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第九話 囮と浄化役

 気絶した警備兵から何とか本を取り戻すと、春雷(しゅんらい)は改めて、それを黒南風(くろはえ)へと両手で恭しく差し出した。   「賢者、不知火(しらぬい)様よりお預かりいたしました本でございます。黒南風様、どうか此度の事件の解決にお役立てください」   「……確かに受け取った。久しいな、春雷。息災であったか?」   「お久しぶりです、黒南風様! 春雷はとても元気です!」    それまでの緊張が嘘のように、春雷は顔をぱあっと輝かせて返事をした。そんな純朴な姿に、黒南風も「うむ、うむ」と相好を崩す。   「それは何より。……で、どうしてこの客間が、これほど無残に焼け焦げておるのだ?」    ふと視線を落とした黒南風が、低く尋ねた。    畳は真っ黒に焦げ、机は真っ二つに折れ、お茶は床にぶちまけられている。時雨(しぐれ)と春雷は同時に「あ……」と声を漏らし、揃って気まずそうに目を逸らした。    ◇    二人が冷や汗を流しながら事情を説明する間に、黒南風はテキパキと部下に部屋を片付けさせ、新しくお茶を運ばせた。    今度は最初から、春雷の前にも温かい茶碗が置かれている。春雷はほっと胸を撫で下ろし、お茶を一口啜った。   「まさか、わしの身内にまで穢獣(けじゅう)の穢れが回っておったとはな。一度、警備隊全員を一堂に集め、わし自ら力ずくで『浄化(じょうか)』せねばならんのう」    黒南風がさらりと口にした言葉に、控えていた周囲の警備兵たちが一斉にブルリと身震いをした。  春雷は先ほどの黒南風の凄まじい咆哮を思い出し、(これは手加減なしの浄化になるぞ……)と心の中で同情の苦笑を浮かべる。   「……しかし、ここに来るまでに二人の穢染(けせん)された警備兵に遭遇しました。それに加え、巷では誘拐事件まで多発しているとか。この街の治安は、これほど悪かったでしょうか?」    時雨の問いに、黒南風は険しい顔で首を振った。   「いや、すべてここ最近のことだ。近々、大きな『祭り』が控えているからな」   「その通り。そして、不知火様がわざわざお前たち二人をここに寄越した理由も、おそらく単なる本の配達係をさせるためだけではあるまい」    黒南風の言葉に、春雷と時雨は顔を見合わせ、気まずそうに頷いた。    用件は済んだとばかりに、時雨が「それでは私たちはこれで……」と立ち上がり、そっと襖に手をかけようとする。だが、いつの間にかその背後に大柄な黒南風が音もなく立ちはだかり、その肩にポンと大きな手を置いた。   「手伝ってくれるな? 二人とも」    逃げ道を完全に塞がれ、二人は「はい」と頷くほかなかった。    こうして時雨と春雷は、半ば強制的に「穢獣誘拐事件」の捜査に巻き込まれることとなった。    ◇    黒南風の現状説明は、極めて簡潔でわかりやすかった。    事の始まりは、新しい統主の就任を祝うための「祭り」の開催が決まった、まさにその翌日のこと。ある霊獣が攫われるという事件が起きた。  被害者は裕福な商人の跡取り息子。治安維持を司る黒南風がすぐに動き、幸いにもその息子はあっさりと保護されたのだという。   「……だが、問題はそこからだ。保護した直後から、先ほどお前たちが交戦したような『黒い痣』を持つ警備兵が身内から現れ始めた。市民を守るべき警備兵が治安を脅かすなど、皮肉極まる話だが……。いまや穢染された警備兵たちが、率先して人攫いを繰り返している」    春雷はふむ、と顎に手を当てた。   「ということは……保護された商人の息子は、攫われた時点ですでに穢獣に穢染されていた。そして、彼を助けに行った警備兵たちもまた穢染し、理性を失って次の事件を起こすようになった……ということでしょうか?」    黒南風は重々しく頷いた。   「そんなの、ネズミ算式に被害が広がる一方じゃないですか!」    時雨が思わず机を叩いて声を荒らげる。   「その通りだ。正直、現状は完全にイタチごっこ。いくら目の前の警備兵を浄化しても、別の場所で穢染が広がっていく。穢染源となる『大元』を叩かねば、根本的な解決にはならん」    黒南風と時雨が腕を組んで考え込む中、春雷がぽつりと手を挙げた。   「……あの、そもそもなぜ、最初に『商人の跡取り息子』が攫われたのでしょう?」   「我々にも分からぬ。身代金の要求もないのだ」    黒南風が苦渋に満ちた表情で首を振ると、時雨も腕を組んだまま呟く。   「怨恨の線も薄いな。だとすれば……」   「犯人たちの目的は、その子『自身』だった……?」    春雷の発言を受け、黒南風は部下に誘拐被害者の情報が記された書類を持って来させた。三人が顔を突き合わせて書類に目を落とすと、春雷がその一箇所を指差した。 「東嶺青龍家の商人の跡取り息子は十七歳。黒龍の土地からは、訓練中に十六歳の青年龍が三人。水龍の土地からは、家の手伝いや買い出し中に十五歳から十七歳の女性龍が二人。さらに国外からも、祭りの準備に来ていた商人の娘が攫われています」  先ほどの翡翠輝石(ひすいきせき)は年上に見えたが、お付きの瑠璃(るり)は春雷と同じくらいに見えた。  「身分も住む場所も違うのに、年齢だけは共通しています」 「どれも十五から十七歳だ。これはあえて狙ったということか?」  時雨の問いに頷き、春雷は自身の考えを続けた。 「偶然ではないでしょう。犯人は十五歳から十七歳を意図的に狙っています。何か目的があるはずです」    春雷の言葉に、時雨は腕を組んだ。 「十五歳から十七歳、霊獣学府(霊獣学府)に入学する年齢だな」 「ええ。成人前でありながら、力が最も伸び始める時期でもあります」  春雷は地図を見つめながら、ふと眉をひそめた。 「だが、他国の商人の娘まで攫われている。龍だけが目的ではないということか?」 「いいえ。逆です」  春雷は静かに首を横に振る。三人の視線が彼に集まった。 「他国の商人の娘だけが異質だからこそ、犯人は種族を問わず、『十五から十七歳』という年齢そのものを条件にしているのでしょう」 「……となると、囮と浄化役が必要だ。お前たち二人がちょうどいいな」    黒南風は、不知火から託された本を開いた。   「どうやら、不知火様はお見通しだったらしい」    開いたページを時雨と春雷に見せると、二人は同時にため息をついた。そこには、囮を陣の中心に置き、その周囲に浄化陣を展開する作戦が記されていた。穢獣を誘き寄せ、穢染された者を浄化しながら、最後に穢獣を討つ――という内容だ。    穢獣が本を強奪したのは、これによって一網打尽にされてしまうからだったのだ。それにしても、不知火も人が悪い。   「どちらがどっちをやります?」   「……決まってる。俺はお前より年上だ。それにお前は浄化できないだろ?」    得意気に、時雨は笑った。

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