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第二十話 五神の儀

 春雷(しゅんらい)が目を覚ますと、隣で寝ていた光芒(こうぼう)の姿はなかった。 広間にも縁側にも見当たらない。 ふと机へ目をやると、一通の手紙が残されていた。   「達筆ですねぇ。羨ましい」   『用事があるので先に出る。五神の儀(ごしんのぎ)を盗み見るのは構わないけれど、無茶はしないように』   そういえば、忍び込む算段を何も立てていなかった。この姿で突撃すれば追い出されるのが目に見えている。   ――ハクビシンになって、隙間から覗こう。 導士に見つかれば害獣扱いだが、人型より小柄で俊敏だ。最悪、狭い隙間に逃げ込めばいい。   春雷は荷物から地図を広げ、五神の儀の舞台――天空庭園(てんくうていえん)を探し当てた。   草花に囲まれた庭なら逃走も容易い。   問題はどうやって近づくかだ。 五神貴族が集う以上、頑強な結界が張られているはず。 春雷は考え込みながら井戸へ向かい、顔を洗おうとして――扉に貼られた霊符へ目を留めた。 ひとまず顔を洗おうと井戸へ向かうと、扉に穢獣(けじゅう)除けの霊符が貼ってあった。光芒の仕業だろう。   「ん?」   一枚だけ、妙な符が混ざっている。剥がして凝視し、春雷はパッと目を輝かせた。 「……ふふ」 春雷は思わず笑みをこぼした。 「お互い、悪い子ですね」   結界をすり抜けるための特別製。 春雷は小さな風呂敷に地図を包んで体に巻きつけると、一瞬で小さな黒い毛の塊――ハクビシンへと姿を変えた。 時雨(しぐれ)との鬼ごっこで鍛えられたこの姿は、人型よりもはるかに俊敏だ。  ただ一つ、臆病な本能に引っ張られ、驚くと紫電(しでん)が暴発しやすいという欠点だけは困りものだった。   まあ、盗み見るだけなら問題ないはずだ。   扉に鼻先で霊符を押しつけると、眩い光とともにゆっくりと扉が開いた。目的地へ直通するありがたい代物だが――ひとつだけ懸念がある。   どこへ繋がっているかは、出てみるまで分からない。   (どうか五神貴族(ごしんきぞく)の目の前じゃありませんように……!)   春雷は祈るように、小さな前足を一歩踏み出した。    ◇  霊符をくぐり抜けた先は、色とりどりの花々が咲きこぼれる天空庭園(てんくうていえん)の茂みの中だった。   「助かりました……っ」   ほっと胸をなで下ろしたのも束の間、すぐ近くから賑やかな話し声が聞こえ、春雷は慌ててその場に身を伏せた。   「五神貴族(ごしんきぞく)様にお目にかかれるなんて、なんという光栄だろう!」   「あぁ、きっと神々しいお姿に違いないなー!」   「天空庭園に集うなど、どれほど絵になる光景か!」   声を弾ませているのは、霊獣学府の生徒たちだ。身なりはどれも綺麗で、頭上の角や耳が誇らしげに立っている。   春雷は息を殺したまま、そっと近くの巨木へ登った。葉の隙間から見下ろせる位置まで移動し、息をひそめる。 (これが……五神貴族が集う五神の儀)    早鐘を打つ胸を抑えながら、五神貴族の入場を待った。   庭園の中央には、澄んだ白い石で築かれた円形の舞台。そこを取り囲むように整列した導士たちは、静寂の中で息を潜めている。   やがて、空を突くような高らかな声が響き渡った。   「――五神貴族、ご入場!」   一人目の名が読み上げられる。   「東方を治める青龍家――東嶺青龍家(とうれいせいりゅうけ)統主、天明金龍(てんめいきんりゅう)・薄明光線(はくめいこうせん)様!」   シンと静まり返る庭園の中、ゆっくりと歩み出たのは、風に金糸の髪をなびかせた青年だった。 白絹の装束には陽光を受けて煌めく金龍の刺繍が施され、その立ち姿は天より降り立った神そのもの。堂々と歩むその姿に、誰もが息を呑んだ。   ――あの時、私を助けてくださったお方。   春雷は思わず息を呑んだ。   (……あんなにもお力のあるお方が、私などを? あれは……夢だったのでしょうか)   そう錯覚してしまうほど、見上げるその背中は遠く、圧倒的に神々しかった。   「西方を治める白虎家――西霞白虎家(せいかびゃっこけ)統主、昴宿流星(すばるぼしりゅうせい)様!」   紺色の生地に白銀の虎が躍る衣装を纏い、鉄扇を手にした青年がふわりと微笑む。 老若男女を問わず惹きつける親しみやすさを漂わせる人物だ。 春雷は、その頭上にある自分とよく似た白い耳を目にとめ、無意識に己の耳を軽く掻いた。   「南方を治める朱雀家――: 南陽朱雀家《なんようすざくけ》統主、翡翠輝石(ひすいきせき)様!」   桃色の髪をなびかせ、鮮やかな赤羽の耳飾りを揺らして女性が歩み出る。南国特有の肌の露出が多い軽装に、男性霊獣たちから歓声が上がった。  ――やはり、あの黒南風(くろはえ)の土地でお会いしたお方は統主様だったのだ。 春雷の予感は当たっていた。   「北方を治める玄武家――北冥玄武家(ほくめいげんぶけ)統主、 山陰・山陽(さんいん・さんよう)様!」 漆黒の衣に、女性は青蛇、男性は緑亀の刺繍を纏う。 男勝りな短髪の女性と、どこか気弱そうな美丈夫。 正反対の二人は並んで舞台へ向かった。   そして――   「中央を統べる麒麟家――天煌麒麟家(てんこうきりんけ)統主、木蓮桜花(もくれんおうか)様!」   現れたのは、まだ十歳ほどに見える少年だった。どっと客席がどよめく。最近、統主が交代したばかりという噂は本当だったらしい。   象牙色の生地に藤色の麒麟が映える衣装。角はまだ短いが青白い肌と風に揺れる象牙色の髪が、彼の幼くも浮世離れした雰囲気を際立たせている。   ――あ、れ……? 水色の瞳が、一瞬だけ春雷の潜む枝先へ向いては、目が合った気がした。   ……気のせいだろうか。   それぞれ異なる気品と意匠を纏った統主たちが、舞台へと揃い踏む。春雷は改めて息をのんだ。   (あれが……五神貴族……)   どの者も、一触即発の圧力を秘めた恐ろしいほどの霊力を纏っている。 目的を果たした春雷は、静かに木を降りることにした。これ以上、この場に長居するのは得策ではない。急ぎ足で帰路につこうと背を向けた、その時だった。   ――ガタン。   重々しい金属音が響き、首輪が大きく揺れた。 ピクリと小さな耳を動かし、春雷は反射的に振り返る。 そこに立っていたのは、一人の天煌麒麟家の導士(どうし)だ。   だが、その姿はあまりにも異常だった。 土気色の青白い肌。浮き出た骨。生きている者特有の温もりが一切感じられない、不気味な気配。導士は生気のない手で首輪を掴み、ぎしり、と揺らしていた。   「……くっ!」   春雷が咄嗟に身構えると、導士はゆるりと顔を上げた。 そして――その枯れ果てた唇から漏れ出たのは、外見からは想像もつかない、甲高いから響くような少女の声だった。   『――天命は記された。 雷を宿す幼き獣よ。 汝が出会う光は、やがて天を裂く――』   ゾク、と冷たいものが背筋を駆け抜け、春雷の小さな身体が恐怖で強張る。   (……なぜ、私のことを知っているでしょう……!?)   弾かれたように庭園の方を振り向くと、激しい悲鳴と怒号が湧き起こった。 何が起きたのか確かめるため、春雷は弾かれたように再び木の上へと跳び上がる。   視界に飛び込んできたのは、錫杖(しゃくじょう)をシャランと力強く構える木蓮桜花の姿だった。   「狼狽えるな! 我々が処理する!」 次の瞬間、庭園の静寂を切り裂くように、無数の咆哮が轟いた   「来るぞ!」 誰かの叫びと同時に、庭園へ黒い奔流が雪崩れ込む。   ——穢獣(けじゅう)だった。  

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