39 / 65
第三十八話 西霞白虎家の悲劇
講義室の並びにある薄暗い書庫。めったに人が足を踏み入れないその場所には、冷えた空気と古紙の匂いが満ちていた。
並ぶ書棚には、静まり返った時間を示すように薄く埃が積もっている。
「不知火 様の領域は、良くも悪くも浮世離れしているからな。他の五神貴族 が抱える血塗られた裏歴史まで、流れてはこないだろう」
時雨 は指先で埃を払い、棚から重厚な一冊の古書を引き抜くと、春雷へ差し出した。
「西霞白虎家 は十年前、一族の根を断たれている。……主犯は、昴宿流星 様の兄君 だ」
「え……?」
春雷 の思考が瞬時に止まった。
脳裏を掠めたのは、つい先ほど、兄の思い出を心底愛おしそうに語っていた昴 の横顔だった。
『今でも、信じてる』
あの眼差しに嘘はなかったはずだ。そう確信できるほど、彼の言葉には温かな熱が宿っていた。
春雷は息を呑み、渡された本を開いた。
黄ばんだ紙面に刻まれていたのは、十年前の冬、白銀の世界を朱に染めた凄惨な記録だった。
――天柱 に選ばれし西霞白虎家は、一族の繁栄と栄光を祈り、極秘の宴を開いた。
参加を許されたのは、血統を継ぐ白虎の者のみ。宴は静かに、誇らしげに進んでいたという。
……あの男の刃が、閃くまでは。
昴宿の兄――北辰天狼 。
男は突如として背の大剣を抜き放ち、狂気のまま一族へ斬りかかった。
分家や庶子に至るまで次々と斬り伏せられ、宴席は瞬く間に血に染まった。
狂った刃は止まることを知らず、ただひたすらに命を奪い続けた。
そして――一族を根絶やしにした後。
北辰天狼は大剣の血を拭いもせず、何事もなかったかのように静かに天柱へ向かって去ったという。
何が狂気を呼び覚ましたのか。
どのような積年の情念があったのか。
真実を知る者は、もうこの世に誰もいない。
ただ一つ確かなのは、その日、奇跡的に宴の席を外れていた幼き『昴』だけが生き残ったということ。
そして昴は、自分を絶望の淵へ突き落とした兄の名を、今度は自らの肩に背負うことになった。
『昴宿流星 』――。
統主たる者に与えられる、その四文字の名を。
「……本当の名前は……『昴 』だけだったの?」
かすれた春雷の呟きに、時雨は影のある顔で静かに頷いた。
「ああ。後から無理やり継ぎ足された名だ。統主たる者、四文字の名を戴かねばならないという掟ゆえにな」
春雷の胸に、冷たい痛みが走る。
あのお茶会でのやり取りが、まったく異なる色彩を帯びて脳裏に蘇った。
――最初から、すべてが偽りだったわけではないのかもしれない。
あの眩しい笑顔も。兄を語るときの切ない眼差しも。
少なくとも、彼自身の孤独な世界の中では、間違いなく本物だったのだ。
(……まあ、私に厄介事を押しつけてきたという事実は、何一つ変わりませんけれど)
春雷はぱたんと本を閉じ、胸のすくような溜め息を一つ吐き出した
ともだちにシェアしよう!

