44 / 65

第四十三話 温かな食卓

「春雷(しゅんらい)、早く飯にしよう。今日は何?」 「今日も煮込み料理です。毎日同じになってしまって面目ないですが……」  春雷が軽く肩を落とすと、光芒(こうぼう)はふわりと笑う。 「あなたが作る料理ならなんでも嬉しいよ。毎日同じでも、まずくても構わない。あなたが作ることに意味があるんだから」 「あらあら、相変わらずお上手ですね」  春雷はくすりと笑い、鍋の様子を見に台所へ戻った。  時雨(しぐれ)は蘭淫(らんいん)を冷ややかな目で見下ろしたまま、黙って春雷の手伝いへ向かう。  残された蘭淫は、手を何度も握っては開き、鎖の感触を確かめた。 鎖は静まり返り、まとわりついていた嫌な重圧も消えている。  けれど、胸の内に芽生えた恐怖は、先ほどよりも遥かに大きく膨れ上がっていた。 (あの男は……一体、何者なんだ……)  消えた黒幕の視線。  そして、それを容易く断ち切ってみせた光芒の底知れぬ霊力。  蘭淫は震える手首をもう一度強く握りしめると、重い足取りで広間の温かな灯りの中へと足を踏み入れた。 ◇  夕食が運ばれ、春雷が蘭淫にも膳と箸を渡すと、蘭淫は不思議そうに目をしばたたかせた。 「食べないのですか?」 「……我がここで食事をしても?」 「もちろんです」  蘭淫は少し迷ってから、そっと漆の箸を取った。  春雷の手料理を一口、口に運ぶ。  熱い出汁の旨味が広がると同時に、そのこわばっていた表情が、ふっと柔らかくなった。 「……美味しい」  春雷は嬉しそうに微笑んだ。 「お口にあってよかったです」  その瞬間、蘭淫の脳裏に、一人の少女の姿が鮮明に浮かんだ。 『兄さん、ちゃんと食べなきゃ駄目じゃない』  そう叱られながら、湯気の中での囲んだあたたかな食卓。  ――一体いつから、自分たちの運命は狂ってしまったのだろう。 「侍従なら、ご自身でも料理をされるのですか?」  春雷の問いに、蘭淫はハッと我に返った。 「私の仕事ではありませんでしたから」  そして少し間を置き、遠くを見つめるように言葉を繋ぐ。 「……昔は、妹が作ってくれました」 「妹さんが?」  春雷が目を丸くすると、蘭淫は微かに目を細めた。 「ええ。私よりずっと上手でした」  部屋に緩やかな空気が流れる中、春雷は三人に現状わかっている事実を話し始めた。  穢獣が導士を喰らうことで力を得ていること。  なぜか、その狙いが春雷自身に向けられていること。  そして、木蓮桜花(もくれんおうか)が偽物にすり替わっており、本物はどこかに封印されていること。  春雷が一つひとつ説明する間、光芒は穏やかな表情で耳を傾け、時雨は黙って茶を啜っていた。 「とりあえず、木蓮桜花様の封印を解いて、結界を張り直していただいたらどうでしょうか」  解き方は蘭淫が知っている。  それが最短で、確実な方法に思えた。 しかし、三人の反応は芳しくなかった。 「まともな意見だが、それが一番厄介だ」  時雨が苦々しい顔をする。  蘭淫も諦めたように細い吐息を漏らした。 「……やはり、そうなりますか」 「木蓮桜花が封印から解かれたら、真っ先に結界を張り直すどころか――」   光芒が、困ったように春雷を見る。 「封印した本人を、再起不能にするだろうね」 「……そんなに、激情家なのですか」 「むしろ、今のまま封印されているほうが安全なくらいにね」  光芒は苦笑した。  けれど、その笑みはすぐに消える。  すっと、鋭い視線が蘭淫へと向けられた。 「……そうだろ? 蘭淫」 「…………」  蘭淫の肩が、びくりと跳ねた。  指先から滑り落ちた箸が、卓上にころんと小さな音を立てて転がる。 「蘭淫?」  春雷が身を屈め、床に落ちた箸を拾おうと手を伸ばした。  その瞬間だった。  蘭淫の手がすっと伸び、春雷の手首を力任せに掴んだ。 「――木蓮桜花様の封印を解く前に」  蘭淫は春雷をじっと見つめた。  その瞳からは、先ほどまでの冷静さが消え失せ、痛々しいほどの切迫感が宿っている。 「……救ってほしい命があります」  蘭淫は目の前の温かな夕食へ視線を落とすと、胸の奥から絞り出すように呟いた。 「始まりは……一本の芋でした。春雷、実は……」  春雷の虹色の瞳をじっと見つめ、蘭淫はふっと自嘲気味に笑った。 「幼少期、あなたに会ったことがあるのです」  春雷はハッとして、不知火との会話を思い出した。 「前に、麒麟一族(きりんいちぞく)の子供と話したことがあるじゃろ。同じ歳くらいの子との交流があれば...と思っての」 「声をかけて頂いたのです。お二人は優しい子たちでしたから」  はるか昔、まだ春雷が八歳の頃のことだ。 「もしかして、あのときの...!」 蘭淫は目を細めて語り始めた。 自身の犯した罪とーー蔑まれた日々を。

ともだちにシェアしよう!