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第五十一話 よく頑張りました

 蘭淫(らんいん)は自らが受けるべき罰を静かに語り、その間も春雷の手を離そうとはしなかった。  春雷(しゅんらい)もその真っ直ぐな瞳を受け止め、最後まで真剣に耳を傾ける。   「春雷、あなたに問いたい……」    春雷の虹色の瞳を見つめ、蘭淫は静かに問いかけた。   「我(われ)の何が足りなかったのでしょうか。何が悪くて、何が正しかったのか……もう我にはわかりません」    自首するように話す蘭淫を、春雷はそっと抱きしめた。   「——それは私にもわかりません。ただ、もし私からあなたを労(ねぎら)うことが許されるなら」    蘭淫は目を見開く。   「今までよく耐えましたね。よく頑張りました」    春雷がそう告げた瞬間、蘭淫のなかで張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れた。  その瞳から、涙が溢れ出す。  ぼろぼろと零れ落ちる大粒の涙を、時雨(しぐれ)と光芒(こうぼう)は言葉もなく静かに見つめていた。  やがて、蘭淫は力尽きたように意識を失った。 肩にずしりと重みがかかり、春雷がよろめくと、時雨がすかさず寄り添って蘭淫を担ぎ上げる。   「張り詰めていた緊張が切れたんだろう。客間に寝かせてくる」 「ありがとうございます。奥の部屋が一応空いています」 「……客間はないのか」 「元はボロ屋ですよ。不知火(しらぬい)様の屋敷とは違います」    ぴしゃりと言い放つ春雷に、時雨は小さくため息をつき、蘭淫を背負って広間を後にした。  静まり返った広間で春雷が振り向くと、光芒は黙ったまま、深く何かを考え込んでいる様子だった。   「光芒?」 「なに、春雷?」   尋ねる春雷に、光芒がふっと柔らかく微笑み返す。   「いえ、何か考え事をされているようでしたので」 「……さっき、彼が言っていたことが気になってね」    光芒はそう言いながら、手際よく食べ終わった皿を綺麗に重ね、片付け始めた。  陶器の重なる小さな音が、静寂に包まれた広間に響く。   「何が悪かったのか……か」 「……その答えは、他人が決めるものではありません。私にできるのは、せいぜい同意と慰め程度でしょう」 「蘭淫に対してはね。——だけどさっきの彼の話、どこかおかしい気がしたんだ。どこだと思う?」   光芒の言葉に、春雷の胸がどきりと跳ねる。  蘭淫の話を聞いている最中、確かに春雷も一度首を傾げていた。  まさか、それを見抜かれていたとは。 ——穢染(けせん)を治せないと判断した天煌麒麟家(てんこうきりんけ)に対して、春雷は深い疑問を抱いていたのだ。  東嶺青龍家(とうれいせいりゅうけ)では、穢染の感染を防ぐため、多少強引にでも全身の力を尽くして浄化する。 しかし、天煌麒麟家では牡丹花王(ぼたんかおう)が穢染を抑え込んだ後、紫苑を隔離することすらしていなかった。   「完全に治せない穢染など、本当に存在するのでしょうか」 「——存在するわけがない。僕も聞いたことがないよ」 「では、なぜ浄化しなかったのでしょうか。木蓮桜花(もくれんおうか)様は『追放するしか方法がない、進行を止めるしかない』と仰っていました。ですが蘭淫の話では、牡丹花王様でさえ紫苑を完全には浄化していない……」   光芒と春雷は、静かに顔を見合わせた。   「考えられる理由は二つ。ただの差別だったのか、それとも……あえて浄化しない理由があったのか」   春雷は、はっと息を呑んだ。   「——あるいは、『そう認識させられていた』としたら……?」   光芒は一瞬目を見開き、すぐに冷ややかな笑みを浮かべた。   「へえ」 「第三者が裏で関与している……これは天煌麒麟家だけの問題ではありませんね。ですが、目的が分かりません」 「目的を知っている奴ならいる。だが、聞き出すことは難しそうだ」 「……でしたら、確認したいことがあります」   光芒と春雷は、静かに頷き合った。 ◇ 皿洗いを手早く済ませた春雷は、時雨に蘭淫の一時保護を頼むと、光芒と共に夜の街へと足を踏み出した。 向かう先は——木蓮桜花の身代わりとなっている、紫苑のもとだ。 夜風に衣を揺らしながら歩く道中、春雷は元々の「木蓮桜花」という人物について光芒に尋ねた。   「私の中では『五神貴族(ごしんきぞく)としての地位を何より重んじる、傲慢な方』という印象なのですが、人物像がまだあやふやで……」 「木蓮桜花は牡丹花王の一人息子だが、母親の地位が低かったんだ。正妻でありながら表舞台に立つことを許されず、体も弱くてお産に耐えられなかった。そのため木蓮桜花は『母親がいない』と、生まれた時から周囲に揶揄されて育った。天煌麒麟の一族どもは、ひとつでも欠点があればすぐに糾弾(きゅうだん)したがるからね」 「それは……ずいぶんと苦労なさったのですね」   そんな壮絶な生い立ちだったとは、と春雷が思いを巡らせていると、隣で光芒は小さく笑いを漏らした。   「木蓮桜花は統主として厳しく育てられたが、偉大な牡丹花王と比較されることも多く、強い劣等感を抱いていた。そうして少しずつ歪んで傲慢になり、周りの忠誠心を試すようになったんだ」 「……それは、いささかやりすぎなのでは」 「まあね。本人も無自覚なのかもしれない。圧倒的な実力で認められる牡丹花王に対して、高圧的な態度で周りを平伏させようとする木蓮桜花。最初こそバカにされるだろうが、見せしめに一人でも排除してしまえば……」   光芒は歩みを止めず、自身の首筋をすっと指でなぞった。   「有能な独裁者(とうしゅ)の始まりだ」   春雷は複雑な心地で苦笑いを浮かべる。   「牡丹花王様は、それほどまでに強いお方だったのですね。類稀なる才能だったのでしょうか?」 「いいや、違う。でも、いい質問だ」   振り返った光芒は、どこか得意げだった。その子どもっぽい仕草に、思わず春雷の口元が緩む。   「天煌麒麟家は代々、短命の血筋でね。ゆえに、能力を極限まで磨くための時間が圧倒的に足りなかった。そこで蓮華玄人は、時の流れを止める特別な森を作り出したんだ。統主に決まった際、その森で百年修行するのが慣わしになったのさ」 「時が止まった森……! 寿命が縮まらないのですね。すごい、そんなことが可能なのですか」   三万年もの果てしない時を生きる蓮華玄人だからこそ、成し得た大術なのだろう。   「おかげで僕も、かつてそこで修行ができたよ」 「それなら……あなたは私より、ずっと『お兄さん』ということになりますね」 「……やっぱり、今の発言は撤回しよう」   光芒がほんの少し口を尖らせると、春雷は愛おしくなり、思わずその頭を撫でた。 ふと視線がぶつかり、あ、失礼だったかなと思って手を引っ込めようとすると、逆に光芒の手首にギュッと掴まれてしまう。   「続けて……僕は、あなたに可愛がられたい」   掴まれた手をそのまま誘導され、春雷の手が再び光芒の頭に触れる。   「仕方がありませんね」 そう言いながら、春雷はもう一度、光芒の柔らかな髪を優しく撫でた。   先ほどまで木蓮桜花という重苦しい存在の話をしていたというのに、不思議と心は穏やかな温もりに満たされていた。    

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