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第三十六話 白虎の思惑

薄明光線(はくめいこうせん)統主就任の日——それは、黒南風(くろはえ)の領地で猛威を振るう穢獣を倒すべく、春雷が身を挺して囮になった、あの荒れた夜のことだ。  確かにあの日、不知火(しらぬい)は重要な挨拶に向かうため、黒南風の領地で起きた問題を春雷と時雨(しぐれ)の二人に託したのだった。  街中が祭りの熱気に包まれていたな、と春雷は当時の光景を昨日のことのように振り返る。   「何を笑っている……。言っておくけど、笑い事じゃないぞ! こっちは大変だったんだからな!」    感情を抑えきれなくなったように昴は勢いよく立ち上がり、身振り手振りを交えて熱弁を始めた。  薄明光線統主就任の日——式典には五神貴族(ごしんきぞく)の統主たちがこぞって招かれ、それぞれ祝辞を述べるべく訪れていた。  豪華絢爛な装飾が施された宴の中心には、若き統主である薄明光線が鎮座し、参列した居並ぶお偉がたの霊獣たちが彼に対して恭しく傅いていた。  昴もまたその場に招かれ、形式的な挨拶を済ませるとすぐに宴の席へとついたのだった。 その時、昴が薄明光線に対して抱いた第一印象——それは、純粋な「恐れ」であった。   「霊力が桁違いで、おまけにあの煌びやかな顔立ちだろ? しかも、どんなお偉い霊獣が来ても怖気づくことなく、淡々と挨拶をしていたよ——どこか値踏みしているように見えたね」   昴は手に持った鉄扇をパチンと開き、遠い目をして当時の光景を思い返す。   「でも、ある名前が出た時だけ、目の色が変わったんだ」    宴の喧騒の中、すれ違うように立つ二人の龍がいた。燃えるような赤い髪をした体格のいい火龍と、透明感のある水色の髪をきつく纏めた厳格な面持ちの水龍である。  水龍は溜め息をつきながら火龍になにやら説教を垂れていた。 二人が恭しく薄明光線に一束の書類を差し出すと、薄明光線は目を輝かせてすぐさま立ち上がり、迷うことなく署名を走らせた。  その後何かに気づいたように、書類を押し付けていた。    東嶺青龍家の公務か、と昴がそっと目を伏せた次の瞬間、静寂を切り裂くような怒号が響き渡る。   「どこへ行くのです! 薄明光線様!」 「すぐ戻る。気にするな」 「気にしますとも! あなたは統主なんですよ!」 「黙れ!」   耳を刺すほどの威圧を孕んだ声が、大広間全体に重く響き渡る。   「俺の邪魔をするつもりか」    その場に居合わせる全ての霊獣を容赦なく死に至らしめるのではないかと思わせるほどの、凄絶な殺気だった。  その一触即発の空気を宥めたのは、ほかでもない先代天煌麒麟家統主家(てんこうきりんけ)——牡丹花王(ぼたんかおう)であった。   「落ちついて、薄明光線。皆、怖がっているじゃないか」    牡丹花王は穏やかな声をかけると、手にしていた重厚な錫杖で薄明光線の頭をぽんと小突いた。  そして至近距離で何かを短く耳打ちすると、薄明光線は小さく頷いて素直に後ろへ下がり、何事もなかったかのように平静な顔で宴を再開させたのだった。   「皆、申し訳ない。ちょっと気が滅入っていた」    さっきまでの殺気が嘘のように、薄明光線は笑みを浮かべてみせた。   「宴を再開しよう」    だが、それはまるで緻密に作られた人形のように美しい笑顔であり、異様な違和感を放っていた。昴が首をかしげていると、控えの侍従の一人が寄ってきて静かに耳打ちをした。 「薄明光線様、本体は急いで黒南風の領地に向かったそうです」 「ふうん。目的は?」   特段興味なさそうに、昴は短く問い返す。   「現在、穢獣による被害が出ているので、鎮圧に」 「なるほど」    直後、ガシャンと激しい音を立てて床にガラスの破片が飛び散った。  動転してグラスを落としたのは、先ほどの火龍だった。牡丹花王との会話の最中、何か驚愕すべき事実を耳にしたらしい。  その穏やかでない会話を耳ざとく拾うと、昴は足音を殺してそっと二人へと近づいた。   「……つまり、薄明光線は春雷を助けに?」 「そうです。今の薄明光線は分身です。また、今の春雷は死ぬ運命にあります。そのため、薄明光線はすぐ向かいました」 「天命の書か……。頼むぞ、薄明光線よ」    ヒソヒソと交わされる二人のやり取りを盗み聞きながら、昴は全てを理解した。    どうやらあの男は、絢爛豪華な宴を投げ出してまで、どうしても救いたい霊獣がいるらしい。   ——あの、すべての霊獣を深く見下し、馬鹿にしていそうな薄明光線が? ——制止しようとする者すら惨殺しかねないほどの執念を燃やして?   「春雷とは一体?」   思わずそう呟くと、鋭い侍従はすぐさま反応してみせた。   「すぐに調べさせましょう」    

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