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白熱する選挙戦に、この想いを込めて――(プロローグ)

 克巳さんと過ごす時間は、俺にとってはとても大切なもの。  芸能人という肩書きがあるせいで、気苦労させているところがあるのにも関わらず、一途に愛してくれる彼を、同じように愛していた。 「久しぶりのオフだね、稜」 「たった一日だけど、克巳さんと二十四時間一緒にいられると思ったら、すっごく興奮して鼻血が出そうだよ」 「サービス精神が旺盛なのは知っているけれど、嬉しさを鼻血で表現するのは笑えない……」  新幹線に乗って、京都に向かおうとしていた俺たちは、大通りを仲良く並んで歩いていた。 「え~っ、分かりやすいと思ったのにさ。他に何を言ったら、躰中に湧いて出てくるこの喜びを、上手いこと表現出来るかなぁ?」  克巳さんの顔を下から覗き込んでみたら、一重瞼を細めて苦笑いを浮かべる。 (俺ってば、可笑しなことでも言っちゃったかな?) 「いろんなドラマに出て役者をやっているんだから、上手に表現出来ないんて、名前が廃るかもしれないね」  その言葉に、ちょっとだけカチンときた。 「克巳さんとの恋愛は、お芝居なんかじゃない。リアルなんだよ、リ・ア・ル! 心のままに思ったことが、俺の素直な気持ちなのに」  口を尖らせて怒ってみせたら、カバンを持っていない手が、俺の頬にやわやわと触れてきた。  冬空の下、寒風で冷え切った肌に、克巳さんの温かさがじわりと伝わってきて、イライラしていた気持ちが、瞬く間に消え失せていく。 「ふふ、稜が真剣な顔して怒ってる顔。久しぶりに見たかも」 「酷い……。怒った顔を、笑いながら見つめるなんてさ」 「だって久しぶりだから。こうやってのんびりと並んで、歩きながら話すことが。しかもテレビじゃなく直に、君の顔が拝めるんだ。いろんな表情を生で見たいと思う気持ちくらい、少しは分かってほしい」  言いながら俺の頭を撫でて、軽く躰をぶつけてきた。ぶつけられた衝撃は強いものじゃなかったのに、心がくるんと一回転する。  照れた顔を見られたくなくて、道路のむこう側を見た。タクシーを待つ、まばらな人ごみが目に留まる。駅に向かうのに、タクシーを使おうとしていたので、混み合っていない様子に安心した。 「タクシーに乗ったら、この手を握りしめてあげるから、いい加減に機嫌直して」  そっぽを向いた俺の耳元で、変な交渉を始める克巳さん。そんな交渉に、簡単に乗りそうになる俺も、どうかしてると思われる。 「稜……さてはその顔、手じゃなく違うトコを、握りしめてほしいって思ってる?」 「ばっ、違うっ。そんなこと、全然考えてないってば!」  何で分かるんだよ、まったく―― 「俺の前だけ、素直になってくれる君だからね。何でもお見通しだっ……っと!?」  突然、前のめりになって足を止めたので、何かにつまずいたのかなと思い、足元を見てみた。煉瓦で綺麗に舗装された所には凹凸が全然なくて、つまづく要因が見当たらない。  おかしいと感じつつ視線を隣に移したら、克巳さんの後ろに小柄な体形をした見知らぬ男性が、なぜかくっつくように立っていた。 「ぅっ……逃げ、ろ。離れ……るんだっ――クハッ!!」  ビシャッ!  勢いよく、克巳さんの口から吐き出された鮮血。それは俺が刺されたときに見た血の色とはまったく違い、鮮麗な赤い色をしているせいで、目を奪われずにはいられなかった。  あまりの出来事に事態が飲み込めず、わなないている俺の目の前で、ガックリと蹲る克巳さん。ナイフが背中に、深く突き刺さったままだった。 (どうしてこんなことが……。俺はまた、愛する人を失ってしまうのか!?)  通行人の悲鳴が次々と耳に聞こえてくるのに、どうしてだか動くことが出来なかった。ケガをしている克巳さんを、早く助けなきゃならないというのに、スマホを出すこともできずにそのままでいた。 「アハハハ! お前らみたいなキモい人間、全部いなくなっちゃえばいいんだ」  克巳さんの血で手を赤く染めた小柄な男性がお腹を抱えながら、声高らかに大笑いをする。その様子に堪えきれなくて、カバンをその場に投げ捨て、ソイツに掴みかかってやった。 「おい、お前……。どうして俺をヤらなかった。彼はただの一般人だ。手をかけたところで、大した記事にはならないよ。有名になりたかったんだろ?」  大きく揺さぶりながら問いかけると、いきなり真顔になり、冷たい眼差しが俺を射すくめる。 「有名なんかになりたくねぇよ、バーカ。さっき言ったろ、キモいって。男が男を好きなんていうのは、絶対に頭がおかしい。それを排除して、何が悪いんだ」 「うっ、稜……ここから、立ち去るんだ、早く……」  血反吐を吐き、真っ青な顔をして横たわる克巳さんが、消え入りそうな声色で話しかけてきたのを聞き、男を放り出し慌てて駆け寄り、その躰をぎゅっと抱き起した。 「稜……だ、めだ。これ以上っ……君のスキャンダルが増えた、ら……ゆ、夢が……遠のいて、しまうだろ」 (こんなときに、俺のことばかり考えて――) 「うわぁ、虫の息だね。もう死んじゃうね、ご愁傷さま」 「……言ってくれるようだけど、この人は絶対に死なないよ。俺が死なせない!」 「はぁあ? 何を――」 「耳の穴かっぽじって、よく聞けっ!」  気がついたら、人だかりが俺たちを取り囲んでいた。まるで自分が刺されたときの再現みたいで、少し切なくなった。  だけど、今回は状況が違う――愛する人が、手にかけられてしまったんだから……。 「この人を好きになったのは、同性だからとかそういうのは、全然関係ないんだ。芸能人の俺じゃなく、ひとりの人間として愛してくれたから、俺も愛しただけなのに……。それのどこが悪いんだよ!?」  意識を失った克巳さんの頭を、胸元に優しく抱きしめ直した。どんどん冷たくなっていく彼を、何とかしてあたためてあげたかった。 「テレビや新聞、週刊誌に叩かれまくって、ボロボロになった俺を励まし、ただひとり応援してくれた尊敬するこの人を、どうして愛しちゃダメだと言うの。ねえ……」  涙ながらに語った俺の悲痛の叫びの傍で、サイレンの音が響き渡る。  こうしてこの事件のせいで、俺は番組の降板を余儀なくされたのだった。

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