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第十五話  雪夜の白木蓮

 荷車は休むことなく、夜の山道を進んでいた。  月明かりだけが静かに荷車を照らす。  いつの間にか話し疲れて、春雷(しゅんらい)は眠っていたようだ。一度まぶしい光が目に入り、ゆっくりと起き上がると、光芒は起きて見張りをしていた。   耳を隠す用の布が、そっと頭の上にかけられている。   「光芒(こうぼう)は眠らないのですか?」   「僕は大丈夫」    外を眺めながら、光芒は言った。まだ胸の奥に微かな警戒を残しつつも、春雷はそっと光芒の横に腰かけた。布を広げ、光芒の肩にもかける。  夜はまだ冷える。気休めに過ぎないが、ないよりはマシだろう。   「見張りを代わりましょう。あなたも休んだ方がいい」    光芒は肩に布をかける春雷の手の上に、自分の手をそっと重ねた。 一瞬、春雷の体がわずかに強張る。だが光芒は優しく布を外し、春雷へ掛け直してくれた。   「いいから、ゆっくり休んで」 「……では、少しだけ」    そう言いつつ、春雷は横にならず光芒の隣に座ったままだった。   「目が覚めた?」   「いや、そうではないのですが、先程まぶしい光が見えた気がしたんです。気のせいでしょうか」    光芒は微かに頬をかいた。  誤魔化そうと口を開いた――その瞬間、春雷の耳が跳ね上がるように大きく揺れた。   「伏せてっ!」    春雷が光芒の首筋を掴んで引き倒すのと同時、ガッ、と凄まじい衝撃が荷車を揺らした。木輪が悲鳴を上げ、霊獣馬(れいじゅううま)が狂ったように嘶く。    春雷は持っていた布で光芒を覆い隠し、荷台の隅へ押し込んだ。 正体不明の同行者ではあるが、守らねばという本能が勝つ。  直後、静寂は完全に破られた。    ――ギシ、ギシ……。  荷車の屋根の上を、湿った重量物が蠢く不快な音が這い回る。鼻をつく腐臭。暗闇の至る所から、肉を絞り出すような不気味な低音のうめき声が重なり合って迫っていた。  完全に囲まれている。   (この悪臭と禍々しい気配……穢獣(けじゅう)!)    春雷の背筋を冷や汗が伝う。この数では荷車ごと噛み砕かれるのは時間の問題だ。  春雷は掌を強く握り締め、体内の霊力を一気に跳ね上げた。  バチッ……!    指先から紫の火花が爆ぜる。意識を極限まで研ぎ澄ますと、春雷の全身を禍々しくも美しい|紫電《しでん》が覆った。その強い光に、布の隙間から光芒が息を呑んだ。    一瞬でも気を抜けば制御が弾け飛ぶほどの高濃度な雷撃。   「この布を頭から被り、絶対に離れないでください。巻き込まれれば、一瞬で感電します!」   「……分かった。任せるよ」    春雷は頷く間もなく荷車を飛び出した。  眼前には、歪な形をした無数の穢獣が、黒い粘液を撒き散らしながら雪崩のように押し寄せていた。鋭い爪が春雷の喉元へ迫る。   「紫電招来(しでんしょうらい)!!」    轟っ!!  夜空を裂いて、極太の紫色の雷が穢獣の群れの渦中へ振り下ろされた。  鼓膜を破壊するほどの爆音と烈風。雷光に照らされた穢獣たちが絶叫を上げ、一瞬で黒焦げとなって弾け飛ぶ。   「行けっ!」    一瞬生じた包囲網の隙間を目がけ、春雷の叫びに応じた霊獣馬が暴風となって駆け抜けた。荷車は激しく揺れながらも、悪夢のような敵陣を突破していく。   「ハッ、ハッ……!」    肩で息を吐きながら、春雷は急いで荷車へ飛び乗り、光芒の方へと振り返った。   「無事ですか、光……」    問いかけは途中で途切れた。  キィン――!  耳を突き刺すような金属の切削音が夜の山道に響き渡り、反射的に振り返る。   「今のは……!?」    遥か後方、暗闇の遥か彼方で、何かと何かが激突し、剣が硬質な音を立てて弾かれた気配がした。直後、網膜を焼き切るほどの圧倒的な『白い光』が世界を呑み込む。   「くっ……!?」    あまりの眩しさと衝撃波に足元をすくわれ、春雷はバランスを崩した。倒れそうになる体を、後ろから伸びてきた腕がしっかりと、けれど痛いほど優しく支える。    まぶたの裏で光が収まるのを待ち、春雷が恐る恐る目を開けたとき――目の前の様子は一変していた。  音もなく、しんしんと幻想的な雪の結晶が夜空から舞い降りていたのだ。   「この雪……?」    先ほどまでの熱気と焦臭さが嘘のように消え去っている。春雷が戸惑いながら手のひらを広げると、空から落ちてきた雪を受け止めた。すると、光芒がその手の上に、そっと白い花を重ねる。   「さっき道中で見つけたんだ。あげるよ」   「……白木蓮(しろもくれん)」    あまりの状況の変化と唐突な贈り物に、目を丸くする。自分を守ろうとしてくれた光芒の姿と、どこまでも穏やかな眼差しに、胸の中を覆っていた冷たい警戒の壁が、少しずつ揺らぎ始めていた。  光芒はそんな春雷を見て、ふわりと微笑んだ。   「嬉しい?」    春雷が呆気にとられて光芒を見上げると、彼はそっと花を手に取り、春雷の耳元へと挿す。触れられた身体は、もう拒絶の強張りを見せなかった。   「……もしかして、からかってます?」    光芒は答えず、ただ微笑んだので、春雷の口元からも緊張が抜け、自然と笑みがこぼれた。

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