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第三十二話 はじめての贈り物

 黒南風(くろはえ)の土地で穢獣(けじゅう)の囮となり、予想外の危機に春雷(しゅんらい)を助けた——薄明光線(はくめいこうせん)。    その身に纏う圧倒的な霊気は凛として清らかで、他の霊獣とは一線を画す神聖な気品を放っていた。春雷はその姿をじっと見つめ、胸の奥で問いを反芻する。   (——なぜ私を助けるのだろう)   確信はない。憶測で判断してはいけないと、自分に言い聞かせながら。   「逆に聞きたい。木蓮桜花(もくれんおうか)、あなたは俺と仕事をしていたはずだ。昨日の夜は統主として結界を張り直していた。なぜ、昨日の話を持ちだせる?」   静寂を切り裂くような一言に、弾かれたように木蓮桜花は薄明光線を見ては、顔を青くする。   「いつから……」    木蓮桜花の側近が意図的に咳払いをした。慌てて木蓮桜花は首を振る。   「側近から聞いたのだ。不測な事態があった時に備えて天煌麒麟家(てんこうきりんけ)は霊獣学府(れいじゅうがくふ)に導士(どうし)を置いている。その導士が行方不明になり、そのハクビシンが住まう場所に穢獣が集まっていたと!」   「——その話からどうやって、穢獣に導士を食べさせていると飛躍するのか。ついでに言えば」   薄明光線は、不安を隠せない春雷と時雨を静かに見つめた。   「不測の事態に備えているなら、穢獣が集まった時点で他の導士を呼べたはずだ。なのに、なぜ二人だけを残した?」    窮地に立たされた木蓮桜花は頭を掻きむしった。   「——何故、味方をする?」   「東嶺青龍家統主(とうれいせいりゅうけとうしゅ)として、当たり前のことだ。あなたがそこの側近を守るようにな」    氷のように澄んだ軽蔑の眼差しを、薄明光線は木蓮桜花の側近へ向けた。側近は何かを察したように、わずかに肩を強張らせる。 薄明光線は小さく息を吐くと、優雅に踵を返した。   「矛盾点が多すぎる。この件による処罰は無効だ。解散せよ」   「——しかし! 疑わしきは、ばっ罰を与えるべきだ!」   木蓮桜花が必死に食い下がる。 薄明光線は足を止め、ゆっくりと振り返った。   「——らしくないな、木蓮桜花。誰の入れ知恵だ?」   その一言に、木蓮桜花の表情が凍りつく。   「…………」   答えは返ってこない。 薄明光線はそれ以上追及しなかった。   「疑わしきを罰するというのなら、俺はまずあなたを処罰する。余計な混乱を招いたのだからな」   静かな、けれど拒絶を許さない声音だった。   「詳しい話はあとで聞く。俺の部屋に来るように」   それだけ告げると、薄明光線は今度こそ背を向けた。これ以上、この場で問うつもりはないのだろう。   「春雷!」   薄明光線が立ち去ろうとした、そのときだった。 時雨の制止も聞かず、春雷は思わず後を追っていた。時雨が慌てて春雷を呼ぶ。   (——もしかしたら、もう会うことはないかもしれない)   黒南風の領地で自分を救ってくれた人。ずっと、心からきちんと礼を伝えたいと思っていた。   「薄明光線様!」   呼びかけると、薄明光線が静かに振り返る。春雷は胸の前で両手を固く握りしめた。   「黒南風様の領地にて、私を救ってくださり、ありがとうございました。ずっと……お礼を申し上げたかったのです」   「お礼なんて、当然のことをしただけだ」   「……当然」   春雷は目を丸くした。その言葉に、なぜか光芒の姿が脳裏を過る。 (——光芒(こうぼう)も、同じことを言っていた)   「俺からも聞きたいことがある」   薄明光線の深い視線が、春雷の白い手首へ落ちる。そこにひっそりと巻かれた、一筋の金色の糸。   「その糸を……外したいと思ったことは?」   春雷は自分の手首を見つめた。そして、迷いなくすぐに首を横に振る。   「ありません」 「穢獣に狙われると知っていても?」 「はい」   そもそも、なぜこの金色の糸が穢獣に狙われるのか。春雷には、未だに理解できなかった。   「この糸は、昔、私が助けた蛟(みずち)から頂いたものです。それを手放そうなんて、考えたこともありません」   春雷は金色の糸をそっと指でなぞる。愛おしさを込めて。   「——これは、私の支えなのです」   この糸を見るたびに、春雷は思い出す。自分にも、誰かを助けることができたのだと。 誰一人置いていきたくないと思っても、手からすり抜けてしまうものがある。それでも、自分が抱いた正義まで捨てたくはなかった。 自信を失いそうになったとき、この糸を見る。そうすれば、幼い頃の自分が胸の奥に鮮やかに蘇るのだ。   「それに……私、初めて贈り物を頂いたのが、この糸なのです」   春雷は少しだけ、可憐に笑った。   「だから、手放したくありません。誰だって、初めては特別でしょう?」 「…………」   薄明光線の目が、大きく見開かれた。   「——本当に?」 「え?」 「本当に……初めて?」 「ええ。そうです」   あまりにも真剣に問われ、春雷は戸惑いながら頷いた。 薄明光線は、しばらく何も言わなかった。 ただ、春雷の手首に結ばれた金色の糸を凝視している。 その瞳に浮かんだ熱く切ないものを、今の春雷にはまだ、理解することができなかった。 軽く咳払いをした後、口を開いた。 「先程は木蓮桜花が失礼をした。あの子は統主になったばかりでまだ幼い。五神貴族で支えてはいるが、最近はどうも様子がおかしい」 「……確かに、何か焦っているようでした」  それに何度も側近を気にしているように見えた。  薄明光線がじっと春雷を見ているのに気づき、不敬だったと慌てる。 「あ、いえ!勘違いかもしれないです!」 「よい。あなたに任せよう」  そう言って薄明光線は微笑むと去って行ってしまった。  春雷はその後ろ姿を呆然と眺める。  背中には輝かしいばかりの天虹剣が見えた。 ——まさか。  春雷は頭を振り、今は目の前の問題に集中することにした。

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