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第五十三話 幸せになる権利
「あたしね、木蓮桜花 様を恨んではいないの。春雷 、あなたにはわかると思うけれど、生きる地点が最初から違えば、理解できないことだってある。毎日暖かい食事を食べられる霊獣に、食べるものすらない霊獣の気持ちは理解できないもの」
紫苑 は静かに、けれど強い意志を込めて言葉を紡ぐ。
「始まりが違うの。たまに『始まりは一緒だ、努力が足りないだけだ』なんて言う恵まれた霊獣 もいるけれど……同じことを、生まれた時から蔑まれてきた半霊獣 に向かって言えるかしら」
紫苑は目を伏せたまま語った。
生まれ持った境遇の差は、個人の努力で簡単に埋められるものではない。
できたとしても、それはごく一部の天才だけだろう。
持てる者が持たざる者へ「努力せよ」と強いるのは容易いエゴだ。
「——少なくともあたしは、ずっと泥を這うように生きてきた蘭 兄さんに向かって、そんな残酷な言葉は言えない」
紫苑はそっと目を閉じた。
蘭淫は昔から、身を挺して紫苑を守り続けてくれた。
孤児として道端で凍えていたあの頃、照りつける猛暑の日には貴重な水を先に譲ってくれ、極寒の夜には紫苑の冷え切った手に温かい息を吹きかけて温めてくれた。
牡丹花王 に拾われてからは、少しでも紫苑の立場を上げようと、寝る間も惜しんで勉学と武術に励んでいた姿を紫苑は知っている。
一度も弱音も吐かず、ただひたすらに努力を重ねてきた蘭淫に対し、一体誰が「努力が足りない」などと嘲笑えようか。
春雷もまた、蘭淫と紫苑の気持ちが痛いほどよく理解できた。
醜いと蔑まれ、不浄者だと扱われ、存在を否定されて生きてきた日々。
自分なりに必死で努力はしたのだが、誰も認めてはくれなかったし、振り向きもしない。
自分も、例えばあの薄明光線 様のように美しい容姿も絶大な霊力も兼ね備えて生まれていたら——。
そんな虚しい妄想を抱いた夜が、自分にもあった。
始まりが違うのは本人にはどうしようもないし、違う世界で生きる者を完全に理解することはできないのかもしれない。
——それでも。
「それでも……始まりがどうあれ」
春雷は一度光芒を見つめ、優しく微笑みかけてから、紫苑に向かってまっすぐな言葉を紡いだ。
「すべての霊獣には、幸せになる権利がある……と、私は思います」
紫苑は、目を見開く。
「——紫苑、あなたもですよ」
春雷のあたたかい手が紫苑の頬に触れる。
紫苑の目から、一筋の綺麗な涙が伝い落ちた。
「……あのね、春雷。あたしね——」
抱えられた錫杖 に、淡い光がそっと灯る。
「蘭兄さんと木蓮桜花様とまた三人で……あたしの作ったお弁当をあの東屋 で食べたいな。いつも通り喧嘩する二人をあたしが仲裁するの。でも、二人ともしっかり全部食べてくれるのよ」
紫苑は幸せそうに、春雷へ微笑んだ。
◇
木蓮桜花の護衛という名目で別室にて一晩を明かし、薄もやのかかる明け方、春雷と光芒は静まり返った屋敷を後にした。
昇り始めた朝日を浴びながら、背伸びをする春雷。
光春舎 へ帰る一本道で、光芒が隣の春雷へ話しかける。
「昨日のあなたの、『幸せになる権利がある』って言葉はいいね」
春雷は気恥ずかしそうに頬を掻いた。
「随分と立派なことを口にしてしまいましたね」
「そうかな。あなたにしか言えない、重みのある言葉だったよ」
まっすぐな光芒の言葉に、改めて春雷は照れてしまった。
純粋に存在を肯定され褒められることなど、滅多になかったのだ。
火照る顔にそっと手を当てて冷やそうと、春雷は少し足早に歩いた。
すると、光芒が突然立ち止まる。
「光芒?」
光芒は、真剣な眼差しを春雷に向けていた。
「あなたの幸せはなに?」
春雷は、ふふっと愛おしそうに笑って振り返る。
「私のは……もう、叶いましたから」
幼い頃に思い描いた、「いつか誰かに綺麗と言われたい」という小さな願い。
春雷は、光芒と初めて会った日の夜を思い出す。
きっと生涯、何があっても忘れることはないだろう。
「忘れたのですか? 出会ってすぐのあの夜、あなたは私を『綺麗だ』とおっしゃった。……それだけで、私のこれまでの人生のすべてが報われた気がしたのです」
今度は春雷が光芒に聞く番だった。
「光芒の幸せはなんですか?」
一陣の風が吹き抜け、二人の間を優しく通り抜けていく。
「今だ」
光芒は春雷を見つめ、まるで告白のように言った。
「僕は、あなたの隣にいる今が一番幸せだ」
どこか切なさを滲ませながら、言葉を繋いでいく。
「この後どんな苦難が待ち受けていようとも……僕はあなたが笑ってくれるだけで戦える」
そう言って、子どものように無邪気な笑顔を浮かべる光芒を見て、春雷も微笑み返した。
風の向こうに……どこか、誰かの面影を感じながら。
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