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第十二話 未来への花押し
「春雷 !?」
門を叩き割らんばかりの勢いで飛び出してきたのは、顔色を失った時雨 だった。
呆然と佇み、その手いっぱいに白い花を抱える春雷を見て、時雨は詰問するように声を張る。
「お前、一体何をしているんだ!?」
春雷はただ、困ったように苦笑いを浮かべるしかなかった。
「私も……何がなんだか……」
「目が赤いぞ」
「うるさいですよ」
時雨の声を聞きつけて奥から姿を現した黒南風 は、勢いよく春雷を抱きしめた。
「よくぞ、無事で……!」
あまりの力強さに、春雷の息が詰まる。
ふと見上げた視界の先、屋城から見下ろす外の景色では、穢染 されたものたちが雪に触れた先から瞬時に浄化されていく光景が広がっていた。
「すごい……」
思わず感嘆を漏らし、舞い散る雪に手を伸ばす。
あの雪そのものに、強力な浄化の力が宿っていたのだ。
瞼を閉じれば、あの金髪の青年の姿が鮮明に浮かぶ。彼は一体、何者だったのだろう。
「ここは冷える、中に入ろう。ぜひ、どうやって倒したのか聞かせてくれ」
黒南風の言葉に、春雷は「はい」と頷いた。
「それにしても、白い花を抱えて……縁起の良い姿だ」
黒南風がからかうように笑うと、春雷は改めて手元にある手毬灌木 を見つめた。
(いやいや、まさか。勘違いしたのだろうか)
「こんな不細工な花嫁は認めない」
時雨が吐き捨てるように言うと、後ろに控えていた黒南風の部下たちも頷く。
先ほど自分を救ってくれた金の青年の姿を思い出し、春雷はふっと自虐混じりに笑った。
確かに、春雷を花嫁にする霊獣などいるはずがない。
――霊獣というものは、決まって美しいものを好むのだから。
「今回ばかりは、不細工な自分でよかったですよ」
「……頭でも打ったのか?」
「いいえ、ただ。隣に立つのも烏滸がましいってことです」
いつか助けてくれたお礼だけでも言えたらいいのに――そう思いながら、春雷は自分の手首に結ばれた金色の糸を、そっと見つめ直すのだった。
◇
着替えを渡された春雷は、来た時の服に着替えると、黒南風が待つ広間へと向かった。
着ていた白い着物は穢染の影響で処分されてしまったが、手渡された「手毬灌木」は持ち帰りを許された。返却された本とともに、大切な宝物のように風呂敷へ包み込む。
(帰ったら押し花にして、お守りにしよう)
そんなことを思い、春雷はそっと口元をほころばせた。
「体は大事ないか?」
広間に入ると、黒南風と数人の部下、そして時雨が待ち構えていた。
「はい、問題ありません」
「ならば聞こう。あの後、一体何があったのだ」
黒南風と時雨の真剣な眼差しを受け、春雷は少し照れくさそうに頬を掻いた。
「穢獣 はすべて消え去りました。……あるお方が、助けてくださったのです。おかげで無事に生還できました」
「詳しく、聞かせてくれるか」
黒南風の重厚な声に促され、春雷は起きた出来事を順を追って説明した。
黒南風と時雨は固唾をのんで耳を傾け、部下たちはその言葉を記録しようと忙しなく筆を走らせていく。
「……雪の結晶に、天を舞う剣。そして、絹糸のような金色の髪、か」
「どなたか、ご存じなのですか?」
身を乗り出す春雷に、部下のひとりが嘲笑うような声を上げた。
「なんだ、このハクビシンは五神貴族 の統主すら知らんのか!」
「東嶺青龍家 にいれば、誰だって思い当たるだろうに」
部下たちが一斉にドッと湧き立つ。春雷が困惑の表情を浮かべた瞬間――ドスンと大きな音が響いた。黒南風が嘲笑していた部下のひとりを容赦なく投げ飛ばしたのだ。
広間が一瞬で静まり返る。
「……知っておる者は、説明せい」
黒南風が低く唸ると、部下たちは震え上がり、一斉に口をつぐんだ。
気まずい静寂の中、呆れたように時雨が口を開く。
「お前が見たのは……恐らく、東嶺青龍家統主の薄明光線 様だ」
「お祭りの方ですか。……下見のついでだったのでしょうか?」
「呑気 すぎるだろ」
時雨は深々とため息をついた。
「父上と不知火 様が挨拶に行っているはずだから、お前が会ったのは本体ではなく分身だろうが……それにしても、なぜお前なんぞを助けたんだ?」
春雷は首を横に振る。
角がなかったのは、本体ではなかったからなのか。
(それにしても……大変なお方に助けられてしまったものだ)
「まあよい。無事に解決したことに変わりはない。これで祭りも滞りなく執り行える。今夜はここに泊まっていきなさい」
黒南風は大きな手で春雷の頭をポンと撫でると、部下に食事と寝床の支度を命じた。そして、「少し話がある」と春雷を別室へと呼び出した。
二人きりになると、黒南風は深々と頭を下げた。
「度重なる部下の無礼、そして此度の手落ち……誠に申し訳なかった。もし薄明光線様が現れねば、わしは不知火様に殺されていたところだ」
「そんな、頭をお上げください!」
春雷は慌ててその肩を揺さぶった。退却を決断したのは自分だ。己の命の責任は、自分自身にある。
「私も……己の未熟さを痛感しました。薄明光線様の圧倒的なお力を目の当たりにして、自分がどれほど小さく無力かを思い知らされました。正直、恐怖を感じたほどです」
忙しなく動く部下たちの姿を遠目に見ながら、先ほど嘲笑された言葉が胸をかすめる。
「知識も、あまりに浅はかでした。私は……この世界のことを何も知らなかった」
「これから知っていけばいい。春雷、お前はまだ若いのだから」
黒南風はそっと春雷の頭に手を置き、包み込むように笑った。
「……いつか、薄明光線様にお礼を申し上げたいです。助けてくださり、ありがとうございましたと。まあ……夢のまた夢でしょうけれど」
「そんなことはない。霊獣学府 へ行けば会える。あそこは五神貴族の社交場だ。お前の希望も、きっと叶う」
――霊獣学府。
春雷は苦い顔をした。今回の功績はすべて薄明光線のものだ。自分がしたことといえば、実質、籠の中にいただけ。不知火の読みは外れたのだ。
黒南風は部下に紙を持ってこさせると、鼻を鳴らしてそれを春雷に差し出した。
「春雷、わしからの推薦状だ。今回のお礼として受け取ってくれ」
差し出された紙は『霊獣学府推薦状』。
そこには黒南風の名のほか、不知火、そして水龍文官である時雨の父の名が記されていた。そして最下部には――『薄明光線』の花押があった。
「東嶺青龍家の統主、および三代表からの推薦を断れる者など、いくらハクビシンが相手とて存在せんよ。不知火様から、お前が着替えている最中に急ぎ届いたのだ。……どこまでも食えない賢者様だな」
推薦状を胸に抱きしめ、春雷は感極まって黒南風に飛びついた。
「ありがとうございます……っ!」
驚いた黒南風だったが、すぐに愛おしそうに抱き返す。
赤子だった幼子が青年となり、なおまっすぐに成長していく姿に、黒南風の心は温かい期待で満たされた。
「険しい道になるかもしれん。だが、応援しているぞ」
「はいっ!」
春雷は力強く頷いた。
◇
翌朝。時雨と春雷は不知火のもとへ帰る前に、せっかくだからと街のお祭りを覗いていくことにした。
時雨が購入したサンザシを、笠を深く被って店先に腰掛ける春雷に差し出す。春雷はそれを受け取ると、勢いよくかぶりついた。
「夕立、来ませんかね……今回は紫電 を使いすぎて、お腹がペコペコです」
「果物で少しは栄養補給できただろ。さっさと食べろ」
祭囃子の賑やかな音と、通りを行き交う人々の楽しげな声。それに耳を傾けながら二人で果実を頬張っていると、時雨がふと口を開いた。
「……腑に落ちないことがある」
時雨がじっと春雷を見つめる。
「なぜ、あれほど穢獣が増殖した?……そしてなぜ、あれほど都合よく薄明光線様が現れたんだ?」
「仮説ならいくつかありますが、まだ確信はありません。特定の年齢が狙われた理由も、未だ謎のままですし」
春雷は懐から取り出した推薦状を眺めた。
「この書類にしてもそうだ。不知火様は、一体どこまで見通しておられるんだ……?」
「この推薦状と、薄明光線様が現れた理由は明白ですよ。……不知火様は今回の事件を私の功績にしたかった。けれど薄明光線様は『それが不可能な事態になる』と最初から見抜いていた――そう仮定すれば、すべて筋が通ります」
本来なら不知火が統主への挨拶の際、時雨の父に掛け合い、青龍家の代表ふたりの署名と春雷の功績で押し通す手はずだったはずだ。
しかし、穢獣が異常増殖して作戦が破綻することを知っていた薄明光線が、あらかじめ黒南風の署名も加えるよう指示したのだろう。
推薦状を届けるついでに、分身を使って自分を救い出したのだ。
――問題は、なぜそこまで自分に関与してくるのか。
手首に巻かれた金色の糸が、ふっと淡く光を放った。
穢獣が発した「見つけた」という言葉。彼らは一体何を探していたのか。ただ、この金色の糸が狙われたことだけは確かだ。
「薄明光線様の統主就任、時を同じくして起きた穢獣による誘拐事件、狙われた世代……そして、すべてを予見していたかのような薄明光線様の不可解な行動……」
「……ひとまず、私たちの手に余る問題ですね。深追いしない方が身のためです」
脳裏に、あの鈴を転がすような女性の声がよみがえる。
――『関わらないで』。
「謎といえば、街で一番最初に会った『姫様』と呼ばれていた女性も謎だな」
「他国の商人の娘さんが穢染された話、覚えていますか?……もしそれをお忍びで調査しに来るとしたら、一体誰だと思います?」
「……まさか。他国の統主か」
春雷は静かに頷いた。
(霊獣学府へ行けば、すべてが分かるのだろうか……)
まるで、目に見えない何かに導かれているような感覚。
『天命の書』に記された予言は、まだ「春」の序章に過ぎない。夏、秋、冬と続く物語を読み解けば、この世界の真実に辿り着けるのだろうか。
「……まあ! とりあえず今は、お祭りを楽しみましょう!時雨、次はわたあめが食べたいです!」
「自分で買いに行け!」
「ハクビシンには売ってくれないんですよ! 私への差別と軽蔑を舐めないでいただきたい!」
「そんなことを威張るな!」
難しい思考を一度打ち切り、春雷は生まれて初めての祭りを心ゆくまで楽しんだ。
夕方には帰る予定だったはずが、気づけばすっかり夜が更けてしまい、結局また黒南風の屋城で一夜を明かすことになったのは――また、別の話である。
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