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第四十一話 その手を取る
――自分が周りの『普通』と違うのだと知ったのは、幼い頃、不知火 と共に初めて賑やかな街を歩いた日だった。
同年代の子供たちが通り過ぎるたび、春雷 には石が飛んできた。
怒号と蔑視。
「化け物」「醜い」「どこかへ消えろ」
そんな罵詈雑言が浴びせられる一方で、両親の手を握り、楽しそうに笑いながらお菓子をねだる子供たちがいる。
彼らの世界には、陽光が溢れていた。
生まれた瞬間から忌み嫌われて育った春雷は、世界とはそういう理不尽な場所なのだと信じ切っていた。
だが、違った。
虐げられていたのは、自分だけだった。
公園で無邪気に鬼ごっこに興じる子供たちを影から見つめながら、小さな春雷は不知火の衣の裾を引っ張った。
『不知火様……なぜ私だけ、石を投げられるのでしょう』
不知火は答えなかった。
ただ、春雷の小さく冷たい手をぎゅっと包み込み、ゆっくりと膝をついて目線を合わせた。
『この先、理不尽な悲しみで立ち上がれなくなる日も来よう。世界そのものを呪いたくなる夜もあろう。……その時、お主はどうする?』
『……言い返します。私は絶対に、理不尽になんか屈しません』
『ふっ、相変わらず口八丁な奴じゃ』
不知火は呆れたように笑い、それから愛おしそうに春雷の頭を撫でた。
『優しくありなさい、春雷。お主を悲しみの底に突き落とすのも、温かな喜びで満たすのも……すべて、霊獣じゃ』
語りかける声は、陽だまりのように温かかった。
『霊獣によって負った心の傷は――霊獣の温もりでしか、癒せぬのだから』
◇
回想から戻った春雷は、目の前の蘭淫 に探りを入れるような小細工をすることをやめた。
手にした本を開いたまま、正直に問いを投げる。
「私は、物の中に封じ込められた存在を『解き放つ術』を探しています。ご存知でしょうか?」
「……え?」
「先ほど、何でも答えてくださるとおっしゃったのは貴方です」
平然と言い放つ春雷に、蘭淫は「ああ……」と力なく呟き、喉を鳴らした。
「……対象となっている『器』そのものを破壊すればいい。強制的に術式が破綻し、中のものは弾き出されます」
「なるほど。感謝いたします。――では、次の質問です」
春雷は開いていた本をぱたんと閉じ、まっすぐに蘭淫の瞳を覗き込んだ。
「『虐げられて生きている霊獣』とは……誰のことですか?」
蘭淫の言葉が詰まった。
唇を噛み締め、視線を彷徨わせる。
「……こちらからも、一つ質問をしても?」
「ええ、どうぞ」
静かに頷く春雷へ、蘭淫はすがりつくような瞳で問いを投げかける。
「自分ではどうしようもない絶望に直面した時……あなたなら、どうしますか?」
「私は、躊躇なく誰かに助けを求めます。――私一人では、何一つ成し遂げられない弱者ですから」
蘭淫の手足で、再び「シャラン」と鎖が鳴った。
「それが……『こんなはずじゃなかった』という後悔に満ちた事態であってもですか?」
春雷の虹色の瞳が、蘭淫の身体を縛る鎖を捉える。
蘭淫は、まるで罰を受ける幼子のように、一瞬だけ身体を小さく竦ませた。
「例えば……自分が自分ではなくなってしまって、こんな醜いことなんてやりたくなかったのに……気づけば、取り返しのつかないバケモノに変わり果ててしまっていたとしても……ですか!?」
頭を抱え、痛みに耐えるように震え出す蘭淫。
春雷は拒絶される危険も顧みず、静かに、けれど力強い足取りで彼へ近づいた。
「少なくとも――」
春雷の柔らかな手が、蘭淫の手首に食い込む禍々しい鎖へ、そっと伸びる。
「――私は、貴方を見捨てません」
春雷の指先が楔に触れた瞬間、蘭淫は息を呑み、弾かれたように顔を上げた。
その目には、激しい動揺と、かすかな救済の光が揺らめいていた。
――その後、蘭淫は木蓮桜花 の封印を解く具体的な手順を、拍子抜けするほどあっさりと春雷に教えた。
己の犯した罪を後悔しているのか。
それとも、誰かに操られ、そうせざるを得なかったのか。
春雷には、まだ何もわからない。
だが、たった一つだけ、確信できる真実があった。
――この男は今、必死で助けを求めている。
ならば、手を差し伸べよう。
たとえその手を取った先に――どれほど凄惨な真実が待ち受けていようとも。
「とりあえず、光春舎 にいらっしゃいませんか?」
春雷は、できるだけ穏やかな声で告げた。
「あなたには、もっと術式について教えていただきたいですし。……ここに一人で残しておくのも、心配ですから」
蘭淫は目を見開いた。
まるで、そんな言葉を掛けられるとは思っていなかったかのように。
しばし呆然と春雷を見つめていたが、やがて視線を伏せる。
「……我 を、連れていくのですか?」
「ええ」
春雷は迷いなく頷いた。
「貴方が嫌でなければ」
蘭淫の手首で、鎖がかすかに鳴った。
「……そう、ですか」
その声は、ひどく小さかった。
やがて蘭淫は、ほんのわずかに目を細める。
「……では、お言葉に甘えます」
静かに頷いた。
その声には、ほんのわずかに――安堵が滲んでいた。
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