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第二話 夕暮れの約束

◇ 実のところ、|不知火(しらぬい)が春雷(しゅんらい)を引き取り、こうして手元に置いたのには、もう一つ切実な理由があった。 不知火の齢は、間もなく三万年を数える。龍族の中でも一際古く、恐れられる存在であったが、同時に「長い眠り」につく周期が目前に迫っていたのだ。   「これほどお若いお姿をされているのに、寿命が近いのですね……」   切なげに声を落とす春雷に、不知火はくけけと笑って首を振った。   「寿命とは少し違うな。わしにはある古き呪縛があってな、実質的には死ぬことができんのじゃ。だが一定の年月が来ると、殻を脱ぐように幼子の姿へ戻り、再び生を受け直さねばならん」   ただし、その転生の儀の際、約百年間という途方もない時間を深い眠りの中で過ごす必要がある。その間、無防備になる不知火の体は、東嶺青龍家の最奥にある静寂の「霊泉」に身を沈めていなければならなかった。 そこまで聞いて、どうして不知火が自分に生きる術を叩き込み、屋敷の仕事を万全に教え込んだのか、春雷の頭の中で全ての糸がつながった。 ――自分が眠りについた後も、この子が一人で生きていけるように。   「つまり、その時が来たら、私が不知火様を霊泉までお運びして、ドボンと投げ入れ、百年経ったら引き上げに行けば良いのですね?」   「理屈としてはそうなんじゃが……」   あまりにも容赦のない手順を口にする我が子に、不知火は引きつった苦笑いを浮かべる。   「もう少し、こう……もう少し優しく扱って欲しいものじゃな……」   春雷はふっと視線を切り替え、遠くの茜色に染まる空を見上げた。そこにある果てしない未来を仰ぎ見るように、小さな両手をいっぱいに広げる。   「不知火様。いつかまた会えるのだと思えば、それは私の絶望ではなく、希望になります」   空からこぼれ落ちる夕明かりをぎゅっと掴み取るように、春雷は小さな掌を閉じた。   「私は必ず、私のお役目を果たしてみせます」   そして、少しだけ揺れる瞳で不知火を見上げた。   「ですが……もし」   「百年後に目覚めた不知火様が、私のことを綺麗さっぱり忘れてしまっていたら……私はどうすればよいのでしょう」   その言葉に、不知火は一瞬だけ睫毛を伏せた。 三万年という永い星霜の中で、数え切れない別れを繰り返してきた。何度も子供の姿に戻り、何度も芽吹いてきた。   目覚めるたびに削ぎ落とされ、また蘇る記憶。そして目覚めた瞬間に胸を支えるのは、いつも同じ重苦しい虚無だった。 ──また、始まったのか。 いつか、この終わりなき輪廻の呪いから解き放たれたい。 それは何千年もの間、不知火が誰にも打ち明けず、胸の奥底で燃やし続けてきた唯一の願望だった。   「春雷」   不知火は、静かに笑った。 「もし百年後、わしがお主を覚えておらなんだら……それは、初めて記憶が戻らなんだということじゃ。」   「……え?」 「つまり、わしの呪縛が終わったということになる。悲しむ必要はない。むしろ……喜んでおくれ」   不知火の瞳に、静かな凪が訪れる。   「わしは何千年もの間、その救いが訪れることだけを夢見ておったのじゃから」   「――夢……ですか」   「だから、その時は……わしがどれほどそなたを大切に思い、愛していたかを、お主の口から教えてくれれば、それで十分じゃ」   不知火はいつもの豪快な笑顔を取り戻した。   「記憶というものは不思議なものでな。頭から消えても、魂のひだに刻まれる温もりがある」   不知火の大きな指先が、春雷の額にそっと触れる。   「もし目覚めたわしが『そなたを知らぬ』と言ったとしても……」   あふれ出しそうな愛おしさを紛らわすように、不知火は春雷の頭をごしごしと乱暴に、けれど慈愛を込めて撫で回した。そして、白い歯を見せて笑う。   「きっとそなたの隣にいるだけで、『ああ、ここは暖かい』と感じるはずじゃ」   太陽のように眩しく暖かな主の笑顔。春雷は目を細め、くすぐったそうに喉を鳴らして笑った。   「だから……再会した時には、わしがどのような姿になっておろうとも」   春雷は胸にそっと手を当て、小さく頷く。   「私が必ず、不知火様を見つけ出します。そして、真っ先に言います」   一歩踏み出し、まっすぐな瞳で。   「おかえりなさい、と」   交わされた約束は、暮れゆく空の下、ふたりの魂に深く深く刻み込まれた。 その別れの時が訪れるまで、ほんの一瞬でも長く、この温かな時間をともに過ごしたいと祈りながら。

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