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第十話 私は、強い

   そこからの黒南風(くろはえ)の根回しと準備は早かった。  地図を広げて陣を敷きやすい場所を確保し、部下に次々と指示を出して準備に取り掛からせる。  さすがは武官と言うべきか、的確な指揮で、代わる代わる報告に来る部下たちにも焦ることなく順当に事を進めていた。    決行は夜。  穢獣(けじゅう)が活発に動きだす時間を狙う。  時雨(しぐれ)が他の霊獣たちと浄化の打ち合わせをしている間、春雷は邪魔をしないよう、笠を深く被ってひっそりと佇んでいた。    すれ違いざま、警備兵の街で見かけた人物と広間で襲った二人が気まずそうな顔を浮かべたのを見て、春雷(しゅんらい)は苦笑する。どうやら、先ほどの「浄化」の件は無事に済んだようだ。   「中で休んでいてもいいぞ。ここにいては退屈だろう」    春雷を見つけた黒南風が、心配そうに顔を覗き込んできた。   「中にいてもやることがありませんし、むしろ、普段は見られない武官の皆様の働きが見られて新鮮です。黒南風様から見れば、私はまだまだ小童ですね」    かつて不知火(しらぬい)が、まだ赤ん坊だった春雷を黒南風に見せたことがあった。 黒南風は、不知火の腕の中で蠢く黒い獣があまりにも愛らしくて、強面の顔をだらしなく緩ませたものだ。    もともと黒南風は小さくて愛らしい生き物を好み、武官になった理由もその強い庇護欲からだった。   「まだあんなに小さかったお前が、もう能力を使いこなすとはな。不知火様の指導は流石だ」    春雷は手のひらにパチパチと紫の電気を走らせた。   「『紫電(しでん)』です。夕立が好きな私を見て、不知火様は『体内に電気を蓄えられるのではないか』と仮定し、七年間修行をつけてくださいました」   「雷を貯めるか。すごいな」   「最初はうまくいかなかったのですが、おかげで自分の身は自分で守れるようになりました。ただ……」    春雷はそっと、時雨が話している方へと視線を向けた。   「私は攻撃ばかりを覚えてしまい、浄化は習得していません。不知火様も、浄化は苦手なようで……」    不知火は自身を守る能力を重点的に教えていたため、浄化のことは後回しになっていたのだ。   「そもそも、不知火様の浄化は乱暴だからな。春雷とは体質的に合わないのかもしれない。それこそ、霊獣学府(れいじゅうがくふ)で学べばいい」    黒南風がまっすぐ春雷を見て言ったが、春雷はふいと目を逸らした。   「……ハクビシンの私には、入学資格がないと言われてしまいました」    霊獣学府とは、霊獣であれば「誰でも」通える学校のことだ。  しかし、その「誰でも」の中に、ハクビシンは含まれていないらしい。  校風は平等と謳いながらも、結局は五神霊獣中心の男尊女卑ならぬ「種族至上主義」なのだ。   「仕方ありません」    春雷は諦めるしかなかった。  黒南風は少し考えると、「なるほど」と深く相槌を打った。   「不知火様は、やはり恐ろしいお方だ」   「え?」と、春雷は黒南風を見上げた。   「今回の穢獣事件、春雷が解決に尽力したとなれば、霊獣学府も無下には扱えまい。いわば、お前の功績を作るための口実として、この事件にあてがったのだろう。ここは頑張らないといけないな」   「はい!」    春雷はぱっと表情を明るくして返事をした。  不知火が自分のためにそこまで考えてくれていたのなら、その想いに全力で応えたい。   「学府は実力主義だ。最初は偏見を向ける者もいるだろう。だが、お前が結果を示せば、見る目を変える者が必ず現れる」    目の前を通りかかる警備兵たちに聞こえるよう、黒南風は大声を張り上げた。   「春雷、胸を張れ。お前は強い。なんせ、訓練された我が隊の警備兵を返り討ちにしたんだからな!」    それを聞いた警備兵たちは、「あのハクビシンが勝ったのか!?」と、にわかにひそひそと噂し始めた。その様子を遠目に見ながら、時雨は満足そうに微笑んだ。      ◇  いよいよ夜が訪れると、春雷は、穢染(けせん)を少しでも防げるよう加工された白い和服に着替え、笠の隙間にも同じく穢染防止の布を垂らしたものを被った。  準備を終えた春雷は時雨の元へと歩み寄り、その肩をぽんと叩いて声をかける。   「時雨、もしかして緊張しているんですか?」   「……うるさい。その格好はなんだ。不細工が余計に不細工に見えるぞ」   「穢染を避けるための格好ですよ。囮の身であっても、ここまで丁寧な対応をしてくださるあたり、黒南風様の配慮が窺えますね」    時雨と春雷は、前線で指揮を執っている黒南風へと視線を向けた。彼は警備兵たちと入念な最終確認を行っている。   「黒南風様は、昔から私のことを軽蔑せず、優しく接してくれる強い方なんです」   「不知火様以外にも、お前の味方はちゃんといるんだな」   「あら。私の味方の『一番手』は、あなただと思っていましたけれど?」    春雷がからかうように笑うと、時雨は「お前な……!」と顔を真っ赤にして憤慨した。   「時雨」    一転して真剣な声で呼び止め、春雷は時雨の手をぎゅっと掴んだ。   「霊力を使いすぎないように。また倒れたら怒りますよ。」    春雷が自身の首筋あたりを指差すと、時雨はハッとしたように、深く頷いた。   「……弁えている」    作戦会議を終えた黒南風が大きく手を挙げた。それを見た春雷と時雨は顔を見合わせ、黒南風の元へと駆け寄る。   陣(じん)はすでに完璧に敷かれていた。 春雷は囮用に作られた籠へ身を屈める。 頑丈な格子には浄化の術式が刻まれ、穢獣が容易に近づけないよう細工されていた。 春雷を餌に穢獣を陣の中へ誘き寄せ、逃げ場を封じる。そこで時雨たちが穢染した者を浄化し、黒南風たちが穢獣を討つ。それが今回の作戦だった。 穢獣が一定数集まった瞬間が、攻撃開始の合図となる。    春雷は震える手でパチパチと『紫電』を火花のように散らしながら、その時を待った。   (落ち着け、落ち着け……)    爆音を立てる心臓を、心の中で何度も宥める。    その時、白い袖口からするりと金色の糸が覗き、春雷はそっとそれを手で押さえた。   (あの蛟(みずち)は、今頃元気だろうか……)    そんな切ない思考が頭をよぎった瞬間、夜の静寂を切り裂くように、警備兵が警報の鐘を打ち鳴らした。   「黒南風様、現れました!」   「数は――!?」   「十……三十、いや、五十! まだ増えてます!」   警備兵の声が、恐怖に震えた。 闇の奥から、無数の赤い瞳が一斉に蠢きだす。 それは、身体が泥のように溶け崩れ、辛うじて人の形を留めているかどうかの、異形の群れだった。中には、無惨にも穢染に呑み込まれた黒南風の部下たちの姿もある。彼らは理性を失った咆哮を上げながら、囮である春雷目掛けて津波のように押し寄せてきた。 春雷は籠の中で、思わず息を呑んだ。   (多すぎる……! これじゃ、陣が持たない!)   黒南風は動じることなく腰の剣を抜き放つと、戦場に響き渡る低い声で告げた。   「慌てるな。陣から一歩も出すなよ」   その一喝で、動揺していた警備兵たちの表情が引き締まる。   「第一隊、左翼を封鎖! 第二隊は後方を固めろ! 第三隊は時雨公子(しぐれこうし)を援護!」   「はっ!」   武官たちが一斉に動き出し、迎撃態勢を整える。 穢獣の群れが陣へ殺到し、防衛線と激突した瞬間、黒南風が地面へ深く剣を突き立てた。   「──黒龍鎮陣(こくりゅうちんじん)。」   黒南風の霊力を起点に、禍々しい黒い紋様が亀裂のように地面を駆け巡る。紋様は穢獣たちと穢染した警備兵の足元に絡みつき、影の楔となってその動きを強引に縛り上げた。   「今だ!」   黒南風の合図とともに、時雨が一歩前へ出る。 青い傘を美しくひろげ、空いた片手を天にかざすと、静かで清廉な霊力が夜空へ溶けていく。   「──天霖(てんりん)。」   時雨の呟きとともに、戦場に霧雨が降り始めた。 その雨は、穢獣にとっては身を焼く酸となり、穢染された者にとっては穢れを洗い流す聖水となる。冷たく澄んだ雨を浴び、穢獣の咆哮が次第に苦しげな悲鳴へと変わる。穢染されていた警備兵たちも、次第に瞳に理性を宿していった。   「浄化が追いついている! 畳み掛けろ!」   黒南風は自ら穢獣の渦へ飛び込み、剣を一閃。漆黒の斬撃が穢獣を霧散させる。 武官たちも黒南風に続き、防衛線を維持しながら次々と異形を討ち取っていく。 剣戟の音、指揮を執る黒南風の怒号、穢獣の断末魔――春雷は籠の中で、外から聞こえる音だけに集中し、必死に状況を把握しようとする。   (黒南風様が優勢だ……。時雨の浄化も効いてる。このままなら、勝てる……?)    しかし――希望は霧散した。   「黒南風様! 西側の防衛線が突破されました! 新たな穢獣です!」   「大変です! 浄化した先から、警備兵がどんどん再穢染していきます!」   「数が――減りません! 増え続けています!」    時間が経つにつれて、闇の奥から湧き出す穢獣の数は膨れ上がっていった。  際限のない消耗戦。一番先に限界を迎えたのは、術を使い続けていた時雨だった。   「ぐっ……、はあぁ……っ」    時雨は膝を折り、抜かるんだ土に手をつく。霊力を使い果たし、全身に見えない楔を打ち込まれたかのように動けない。天霖の雨が、止まった。   「時雨公子!」   近くの兵士が崩れ落ちる時雨を抱え上げ、防衛線は急速に後退を余儀なくされた。   「黒南風様、このままでは穢染が広がり、全滅は免れません! ここは一度、一時退却を!」   「数が……百を超えています! これは異常だ、ただの暴走じゃない!」    血路を開きながら戦う黒南風に、副官が決死の覚悟で進言する。黒南風は群がる穢獣を剣で薙ぎ払い、襲い来る穢染兵には覇気を込めた咆哮で怯ませながら、戦場全体を見渡した。その瞳に、苦い色が走る。   「おかしい……。誰かが意図的に、ここに集めてやがる……」    黒南風がつぶやいた、その刹那。  手薄になった防衛線の隙を突き、一匹の穢獣が春雷のいる籠に、牙を剥いて飛び込んだ。   「春雷――!!」    黒南風と時雨が叫ぶ。    だが、春雷は怯まなかった。籠の隙間から、手のひらに溜めていた紫電を穢獣の脳天へ叩き込む。雷光が弾け、容赦ない衝撃が穢獣を痺れさせ、籠の外へと弾き飛ばした。  しかし、その反撃が、逆に群れの本能に火をつけた。怯むどころか、飢えた獣たちはさらに勢いづき、春雷の籠へと黒い泥のような身体を蠢かせ、一斉に群がっていく。  黒南風はすぐさま春雷の元へ駆け戻り、籠に群がる穢獣を剣で引き剥がし、叩き切る。  動けないはずの時雨も、歯を食いしばって傘を握り直し、春雷を守るためにもう一度術を絞り出そうとした。   「黒南風様」    春雷は、穢獣の手が迫る籠の中で、驚くほど静かに、澄んだ声で言った。   「退却してください。このままでは全員、穢れに呑まれてしまいます。穢染した者たちを回収し、穢獣は相手にしないで。一刻も早く、ここを離れてください」   「――馬鹿野郎! そんなことをすれば、お前は……!」   「大丈夫です」    春雷は、笠の奥で死地を見つめ、覚悟を決めて微笑んだ。   「私は――強いですから」    その言葉に、黒南風は、はっとして口をきつく結んだ。ハクビシンの小童ではない。一人の戦士としての言葉だ。黒南風は血を吐くような思いで、全軍へ指示を飛ばした。   「全軍、一時退却だ! 動ける者は、穢染した仲間を回収しろ! 春雷を信じて、走れ!!」    背後で、退却していく仲間たちの足音が遠のいていく。  それを見届け、春雷は満足げに頷いた。    その一瞬で籠の隙間から、どろりと溶けた穢獣の腕が飛び出し、春雷の腕を掴んだ。  無意識に腕を庇った拍子に、袖口から金色の糸がこぼれ落ちる。 月明かりを受け、その糸だけが淡く輝く。 その時に穢獣から声が聞こえた気がした。 『……見つけた』と。  

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