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第一話 其の身、龍にあらずとも

霊獣界で、奇妙な事件が起きていた。   東方を守護する名門・|東嶺青龍家(とうれいせいりゅうけ) において、「ハクビシン」の仔が誕生したのだ。 巣穴から殻を破って孵った幼龍たち。その真っ白な巣穴の中に一匹だけ、毛むくじゃらの黒い塊が混じり込んでいた。   誰もがそれを「不吉」「不浄」「おぞましい」と忌み嫌い、蔑むような鋭い視線を向ける。だが、群れの中でひとり「賢者」と謳われる火龍不知火(しらぬい)だけが、膝を折り、その小さな温もりをそっと抱き上げた。   「お主の名前は、春雷(しゅんらい)じゃ」 こうして、青龍の血族に生まれ落ちた異形の子は、不知火の手によって育てられることとなった。   ◇   「不浄者が! 近寄るでない!」 「青龍家の面汚しめ!」 「龍の姿にもなれぬ獣風情が!」   すれ違うたびに飛んでくる小石と、耳を刺すような罵声。 幼い春雷がそのたびに泣きついてくる姿を見て、同世代の幼龍たちは大層面白がった。――のだが、事態は彼らの予想通りには進まなかった。   「なぜ、わたしはいじめられるのですか? あやつらが馬鹿だからですか?」   ボロボロと涙をこぼしながらも、その瞳から凛とした光が失われることはなかった。   「……確かに、そうかもしれんな」   我が子のあまりの直球さに、不知火は思わず苦笑する。   「ならば仕方がありません。私は暴力は嫌いです。なので言葉でねじ伏せてやりましょう」   周囲からどれほど排斥されようとも、春雷は決して屈しなかった。 それどころか、自分を馬鹿にしようとするいじめっ子たちを理路整然と論破し、呆然とする相手に真っ直ぐ言い放つ。   「私は、皆様の侮蔑や暴言に傷ついてなどやりませぬ。ただ、間違ったお頭を正して差し上げたまでです」   ぐうの音も出なくなった幼龍たちは、顔を真っ赤にして逃げ出すしかなかった。   「その曇ったお目目、私がきれいに覚まさせてあげます!」   名は体を表す。激しい雷鳴とともに冬を切り裂く「春雷」のごとく、嵐のように周囲を圧倒する我が子を見て、不知火は「とんでもない名前をつけてしまった」と、頭を抱えて苦笑するのだった。   ◇   春雷が五歳になると、不知火は屋敷の手伝いを少しずつ教え始めた。 薪割りや皿洗い、料理の仕込み。遊びの延長のように不知火も腰をかがめて一緒にこなしたが、春雷はそれを自らの「使命」として受け入れ、目を輝かせて質問を投げかけた。   「なぜ、この野菜は黒くなってしまうのでしょうか」   「それはカビじゃな。風通しが悪く、湿気がこもっていたのじゃろう」   「お皿は先に水につけておくのですね! なぜですか?」   「このほうが油がふやけて、するりと落ちるからかの?」   時には春雷の鋭い追及に答えに詰まり、不知火が夜中にこっそり書物を開いて勉強し直す羽目になることもあった。 だが春雷は一を聞いて十を知る賢さがあり、一度噛み砕いた知識を忘れることは決してなかった。   火龍である不知火の屋敷は、ゴツゴツとした赤茶けた岩肌が続く火山の麓にあり、広大な土地を有していた。だが、そこで暮らしているのは不知火と春雷の二人きり。そのため、下男として働く春雷の仕事は必然的に多くなる。   朝もやの中での食事の用意、広大な廊下の拭き掃除、湯あみの準備、畑の開墾、山道を下っての買い出し。それらすべてを、春雷はわずか十歳にして完璧にこなせるようになってしまった。   「お主、もし龍だったら間違いなく『神童』と呼ばれておったな」   湯気を立てる味噌汁と香ばしい炊き込みご飯を口にし、感動に目を細める不知火だったが、当の春雷にはぴしゃりと言い返されてしまう。   「不知火様、私は龍ではありませんから、神童でもありません」   教えたことを吸い上げ、器用に立ち回る姿を見て、不知火は「この子の未来は明るい」と親バカ全開で確信していた。 だが、そんな不知火にも一つだけ、胸を締め付けるような気がかりがあった。   これほど忙しく動き回っているというのに、春雷の体は細いままで、一向に肉がつかないのだ。   「春雷、また痩せたか?」   「……不知火様、私はどこか奇妙なのでしょうか」   春雷は不安を隠すように、その神秘的な虹色の瞳で不知火を見上げた。   「食べても食べても、すべてが体からすり抜けて空っぽになってしまう感覚があるのです。お腹が、いつまで経っても満たされません」   痩せたお腹をさすり、心細そうに俯く春雷。不知火はその小さな頭を、大きな手で包み込むように撫でた。   「私は……何か悪い病気なのでしょうか」   「大丈夫だ。わしがなんとかしてやろう」   不知火は燃えるような赤髪を一つに結び直すと、邸内の奥深くに鎮座する「万象書庫(ばんしょうしょこ)」の重い木製扉を開け放った。   そこには東嶺青龍家が幾千年にわたり蓄積してきた知恵が眠っている。薄暗い室内、ずらりと並ぶ背表紙のホコリを指で払い、 生態を記した古文書を開いた。 通常の「ハクビシン」の生態を調べるが、春雷の症状と合致する記述は見当たらない。 不知火が本から目を離すと、書庫の入り口で、敷居を踏むまいと爪先立ちをしながらそわそわしている春雷と目が合った。   「春雷、手伝っておくれ。自分の体のことは、お主自身が一番知っておくべきじゃ」   「はい!」   ぱっと花が咲いたような笑顔を見せる春雷に、不知火の目元も自然と緩む。   通常のハクビシンは夜行性で、昆虫や小動物、熟した果実を好むという。だが春雷にはどれもピンとこないようだった。  「果物は入手が難しいが、ふもとの市場で探してみるか」    と不知火がページをめくっていると、隣で分厚い図鑑を開いていた春雷が、小さな感嘆の声を漏らした。   「不知火様、この世には美しい霊獣がたくさんいるのですね」   「霊獣というのは内に秘めた霊力によって、容姿が美しく研ぎ澄まされる者が多いからな」   「……では、私は霊力が低いから、こんなに醜い姿なのでしょうか」   不知火は、静かに本を閉じた。紙の擦れる音が、静寂に落ちる。   「春雷よ、よくお聞き。見た目だけで他者を推し量るような輩は、例外なくクソじゃ。美形が多いのは確かだが、それはあくまで霊力の副産物。中身が腐りきった輩など、この界隈にはごまんといる」   不知火は、かつて投げつけられた石で傷ついた春雷の額の痕へ、そっと指先で触れた。   「予言してやろう。いつか必ず、お主のその姿を『美しい』と心から愛でてくれる者が現れる。それに……」 不知火は持っていた分厚い革装丁の本を、片手でミシリ……と力任せに歪ませた。   「春雷を醜いなどと抜かした不届き者には、このわしが直々に拳骨をぶち込んでやる」   怒りに呼応し、不知火の口元からハラハラと小さな火の粉が零れ落ちる。それを手慣れた動作でサッと避けた春雷が、苦笑混じりに言った。   「げんこつ一発くらいで、私は十分に気が済みますよ」   「そうか?」と不満げに首を傾げた不知火だったが、その拍子に、春雷が手元に広げていた本の内容が目に入った。  よもや、と思い至り、春雷の細い体と本を交互に見比べる。そして「いいことを思いついた」と豪快に目を細めた。   「春雷、花の蜜はどうじゃ?」   「はい?」   不知火が指差したのは、霊草や高山植物の生態が記された頁だった。   「ハクビシンの中には、霊気を孕んだ花の蜜を主食とする種もいるらしい。手始めに、中庭にツツジを敷き詰めてみようかの」   「あのみごとな枯山水の庭を崩してまで……よろしいのですか?」   「よいよい、構わん。それに――」   不知火は、先ほどまで春雷が見取れていた図鑑へ視線を落とした。   「中庭には、いつでも自由に出て良いぞ。山の天気は変わりやすい。もし夕立が降ってきたら、雨を恐れず中庭へ出て、空を仰ぐのじゃ」   春雷は不思議そうに首を傾げた。   「何故でしょうか?」   「そなたのその、空っぽの腹を満たすためじゃ」   ニカッと豪快に笑った不知火は、さっそく腕まくりをし、中庭に並ぶ見事な庭石を軽々とどかし始めた。   ◇   半日も経たぬうちに、不知火は中庭の片隅に朱塗りのあずまやを建て付け、その周囲を色鮮やかなツツジの群生で埋め尽くしてみせた。   咲き誇る濃いピンクの花をいくつか手折ると、不知火は東屋へ歩み寄る。そこでは春雷が、主のために芳しいお茶を淹れて待っていた。   不知火は、摘んできたばかりのツツジの花を、春雷の口元へそっと添えた。   「春雷、甘いか?」   戸惑いながらも、春雷はちいさな舌でそっと蜜を舐めとる。 甘かった。みずみずしく、甘美な味が広がっていく。 ――そして、それだけではなかった。 花蜜が喉を通った瞬間、じんわりと温かいものが体中に染み渡り、いつも腹の底に居座っていた「底なしの空腹感」が、みるみるうちに満たされていく。   「……不知火様、なんだかお腹が満たされてきます。なぜでしょう!」   輝く虹色の瞳を丸くする春雷に、不知火は心底嬉しそうに目を細めた。   「それはよかったの」   不知火は春雷を抱き上げようとして――一瞬だけ、その腕を止めた。   「……ふむ」   ごまかすように肩を大きく回してから、いつものように豪快に抱き上げる。 春雷は気づかなかったが、その抱き上げる動作は、昔に比べてほんの少しだけ緩やかで、力みがこもっていた。   腕の中でなびく春雷の柔らかい毛並みを愛おしげに撫でながら、不知火は静かに祈る。いつかこの子が自らの存在を誇り、自身の姿を呪うことのない世界が訪れるように、と。   「春雷。そなたと過ごした日々は、長い龍生の中でも、ひときわ眩しく燃える炎のようじゃった。まさかこの年になって、子育ての妙味を味わうことになるとは思わなんだよ」   「私も、不知火様が一緒にいてくださって本当に幸せです!」   春雷の虹色の瞳が、赤い炎のような不知火の姿をまっすぐに映し出す。   「そうか、そうか。嬉しいのう」   豪快に笑い、小さな体を胸の中にしっかりと抱きしめると、不知火はその頭に深く顔を埋めた。   「不知火様……?」   「春雷、すまない」   抱擁の中で、春雷の体が小さく跳ねた。   「わしは……春雷の大人の姿を見てやることはできぬ」 春雷の喉が、ひゅっと鳴った。   「どういう……ことですか?」    

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