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第十八話 春光舎
*
腹ごしらえを終えた二人は、さっそく作業に取りかかった。
外れた扉を削り直して嵌め直し、荷車から平屋へ高級な家具を運び込んでいく。
すると、最初は酷い有様だった屋敷が、みるみるうちに温かみのある住処 へと変わっていった。
幼い頃、不知火 から叩き込まれた下男としての雑作仕事や大工の知識が、まさかこんな形で役に立つとは。人生、何が幸いするか分からない。
作業を終え、二人は縁側に腰を下ろした。春雷 が淹れたてのお茶と、薄く剥いた果物を差し出す。
差し出された果物を口に運び、シャク、と音を立てながら、光芒 は庭を眺めた。
「いい場所だね。静かで、誰の視線もない」
光芒は庭を眺めながら、ぽつりと呟く。
春雷は少し考えてから笑った。
「せっかくですし、この家にも名前を付けませんか」
「名前?」
「家というのは、不思議なものでしょう。名前を付けると、帰る場所になります」
光芒は少しだけ目を細めた。
「じゃあ、春雷が決めて」
春雷は吹き抜ける風を感じながら、静かに微笑む。
「――『光春舎 』と呼ぶことにしましょう」
光芒は静かにその名前を口の中で繰り返した。
「光春舎、か……」
どこか大切なものを受け取ったように、そっと微笑んだ。
「二人で建て直した家ですから。どちらか一人の名前では、少し寂しいでしょう? それに――」
春雷は生まれ変わった平屋を見回し、穏やかに目を細めた。
「どんなに壊れた家でも、人が笑って帰ってこられる場所になれば、それはもう『家』です」
光芒は答えず、ただ静かに春雷を見つめる。
「あなたらしい」
「最初は途方に暮れるようなボロ屋だと思いましたが、なんとか形になりましたね。……確かにここなら、石を投げられる心配もなさそうです」
「大丈夫。石を投げられたら、僕が投げ返す」
「ふふ、それは心強い」
和やかな会話が交わされる中、ふいにパラパラと屋根を叩く音が響いた。
見上げれば空は晴れているというのに、大粒の雨がぽつり、ぽつりと落ちてくる。
どうやら天気雨――「来客」のようだ。
「おや……」
春雷が呟くと同時に、隣にいた光芒の気配が一変した。空気が張り詰めるような鋭い警戒の色を帯びる。
春雷は「大丈夫です」と手で光芒を制し、穏やかに笑ってみせた。
「私の幼馴染がいらしたようです」
「春雷! いるのか!?」
雨音の向こうから、どこか懐かしい声が響いた。春雷は縁側から身を乗り出し、大きく手を振って応える。
「時雨 ! こっちです、縁側にいますよー!」
相合傘を差しながら現れたのは、鮮やかな水色の着物に、躍動する青龍の刺繍を散らした青年だった。
しかし、春雷の姿を見つけて駆け寄ってきた時雨は、その隣に佇む人物に気づくや否や、大きく目を見開いた。
「――そいつは、誰だ!?」
晴れ間を突くような鋭い一声が、庭の静寂を鮮烈に切り裂いた。
時雨はすかさず春雷の腕を引き寄せ、自分の傘の中に囲い込むと、警戒心をむき出しにして光芒に向き直る。
光芒は静かに目を細め、時雨の首元へ視線を落とした。そして鼻で小さく息を漏らす。
「……なるほど」
「何がなるほどだ。何が目的で春雷に近づく?」
「お前には関係ないって言ったらどうする?」
「なんだと……!」
(なぜ初対面で、ここまで一触即発になれるんだろう……)
春雷は呆れつつも時雨の頭をぽんと軽く小突くと、二人の間へと割って入った。
「こちらは光芒。旅の道中で出会った友です。そしてこちらは時雨、私の幼馴染ですよ」
「水龍文官 の息子さんだね。僕でも知っているよ」
「……へえ、さすがは物知りさんだな」
むすっと不機嫌なままの時雨に対し、春雷は落ち着いて話そうと光芒に声をかけ、二人で平屋の奥へと移動した。
時雨は傘を閉じると、溜め込んでいた焦りをぶつけるように声を荒げた。
「なんなんだ、あいつは! 怪しいと思わないのか!?」
「『不浄の者』である私に対して親切にしてくれるところがですか? 友になろうとしてくれる彼のどこが怪しいというのです?」
ハッとした時雨は、ハクビシン差別に対する自身の言動に気づき、慌てて口を噤 んだ。
「……ち、違う、そうじゃない。俺が言いたいのは……」
「わかっていますよ。私こそ、少し言い過ぎました」
気を取り直し、春雷は光芒と出会った経緯を静かに話して聞かせた。時雨は真摯に耳を傾けていたものの、納得がいかないように腕を組む。
「……怪しい奴だとは思うが、目的が見えなさすぎる。何を狙って春雷に近づいたんだ?」
「少なくとも、現段階では彼の正体が分からないこと以外に怪しい点はありませんよ。警戒を怠るつもりはありませんが、彼は本当に私によくしてくれています」
時雨は、このボロボロの平屋には似つかわしくないほど豪奢な家具へと視線を遣った。
あれだけの品を易々と用意できる者なら、春雷から奪うものなど何も存在しない。
「……確かに、利益目的には見えないが。あいつとはどこで会った気がするんだ……嫌な記憶が蘇る気がする」
小さく息を吐き出しながらも、その瞳から警戒の光が消えることはなかった。
「光芒は私に優しいですよ。危害を加えようとなんてしませんから、安心して」
ぽん、と肩を叩いて笑いかける春雷に、時雨は耳まで赤くして叫んだ。
「し、心配などしていない!」
光芒の元へ戻ると、彼は何かを物思わしげに考えていた。切れ長の目が春雷を捉えると、「終わった?」と静かに尋ねてくる。
「お待たせしました。少し誤解があったみたいです」
「解決したなら何よりだ」
「……いや、まだ解決などしていない!」
ぴしゃりと言い放つ時雨に、光芒は「へえ」と口元だけで妖しく微笑んだ。
「お前は、どこの家系 の者だ」
「答える義理はないね」
「なんだ、言えないのか? 余程の下級貴族か?」
「上級だろうが下級だろうが興味はないよ。僕は強いから誰も、僕を止めることなんてできない」
「ふざけたことを……!」
光芒は関心を失ったように首を振った。これ以上問答を続けても平行線だ。春雷は苦笑しながら、時雨へ話題を切り替えた。
「そういえば時雨、今日は何か用事があって来てくれたんですよね?」
時雨はハッと思い出したように顔を上げた。
「明日、五神貴族 の統主が揃う『五神の儀 』があるだろう。……ただ」
「ハクビシンは入れないとでも言われましたか?」
春雷が自嘲気味に笑うと、時雨は静かに頷いた。
学府はもともとハクビシンの入学を認めていなかった。それを覆す推薦状が届いたため渋々受け入れたものの、校内の慣例までは変えられないのだろう。
(治外法権とは、なんとも都合のいい免罪符ですね)
「……俺の下男としてなら、連れて入れるはずだ」
だが、それは決して良い選択とは言えなかった
水龍の跡取りである時雨がハクビシンを従えていれば、周囲から格好の標的にされてしまう。
「私は私のやり方で参加しますよ。お気遣い、ありがとうございます」
「……ハッ、お前ならそう言うと思ったよ」
時雨がふっと表情を緩めたその時――。
「……参加しなくていい」
冷ややかな光芒の声が響いた。時雨が身構え、春雷はじっと光芒を見つめる。
「なぜでしょうか?」
「必要がないからだ。必ず、五神貴族のほうからここに現れる」
「こんなボロい宿舎に、ですか?」
苦笑する春雷に、光芒は力強く頷いた。
「僕を信じて」
その切実さを帯びた声に、春雷は驚いて目を丸くする。
冷静に考えれば、格式高い会合に無理に紛れ込んでも追い出されるのがオチだし、忍び込んだとしても石を投げられるのが関の山だろう。
「よし、信じましょう! ……でも一目見たいので、こっそり遠くから覗きに行きますけれど!」
パンと両手を叩いて笑う春雷に、時雨は呆れたように息を吐き、光芒は密やかに微笑んだ。
春雷のどこまでも前向きな好奇心には、誰も太刀打ちできないのだった。
来る未来、この小さな平屋に五神貴族全員が集まることになるとは、この場の誰一人として予想していなかった。
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