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act:毒占欲の果てに②

 ――大輪の綺麗な華が、萎れている。  入院中の稜は虚ろな顔をしたまま、一日中テレビを見ていた。その姿は、画面に現れる自分の姿を遠くから見ているようで、どうにも声をかけにくい状態で。  そんな、無表情な彼の横顔を見ると思い出す。今のように傷ついた稜を目の前にして、何も出来なかった自分をずっと悔やんでいた。  あの日の俺は、妙に明るい理子さんの顔色を窺いながら、別れを告げるタイミングを計っていたんだ。  後方から差し込む夕日が、俺たちの影を目の前に映し出し、傍から見たら、仲の良さそうなカップルに見せていたかもしれない。この夕日がもう少し陰ったら、別れを切り出そうと考えていたときに、クスクスと笑い出す理子さん。 『……どうした?』 『それはこっちのセリフだよ、克巳さん。まるで落ち着きのない子どもみたいに、今日は挙動不振なんだもん。何だか、可愛いって思っちゃった』  左腕に絡めている腕を強引にぐいっと引っ張って、自分の方に引き寄せ、じっと顔を見つめてきた。その視線にすべてを見透かされそうな感じがしたので、慌てて顔を背けてやり過ごす。  この雰囲気で、別れを告げるのはあんまりだろうな―― 『悪い、理子さん。こういう人通りの多い往来で、抱きつかれるのは苦手なんだけど』 『だって克巳さんを、誰にも渡したくないんだもん。ずっと傍にいて』  俺の苦情も何のその、彼女が自分の気持ちを押しつけてきたとき、後方で何かが倒れる音が聞こえたんだ。  理子さんと一緒に振り返ると、そこには歩道で仰向けになった稜がいて、見知らぬ男が振り上げたナイフで、今まさに刺されそうになっている瞬間だった。 『稜っ!?』  有りえない光景に、思わず息を飲む。信じたくない目の前の現実に、それがドラマの撮影じゃないかと、頭の中で考えてしまった。  ぎらりと鈍く光ったナイフが、吸い込まれるように稜の腹に突き刺さる様子や、刺された衝撃で痙攣した躰、そして刺した男が滴らせて流した汗も、何もかもがゆっくりに見えてしまった―― 『あ、ぁ"あ"、あ"ぁっ!!』 『まるで、ヤってるときみたいな声を上げるのな。感じているのか稜? ん?』   稜の着ている青いシャツが血で染まっていく様で、やっとそれが現実に行われていることだと認識出来た。あまりの現状に、クラクラと目眩がしそうになったが、すぐに気持ちを切り替える。  ――稜を助けなければ!  そう思い、慌てて一歩踏み出した俺の腕を、ぎゅっと掴んだ人がいた。 『行かないで。ここにいて、私の傍にいてよ』 『……ごめん。俺は、稜のことを愛してるんだ』  理子さんに思いきって自分の気持ちを告げたら、やけにあっさりと腕を離した。さっきしがみつかれたのもあったので、若干の違和感を覚えつつも踵を返し、稜のところに急いで向かう。  跨っていた男が腹を刺していたナイフを抜き取って、両手を使い振り上げた。  稜を――キレイな華をこれ以上、傷つけさせるものか!  走った勢いを使って男にタックルし、稜から遠ざけてやる。そしてナイフを取り上げようと、必死になって格闘した。 『離せっ! 稜を殺らなきゃダメなんだぞ!!』 『何をバカなこと言ってるんだっ、そんなことをしても、彼は手に入らない! そんなことも分からないのか!?』  何て可哀想な人なんだ。彼を殺したって心は絶対、手に入らないというのに。それは俺だって同じなんだ。守ったところで、稜は振り向いてはくれない――  まるで自分に言い聞かせるような言葉を吐き出しながら、男の腕をぎゅっと捻り上げ、その手からナイフを落とし、足で素早く手の届かない場所に蹴飛ばす。  ナイフを取りあげられたせいか、男は急に大人しくなった。その様子にほっと、一息をついたとき。 『まだ生きてるの? やっぱりしぶといのね』 『リコちゃん……?』  口元にふんわりとした柔らかい笑みを浮かべながら、ゆっくりとした足取りで稜に近づき、容赦なくヒールで顔を踏みつける。 『っ、なっ、なんで!?』 『なんでって、それはこっちのセリフなんだけど。自分のやったことを思い出しなさいよ』 (もしかして彼女、俺たちの関係を知っている!?)  内心焦ったとき理子さんが踏んでいた足を退けて、稜の顔を蹴りあげようとした。しかしその動きを素早く見極め、上手く腕でガードする。腹に力を入れたせいで彼の出血が、見る間に酷くなっていった。 『黙って蹴られなさいよ。それだけのことをアナタ、してくれたでしょ?』 『な、何を言ってるのかな。俺は、何も――』  苦痛に顔を歪めながら理子さんの顔を仰ぎ見る、稜を直視するのが辛くて堪らない。彼女から放たれる言動や行動に、ものすごく傷ついて見えるのは明らかだ。 『昔からそう……稜くんは私の物を欲しがって、何でも奪い取っちゃうんだから。本当に悪いクセだよね』 『それはリコちゃんが好きだから、持っている物がどうしても欲しかったんだ』  素直な気持ちを語っているのに、忌々しそうな顔をしてチッと舌打ちし、稜の顎をヒールで持ち上げる理子さん。普段大人しい彼女の意外な一面に、言葉をかけることすら忘れてしまった。 『親には片親で不憫な稜くんに、よくしてあげなさいと言われてたから、仕方なく面倒見てあげていたのに、それを見事に勘違いしてくれちゃって、困ったコだよね』 『それでも俺は君と一緒にいる事が出来て、すっごく嬉しかったんだ。たとえそれが強制されたことだとしても、リコちゃんに優しくされたことが、本当に――っ』 『だからってどうして、克巳さんを奪ったの? 女の私から男であるアナタがどうやって、克巳さんを上手いことたらしこんで、骨抜きにしたのかしらね?』  言いながら一瞬、視線をこちらに向けて、悲しそうな顔をする。俺は何とも言えず、男を押さえながら俯くしか出来なかった。 『克巳さんがどこかおかしくなったのは、アナタの家に初めて行ってから。それでピンときたのよ、何かあったんだって』 『……そう、気がついてたんだ』  稜が力なくそう言うと、掬い上げていたヒールを移動させ、頬に向かって尖った踵を使い、容赦なく踏みつけた。  躰だけじゃなく、心までどんどん傷ついていく彼を助けたいのに、押さえ込んでる男の存在が邪魔で、歯がゆさを覚えるしかない。  これ以上、ふたりの争いを見たくはないというのに―― 『昔からアナタが私のモノを強請るクセがあったからこそ、気がついたの。それで探偵に依頼して、芸能人の葩御 稜のことを、徹底的に調べてもらったわ。キレイな顔して、随分とヤりまくってるんだって? 仕事が終わったら森って男に抱かれて、家に帰ったら克巳さんに抱かれて。呆れちゃうくらい、稜くんってお盛んなのね』 『だから、なんだ……損得勘定だけで動く森さんを、上手いことそそのかして、リコちゃんが俺に攻撃するよう、何か言ったんでしょ?』 『ホント馬鹿ね、人の心は単純じゃないのよ。アナタがよろしくヤってる声を、目の前でちょっとだけ聞かせてやったら、このザマなんだから』  自分の顎を使って、俺たちの方を指し示す。理子さんの表情が、やけに嬉しそうに見えるのは、気のせいだろうか? 『……それって俺の部屋に、盗聴器を仕掛けたの?』 『素人がそんなこと、出来るワケがないでしょ。克巳さんのカバンに仕込んでおいたのよ。私だけに優しくしてくれて、いい人だと思ったのになぁ。どうして稜くんの毒牙にかかっちゃったのか。男ってみんなバカだよね』  ふうぅっとため息をついて稜の顔からヒールを退けると、弾んだ足取りでこっちに向かってきた。そして俺が蹴飛ばしたナイフをそっと手に取り、目を細めて見つめると、やがて悲壮な面持になった。 『理子さん……それを、どうするつもりなんだ?』  彼女自身から放たれる、凍りつくような雰囲気を感じながら、低い声で唸るように問いかけると、稜に向かってナイフを振り下ろす前に見た、男と同じような形相で答える。 『決まってるでしょう。調子こき過ぎた稜くんを、この手で殺ってやるのよ』 『稜は何も悪くない。悪いのは俺だ、俺を刺せばいい』  可哀想な人だ……この男も理子さんも。そんなことをしたって、何も手に入らないのに。  俺は唇を噛みしめ男から躰を退けると、理子さんの元に向かい合い、持っているナイフを自分の胸元に導いてやった。 『純粋に理子さんを愛してる彼よりも、そんな彼を愛してしまった俺のことを、君の手で罰してくれ』 『克巳さん、何を言ってるの、悪いのは稜くんだよ。あんな気持ち悪い人、死んでしまえばいいんだって!』  悲鳴に近い声を聞きながら、力なく首を横に振ってみせる。 『理子さん頼むっ、俺から殺してくれないか……稜を愛しても、どうせ彼は理子さん以外愛せない、そう思うんだ。分かっているのにこの気持ちはどうにもならなくて、苦しすぎる。だからもう君の手で、俺の命を奪ってほしい。この苦しさから解放してくれ……』 『私が克巳さんを、殺れるワケないじゃない。好きな人に手をかけるなんて、そんなこと出来ないよ』 『理子さん……?』  持っているナイフが、ガタガタと揺れ始めた。大きな瞳から、止めどなく溢れてくる涙が、そうさせていたからだろう。 『全部あのコが……稜くんが悪いのよ。変な毒を振りまいて、周りの人間に悪影響を及ぼすんだから。だから私がその命を奪ってやるの、大事な人を守るためにね。そしたら克巳さん、きっと目が覚めるわよ。稜くんがいなくなったら、また私を愛してくれるんでしょ?』  ナイフを持っていない手で、俺をぎゅっと掴んで揺さぶってくる。今度はしっかりと、首を左右に振ってやった。  ――君を愛することは出来ない。  言葉にするには、あまりに残酷なセリフだから口にせず、あえて首を横に振ってそれを表す。 『何で? 私、間違ったこと言ってないよね? 稜くんは人を惑わす、悪魔みたいな男なのに……』  理子さんにとっては悪魔に見えるかもしれないが、俺にはそう見えないんだ。もっと綺麗な―― 『そうだよ、リコちゃん。間違ってない! 俺は自分の毒占欲を盛大に振りかざす、悪魔みたいな男だ。だから遠慮なく君の手でヤっちゃってよ! 大好きなリコちゃんに、この命を奪われるなら本望だね!!』  俺の考えを大きな声で、稜が遮った。出血が酷くて、それどころじゃないはずなのに。 『ほらね、稜くんが自ら死にたがっているじゃない。希望通り、殺してあげないと』  諭すように言い放つと俺の手を強引に振りほどき、手にしていたナイフを下げて、稜のところに行こうとするその小さな背中に、心を込めて告げてやる。 『……大好きな君が俺の愛する人を、殺すところなんて見たくない――』  本心を聞いた理子さんはその場で立ち止まり、持っていたナイフをポロッと落とした。  その後、騒ぎを聞きつけた警察官がやって来て、男と理子さんを取り押さえる。怪我をした俺と稜は、一緒に救急車に乗せられたのだった。

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