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第二十四話 青空に掲げる覚悟
翌朝。
時雨 からの長時間の説教と一連の出来事で完全に睡眠不足のまま、春雷 は鉛のように重い足取りで霊獣学府 .の門を潜った。
今朝も光芒 の姿はどこにもなく、春雷は一人、入学の折に手渡された羊皮紙の案内を頼りに学府の回廊を進む。
ここ霊獣学府では、五神一族 の血を引く様々な種族が分け隔てなく混在するよう学級が組まれている。
ちなみに、時雨の講義室は別の棟だった。
石造りの回廊ですれ違う生徒たちの間では、昨夜街を揺るがした「正体不明の紫電 」と、突如現れて「穢獣 を薙ぎ払った五神貴族 統主」の噂で持ちきりだ。
(……紫電、か)
その言葉が聞こえるたび、春雷の胸の奥で心臓がどくりと嫌な鳴り方をする。
噂によれば、暴走した紫電の衝撃で学府の敷地内にある樹齢数年の大木が倒壊しかけたらしい。
それを一閃のもとに真っ二つに切り伏せ、間一髪で生徒たちを守ったのが――時雨だったという。
(……説教されるわけである)
春雷は心の中でそっと時雨に謝罪した。
やがて指定された講義室の重厚な扉を開けると、中には多様な一族の生徒たちが集まり、賑やかに言葉を交わしていた。
獣のしなやかな耳を覗かせる者。
陽光に透ける羽毛のような髪を持つ者。
額から立派な角を生やした者。
誰もが一目で血統の確かさを伺わせる、気品と格式を纏っている。
春雷は周囲の視線を避けながら、自分の席を探した。
……しかし、いくら見渡しても見当たらない。
(……ない……?)
春雷の名が記されているはずの机と椅子だけが、その空間から丸ごと綺麗に撤去されていた。
不審に思い、春雷がその場に立ち尽くしていると、部屋のあちこちからクスクスと意地の悪い嘲笑が漏れ始めた。
「やだ、どこの子よ。みすぼらしい」
「……あんな醜いの、初めて見たぞ」
「知らないのか? 東嶺青龍家 の……」
壇上に立つ老導士 が、蔑みを隠そうともしない冷ややかな視線を春雷へと向けた。その眼光には、あからさまな嫌悪が宿っている。
「どうした、ハクビシン。さっさと自分の『席』に着きなさい」
「あの……私の机と椅子がありません」
春雷が整然と尋ねると、老導士は鼻で哂い、講義室の外へと続く廊下――その冷たい床を顎でしゃくった。
「血筋も定かではない半端者の異端児に、尊い霊獣の血を引く生徒たちと同じ室内で講義を受ける資格などない。今日からお前の席はそこだ。廊下で立って講義を受けなさい」
教室内から、波のように嘲笑が広がっていく。
(――ここで怒ってはいけない)
胸の奥で燃え上がる炎を押し殺す。
こんな不当な扱いは、幼い頃から嫌というほど繰り返されてきた日常ではないか。
春雷は小さく息を吐き出すと、迷いのない歩調で壇上の導士の前へと進み出た。
「導士様。玄霄天尊 様が定めた霊獣学府の決まりをご存知でしょうか?」
「何を言って……それは、霊獣は皆公平であり、学ぶ者を差別してはいけない、だ」
「……理解しているのに、何故私にこのような扱いをするのか、私には理解しかねますね」
春雷は導士に背を向け、外へ向かって静かに歩き出す。
「どうやら、あなたから教わることは何もないようです。失礼いたします」
「なにを……! 生意気な!」
激昂した導士が春雷の肩を強く掴み、逆上した手拳を振り上げた。そ
の手には、威圧的な霊気が禍々しく纏われている。
(――これは、かち割る気ですね)
春雷は瞬時に掌へ微弱な紫電を走らせると、相手の隙を突いて懐へ手を当て、その動きを制圧しようと踏み込んだ。
正当防衛の判断だ。
しかし――両者の霊気が激突することはなかった。
「何をしておる!!」
雷鳴のごとき怒号が響き渡り、講義室の空気そのものが微振動を起こした。
次の瞬間、手を振り上げていた導士が崩れるようにその場で気絶する。
「騒ぎが聞こえれば、くだらないことを! 恥を知りなさい」
威厳ある麒麟の角を戴き、立派な白銀の髪と髭を蓄えた老人がそこに立っていた。
老人は気絶した導士を一蹴すると、春雷を下から上へと品踏みするように眺めた。
「騒ぎの原因はお主か。名をなんという」
「私は、東嶺青龍家 、春雷です」
春雷はすぐさま袴の裾を揃えて膝を折り、深々と頭を下げた。
「……では、問おう」
老人の厳格な声が静かに響く。
「玄霄天尊が霊獣界を作った際に語った覚悟はなんだ」
春雷はゆっくりと顔を上げ、虹色に輝く瞳で老人を見つめ返した。
「……誰一人、見捨てないことです」
老人の白い眉が、ぴくりと跳ねる。
「それは願いか?」
春雷は一切の迷いを捨て、老人の眼光を受け止めた。
「いいえ。覚悟です」
春雷は、はっきりと澄んだ声で答えた。
「救えない命があることも、失われるものがあることも知っています。それでも、最初から諦めることだけはしない。それが……玄霄天尊様の覚悟なのではないでしょうか」
老人は立派な髭を撫でながら、
「ほう……」
と、心の底から感心したように呟いた。
そして春雷の瞳の深淵を覗き込むようにじっと見つめる。やがて、その厳めしい顔にふっとあたたかな微笑が浮かんだ。
「お主を見ると、ある人物を思い出す」
老人の瞳は、遠い昔の忘れ得ぬ記憶を慈しむように揺れていた。その温もりある目は、どこかで――
「だが、導士に手をあげようとしたのはよくない」
老人は一転して表情を引き締め、静かに重みのある言葉を投げかけた。
「覚悟は立派だ。だが、覚悟と規則は別物だ」
「……はい」
春雷は己の軽率さを省み、静かに頭を下げてその言葉を受け入れた。
「春雷は外で授業を受けるように」
「……はい」
結局のところ、春雷は廊下で授業を受ける羽目になってしまった。
ひんやりとした廊下の板壁に背を預け、重い教科書を胸に抱えて佇む春雷。
開け放たれた窓の向こうには、どこまでも晴れやかな青空が広がり、眩しい光を注いでいる。
それなのに、春雷は青空を見上げながら、ぽつりと小さくため息をついた。
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