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第五十話 虹色の瞳が照らす希望

 それからの蘭淫(らんいん)は、紫苑(しおん)の本来の肉体に居座る穢獣(けじゅう)の忠実な手下となり、あらゆる悪業に手を染めた。  穢獣を引き寄せ、指示されるがままに導士(どうし)たちをその餌食として捧げる日々。  苦痛に顔を歪めて命を乞う導士たちを見下ろすたび、胸の奥で眠る憎悪が僅かに晴れる気がして、その残虐な作業にむしろ自ら進んで没頭した。  喰らわせた導士たちは皆、あの日、幼い自分たちを見捨ててあざ笑った者たちだったからだ。  どれほど手が血に染まろうと、どれほど醜い化物に成り下がろうと、ただ紫苑の側にだけはいたかった。  蘭淫は木蓮桜花(もくれんおうか)の「侍従(じじゅう)」という立場を利用し、影のように彼女へ寄り添い、幾度となくその危機を救った。  紫苑の魂が入ったところで、木蓮桜花の持つ高度な能力まで扱えるわけではない。  そのため蘭淫は常に陰で血を流しながら禁術の陣を描き続け、あたかも木蓮桜花自身が完璧な結界を張っているかのように偽装し続けていたのだ。 『五神の儀(ごしんのぎ)』でも、その偽装は完璧に機能した。 木蓮桜花の皮を被った紫苑も悲壮な覚悟で気高く振る舞い、最大の障害であった牡丹花王(ぼたんかおう)が去っていたことも幸いする。 ただ一つ、圧倒的な誤算を除いては。 ――『薄明光線(はくめいこうせん)』。  五神の顔合わせの刻、その存在は木蓮桜花の姿をした紫苑を一目見るなり、短く呟いたのだ。 「なるほど」と。  その一言に、紫苑と蘭淫の背筋には氷水を浴びせられたような戦慄が走った。  あの透き通る金色の瞳は、二人の犯した不可逆の罪も、偽りの肉体も、すべてを見抜いているように思えてならなかった。  拭い去れない恐怖に押し潰されそうになった紫苑は、その夜、忍び込むようにして蘭淫の元を訪れた。 「蘭兄さん! 薄明光線様には絶対に感づかれてる……! 毎晩『結界を張り直してほしい』って二人きりになろうとするの……!」 「……落ち着け。大丈夫だ、そう簡単にボロが出るものか」 「――ねえ、もうやめようよ! こんなのもう破綻してる! 誰一人だって幸せになれてないじゃない! あたしに『木蓮桜花様』なんて演じ続けるのは、もう無理だよ……!」  泣き崩れる紫苑を、蘭淫はただ静かに見つめることしかできない。 ――それでも、こうする以外に紫苑を生かす道はなかったのだ。浄化ができない蘭淫には、魂魄(こんぱく)を入れ替える方法しかない。  助けてくれる霊獣などいないのだ。  この冷酷な世界で、自分たちのために手を差し伸べてくれる者などどこにいるというのか。  ハッと息を呑み、紫苑が突然蘭淫の血に汚れた手を強く握りしめた。 「蘭兄さん、覚えてる……? 昔、あたしたちを助けてくれるって言ってくれた、あの霊獣のこと……」  涙を拭い、身振り手振りを交えながら、紫苑は幼い頃の思い出を愛おしそうに語り始めた。  木蓮桜花という偽りの仮面を被り続ける日々が、どれほど孤独で過酷だったことか。  蘭淫の前でだけ、彼女はかつての幼い妹に戻り、伸び伸びと胸を咲かせた。 「五神の儀の場所にいたの! あの綺麗な虹色の瞳……絶対に見間違えたりしない! 今、霊獣学府(れいじゅうがくふ)に来ているんだよ!」 「……紫苑、すまないがそれは――」 「あたしは信じてる! 蘭兄さん、あたしたち本当に色々なことがあったよね。ずっと辛くて、大変だったよね……」  蘭淫は言葉を呑み込み、ただそっと妹の細い身体を抱きしめた。 「いい加減……蘭兄さんと、ふつうに幸せになりたいなあ……」  子供のように胸に顔を埋めて泣く紫苑に触れ、蘭淫の目からも、温かいものが一筋こぼれ落ちた。  哀しみも苦痛もとうに焼き切れ、涙など枯れ果たと思っていた。だが、己の泥塗れの魂の底にも、まだ「助かりたい」と願う浅ましい光が残っていたのだ。  その「虹色の瞳の霊獣」の正体に行き着くのは容易かった。 ――名は、春雷。  昔と変わらぬ揺るぎない正義感を胸に秘め、弱者への慈悲を絶やさない存在。  穢獣と化して果てた導士の残骸にすら、静かに手を合わせて哀悼を捧げるような者だった。 「私が穢獣に導士を食べさせて、何の利点がありますでしょうか」  理不尽な暴力にも、決して屈しない。  紫苑が扮する木蓮桜花に錫杖で殴りつけられようとも、春雷の瞳には揺るぎない意志が宿っていた。 その姿は、かつて幼い自分たちに手を差し伸べてくれた、あの頃と何ひとつ変わっていない。  紫苑の本来の肉体を奪った穢獣は、なぜかその春雷を激しく敵視し、憎悪を燃やしていた。  穢獣の執着は薄明光線にのみ向けられていると思っていた蘭淫にとって、それは意外な狂気だった。  幸いにも戦闘中、肩に受けた激痛の傷が疼くのか、穢獣は現在自由に動くことができない。 接触するなら、穢獣の目が届かない今しかない。 蘭淫は夜の闇を突き抜け、なりふり構わず走り出す ――胸の中に、たったひとつの愚かな希望を抱きしめて。   『少なくとも――私は、貴方たちを見捨てはしません』  そう言って春雷は笑った。

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