毒占欲を盛大に振りかざす、悪魔みたいな男だ。だから遠慮なくヤっちゃってよ! 大好きなリコちゃんに、この命を奪われるなら本望だね!!」  最初のときとは違い、弱々しく言ったセリフを聞き、俺は渾身の力を込めて、大きな声で叫んでやった。  俺のせいで、克巳さんが死ぬことはない。それに彼女が心から望んでることを、進んですればいいと思った。  そう……リコちゃんの躰を奪ったところで、心までは手に入らない――勝敗は最初から分っていたのに、自分の中にある毒占欲を、どうしても止めることが出来なかった。 (――惨めにキズつき、こんな場所で倒れてる茶番劇が、その結果だ)  それに俺がいなくなれば、すべて丸く収まる――毒の元凶である自分が、この世からいなくなれば…… 「ほらね、稜くんが自ら死にたがっているじゃない。希望通り、殺してあげないと」  俺の声に反応して、リコちゃんが克巳さんに向けていたナイフを離そうとしたときだった。 「……大好きな君が俺の愛する人を、殺すところなんて見たくない――」  静かに……だけどはっきりと告げられたその言葉に、嗚咽を漏らしながら顔を歪ませたリコちゃんは、握りしめていたナイフを手からゆっくりと落とす。  真っ赤な血のついたナイフが、アスファルトに寝転がっている今の無様な自分の姿と、何故だか綺麗に重なった。  結局リコちゃんに殺されることもなく、手に入れることも出来ず、彼女に対して燻っていた毒占欲をそのままに――死に損なった俺は、テレビや新聞・週刊誌の格好の餌食となったのだった。

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