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第四十話 特別ではない
「――なるほどな」
あまりにもあっさり時雨 が頷いたため、力んでいた春雷 は肩透かしを食らった。
「……随分とあっさり信じるんですね」
「春雷は直接会ったことがないから分からないだろうが、本来の木蓮桜花 様は、あんなに聞き分けの良い大人しいお方じゃない。皆は『先代を失ったショックだ』と庇っていたが……それにしても、な」
どこか歯切れ悪く言い淀む時雨に、春雷は「あ」と声を漏らした。
「そういえば、昴 様も同じようなことをおっしゃっていましたね……」
かつての木蓮桜花とは、一体どれほど破天荒な人物だったのか。
問い詰めたい気持ちを抑え、時雨はコホンと軽く咳払いをした。
「……よし。ならば目下の目標は『木蓮桜花様の救出』だな」
「ええ。私は、対象を物の中へ封じ込める『収奪術 』の解除法を調べます」
古書の挿絵に描かれた宝珠を指先でなぞりながら、春雷は唇の端を吊り上げた。
「私の見立てが正しければ……本人は、驚くほど近くにいますよ」
その虹色の瞳は、挿絵の中で輝く宝珠を鋭く射抜いていた。
◇
「講義の時間だ」と書き置きを残し、時雨は書庫を後にした。
一人残された春雷は、静まり返った空気の中で探索を開始する。
部屋は狭く、出入口も一つしかないため、穢獣が潜み込む隙はないはずだ。それでも万全を期して、扉には霊符を貼り付けた。
棚に並ぶのは歴史書と基礎的な術法書ばかり。禁書が厳重に保管されている『万象書庫 』とは比べものにならないほど、素朴な品揃えだ。
春雷が一冊の古書を開き、ページをめくった、その時――
「何かお探しものでしょうか」
背後から、滑らかな声が落ちてきた。
ハッと振り返る。
そこに立っていたのは、背が高く、彫りの深い顔立ちをした若い男だった。文官を思わせる長い髪を後ろで一つに束ね、隙のない佇まいを見せている。
しかし、その声には温度というものが一切存在しない。氷の刃のように冷たく、どこか無機質だった。
「……封印術についての本を探していました。私はこの分野に疎くて、少々手を焼いておりまして」
春雷は瞳を細め、男の全身を注意深く観察する。
腰に麒麟の彫り物がある筆入れに筆がさしており、それ以外の武器は見えない。
「おすすめはございますか?」
「それなら、この本と……こちらの解読書が良いでしょう」
男は澱みのない動作で棚から二冊の本を抜き取り、春雷へ手渡した。あまりにも的確で親切な選書に、春雷は驚きを隠せない。
「どのような術か概要をお教えいただければ、口頭でそのままお答えすることも可能ですよ」
男は腕を組み、退屈そうな冷ややかな視線を春雷へ注いだ。
「ハクビシン――春雷殿」
己の名を呼ばれ、春雷は背筋を伸ばして改めて男に向き直る。
「いかにも。私は東嶺青龍 家の春雷と申します。不躾ではございますが、貴方のお名前を伺っても?」
男は視線を滑らせ、自身の白く長い手元を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……蘭淫 」
その瞬間、春雷の息が止まった。
男の袖口と裾から覗く手首と足首に、異様な『楔 』が打ち込まれているのが見えたからだ。
鎖として、彼の手足に巻かれている。
鎖には――時雨の首筋に深く刻まれていたものと、まったく同じ呪印があった。
だが、蘭淫のは些か陳腐に見える。
春雷の胸が、ざわめきと嫌な胸騒ぎで大きく波打った。
この男もまた、何者かの容赦ない呪縛によって繋がれている。
「知っていますか、春雷殿。この醜い世界には……あなたと同じように虐げられ、踏みにじられて生きている霊獣が、吐くほど溢れているということを」
男が腕を動かすたび、手首の鎖が「シャラン……」と悲痛な金属音を奏でる。
「あなたは――決して、特別な存在などではない」
蘭淫は、微かに唇を歪めて笑った。
そこに嘲弄や悪意の色はない。ただ、動かしようのない残酷な事実を淡々と告げるためだけの、ひどく虚無的な笑みだった。
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