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第二十二話 百年越しの邂逅

 飛来する無数の霊符が夜空を切り裂く。  それを必死に避けながら、春雷(しゅんらい)は入り組んだ裏路地を逃げていた。  それにしても、追手の気配はどこまでも執拗だ。 (……いっそ、もう一度紫電(しでん)を放って吹き飛ばすべき……?)  焦りで足元がおろそかになり、突起した石畳に爪先をすくわれた。   ——しまった!  衝撃を覚悟して強く目を瞑る。  だが、身体を襲ったのは硬い石畳ではなく、包み込むような優しさと、柔らかな浮遊感だった。  春雷が恐る恐る目を開けると——そこにいたのは、少し呆れたような、けれどどこか愛おしそうに自分を見つめる光芒(こうぼう)の顔だった。 「無茶はしないでって言ったのに」 「ごめんなさい……まさか、ここまで騒ぎになるとは思わず……」  「助けが間に合ってよかった。……しっかり捕まってて」  光芒は腕に力を込め、春雷を力強く胸元へ引き寄せると、一陣の疾風となって闇の路地を駆け抜けた。  追いついてきた導士たちが、容赦なく大量の霊符を投擲してくる。  光芒は疾走しながら、背中に差した一振りの大剣を迷いなく引き抜いた。 「天虹剣(てんこうけん)……——『暁龍降臨(ぎょうりゅうこうりん)』」  光芒の静かな詠唱とともに、天虹剣がその手を離れ、宙へと舞い上がる。  七色の神光を纏った剣は、まるで生きている龍のように流麗な軌道を描き、飛来する霊符の群れを一瞬にして焼き切り、チリへと変えてみせた。  その圧倒的な美しさと絶対的な力に、抱きかかえられた春雷は思わず息をのんだ。 「すごい……! すごいです……っ!」  無邪気に感動する春雷に、光芒の口元が緩む。  だが——追手の気配は依然として途切れない。  光芒は屋根の陰でしなやかに足を止めると、春雷を抱いたまま口を開いた。 「……何か妖しいことはあった?」  春雷は光芒の質問に記憶を巡らせ、先ほど遭遇した奇妙な導士のことを思い出した。 「詩を歌っていた導士がいました。確か、内容は——」 『——天命は記された。  雷を宿す幼き獣よ。  汝が出会う光は、やがて天を裂く――』 「なるほど」  光芒の足が完全に止まった。 「……動かないで」  春雷が息を殺す。  足元には何もない。だが、光芒は地面を見つめたまま深く眉を寄せている。 「何かありますか?」  光芒は足元に転がる不気味な髑髏(どくろ)へ視線を向け、迷いなく踏み砕いた。  乾いた音とともに赤黒い液体が地面へ流れ出し、今まで見えなかった禍々しい紋様が、生き物のように暗闇へ浮かび上がる。 「これは——陣(じん)!?」 「……誘導陣だ」  光芒は足元に浮かび上がった禍々しい紋様を睨みつけた。 「導士たちは、僕たちをここへ追い込むことが目的だったんだ」 「では、あの導士たちは……?」  春雷が振り返る。  その瞬間——。  路地の奥から、低く不気味な唸り声が響いた。 「……!」  闇の向こうで、何かが蠢く。  人の姿をしていたはずの導士たちが、身体を大きく仰け反らせた。  その皮膚が、まるで内側から引き裂かれるように蠢く。  衣の下から黒い穢れが噴き出し、人間の皮膚を突き破って異形の肉体が露わになっていく。 「な……!?」  次の瞬間、その身体は人の形を失った。  禍々しい異形へと変貌したそれを見て、春雷は息を呑む。 「穢獣(けじゅう)……!?」 「そういうことか」  光芒の声が低くなる。 「穢獣が中にいたのか。どうりでしつこいはずだ」 「では、今まで追ってきた導士たちは……」 「僕たちをここへ誘導するための駒であり、導士ではなく穢獣だった」  光芒は春雷を見つめると、不安を押し殺すように微かに笑った。 「あの穢獣は、僕に執着している」  光芒の声が、低く沈む。 「……正確には、僕のことを好いているわけではない。僕に執着し、僕のそばにいるものを排除しようとしているんだ」 「……そばにいるもの?」  春雷が呟く。  光芒は答えなかった。  ただ、春雷を抱く腕に、ほんの少しだけ力がこもる。 「だから、狙いは僕じゃない」  光芒の瞳が、春雷へ向けられる。 「——あなたなんだ」 「え……?」 「僕が大切にしているものを、あれは許さない」  その声音には、冷たい怒りが滲んでいた。 「あなたを殺せば、僕が傷つくと知っている。……だから、あなたを狙っている」  春雷は言葉を失った。  光芒はそんな春雷を見つめ、静かに息を吐く。 「まさか、こんなに早く接触してくるとはね」  その腕が、春雷を庇うようにさらに強く引き寄せられた。  春雷の耳がぴくりと跳ねる。  直後、四方八方から無数の霊符が押し寄せてきた。  ——しかし、周りを旋回していた天虹剣が滑空し、瞬時にそれを散りと化す。真っ二つに裂かれた霊符が、春雷のもとへとひらひら舞い降りた。  刻まれていた呪文字は——『捕縛』。 「……捕まえる気満々ですね。光芒、私を下ろしてください。私が陣を破壊します」 「どうやって?」 「地中の電気を共鳴させて、一気に陣を砕きます! 大地の雷を使うので、私の霊力が切れていても大丈夫です」 「……そんなことしなくても、僕が全部破壊するよ」 「やらせてください。あなたの負担になりたくありません」  春雷の瞳に迷いはなかった。  光芒はわずかに目を見開く。 「……信じるよ。あなたは本当に万能だね」  春雷は光芒の肩を軽く叩き、安心させるように微笑んだ。 「私が術を練る間、頭上からの霊符を防いでほしいんです。それと……合図したらすぐ飛んでください! 感電しちゃいますから」 「……わかった。完璧な連携といこうか」  互いに視線を交わして笑うと、光芒は優しく春雷を地面へと下ろした。 「ありがとう」と短く告げ、光芒は手を振りかざして天虹剣をその手へと呼び寄せる。 「……集中するのに少し時間がかかります。時間を稼いでください!」 「まかせて」  光芒の身体が動いた。  天虹剣が鮮やかな軌跡を描く。 飛来する霊符をことごとくチリに変え、破片すら春雷へ届かせない。春雷の頬のすぐ横まで迫っていた霊符すらも、わずか一秒の差で鋭く切り落としていく。  その姿はまるで、春雷を中心に舞い踊る光の守護者そのものだった。  やがて——春雷は両手を大地へ翳し、光芒へ向かって叫んだ。 「飛んでください!」  光芒が力強く大地を蹴って高空へ跳躍すると同時に、春雷の凛とした唱文が響き渡る。 「鳴神(なるかみ)よ、我が名に従い轟きたまえ——!!」  大地が激しく揺れ動く。  紫色の雷光が、巨木の根のように地中をどこまでも駆け巡った。  隠されていた術式が雷光の暴力によって露わになり、赤黒い紋様が悲鳴を上げるように軋む。  次の瞬間——。 「紫電轟界(しでんごうかい)!」  閃光が世界を真っ白に染め上げた。  大地の底から響くような破壊音とともに、 術陣の核たる髑髏が粉々に砕け散る。  上空からしなやかに着地した光芒は、そのまま吸い込まれるように春雷を再び抱きかかえると、近くの大木へと跳び上った。  陣が崩壊し、足元の地面がガラガラと崩落していく。  これまで大地だと思っていたものは、巧妙に作られた幻影の罠だったのだ。  光芒が手を掲げると、天虹剣が空中でぴたりと静止する。  光芒は春雷を腕の中にしっかりと抱きかかえたままその剣身へと身を乗せると、夜の風を切り裂き、高空へと向かって一気に飛翔した。 「上手くいきましたね。……ところで、ずっと言いたかったんですけど」  春雷はじっと光芒の横顔を見つめる。 「私、そんなに軽いですか? 一応鍛えているので、ちょっと悔しいです」  口を尖らせて不満を口にする春雷に、光芒は堪えきれず吹き出した。 「ははっ、そうだね」  落ち込む春雷の身体を、落とさないよう腕の力でぐっと引き寄せる。 「あなたが軽いんじゃない。……あなたを抱えられるように僕が鍛えてきたんだ。それだけだよ」 「……それは大した年月でしょうね」  春雷は少し皮肉っぽく言ってみたのだが、光芒は目を丸くしたあと、愛おしそうに瞳を細めた。 「そうだね。でも——百年くらい、大したことないよ」 (……百年?)  春雷は思わず首を傾げた。 「そういえば、光芒は五神貴族の入場時、どこにいたんですか?」  光芒ほどの圧倒的な美貌の持ち主なら、霊獣学府の生徒たちが放っておくはずがない。 「あなたを見ていた」 「……ハクビシンだった私をですか?」 「絶対何かしでかすと思っていたからね」 「私は子供ですか……」 (でも、その通りだったから何も言えない)  光芒はくすり、と満足そうに笑った。  二人を乗せた天虹剣は七色の軌跡を残しながら、静かに「光春舎(こうしゅんしゃ)」を目指して夜空を駆けていった。

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