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第五十四話 残された陣の謎

 春雷(しゅんらい)は確かめたいことがある、と言い、五神の儀(ごしんのぎ)が行われた天空庭園(てんくうていえん)へ足を進めた。  五神の儀が行われた天空庭園は普段は、霊獣(れいじゅう)が休める庭園となり、誰でも出入りが出来る。  ——ただ敬意を込めて五神貴族統主(ごしんきぞくとうしゅ)が立った舞台は誰も立ち入らない。  春雷は舞台に足を踏み入れると、しゃがみ込み陣(じん)が書かれた跡を探した。 「五神の儀で、木蓮桜花(もくれんおうか)様が偽物だと悟られなかった理由を確かめたかったんです。あの時、穢獣(けじゅう)が現れたのには何か仕掛けがあったはずです」  恐らく蘭淫(らんいん)と紫苑(しおん)が書いた陣は、さすがの二人で、難しく春雷には解読ができなかった。  そもそも、春雷は陣には疎い。  霊獣学府(れいじゅうがくふ)に入ってから学んだので、見解が浅かった。 「蘭淫か紫苑に聞けばよかったです」  舞台にはまだ陣が残っており、春雷はただ陣の模様を指でなぞった。 「これは、穢獣を閉じ込める陣だよ。誘き寄せる陣も書かれている。天才と言われるわけだ」  光芒も春雷の横にしゃがみ、春雷の落ち込んでいる顔を除いた。 「——やはり」  春雷は目を見開いて、確信を得る。その後、慌てて光芒(こうぼう)にお礼を言った。 「ありがとうございます、光芒。お礼が遅くなりました」 「……いいよ。僕はあなたの役に立てるならそれだけでいい」  光芒は微笑んだ。  ◇    光春舎(こうしゅんしゃ)へとたどり着いた時、その扉の前には時雨(しぐれ)が仁王立ちで待ち構えていた。すでに空は薄っすらと白み始めている。   「遅い! こんなに遅くなるとは聞いてないぞ!」    開口一番、激しい剣幕で春雷を責め立てる時雨の前に、光芒がすっと割って入った。   「仕方ないさ。有意義な時間に制限をつけるほうが野暮というものだよ」 「誰が野暮だ! 有意義な時間だからこそ、時間を有効に使えと言っているんだ!」    時雨は昇りかけた太陽をピシッと指差し、怒号を飛ばす。   「もう朝じゃないか! 夜のうちに帰ってこい!」 「……心配をおかけしました」    しんみりとした様子で春雷が深々とお辞儀をすると、時雨は「ふんっ」と分かりやすくそっぽを向き、叫んだ。   「だ、誰も心配などしていない!」    その大音量を見越していたのか、光芒がそっと春雷の耳を覆ってくれていたおかげで、至近距離での破壊的な叫び声も間一髪でやり過ごすことができた。    ◇    一歩広間へと足を踏み入れると、今度は蘭淫がまるで罪人のように深く正座していた。  こちらへ視線を向けたものの、気まずそうにすっと首を振る。どうやら朝目覚めてからずっと、そのままの姿勢で佇んでいたらしい。  張り詰めた空気をほぐすように、春雷は二人へ問いかけた。   「朝ごはんは食べましたか?」    蘭淫はハッとしたように顔を上げ、静かに首を横に振る。  間髪入れずに時雨がまくし立てた。   「食べてない! さっさと準備しろ!」 「自分でやれ。それとも、時雨公子(しぐれこうし)様には難しいかな」 「はっ! 自分でやって春雷より上等な料理ができたら苦労はしない。お前こそ自分でやれ」 「僕は春雷の手料理が食べたいから、嫌だね」   「やれやれ」と心の中で呟きながら、相変わらず言い争いを始める二人を後に、春雷は台所へと向かった。  何はともあれ、まずは腹ごしらえからだ。    食材棚から野菜と肉、卵を取り出しながら、素早く献立を組み立てる。  簡単な野菜炒めに香ばしい出汁巻き卵、きのこと豆腐の味噌汁、炊きたてのご飯と彩りの漬物。   (我ながら、手軽すぎるかな……)    包丁を握りながら、春雷は心の中でそっと合掌した。霊獣学府に来てからというもの、まともに腕を振るう機会もなかった。  今回の策が無事に成功したら、次はもっと時間をかけて豪華なものを作ろう——そう静かに決意を固めるのだった。  夜明の静けさが残る光春舎の広間に、湯気とともに香ばしい香りが漂い始めた。  長机の中央に並べられたのは、飾りのない無骨な朝餉(あさげ)だ。  強火でサッと炒められた野菜炒めは、油をまとってシャキッと角が立ち、香ばしい醤油の香りを立たせている。  その隣には、綺麗な黄色に焼き上げられた出汁巻き卵。  箸を入れるとじわりと優しい出汁が染み出す絶妙な焼き加減だ。  きのこがたっぷりと入った味噌汁からは、立ち上る湯気とともに深みのある味噌の香りが広がり、炊きたての白米は朝日を反射してふっくらと輝いている。  端に添えられた鮮やかな色合いの漬物が、彩りを添えていた。   「いい匂いだ。さすがだな」    待ちきれない様子で身を乗り出し、つまみ食いをしようと伸ばされた時雨の手を、春雷はパシッと容赦なく叩く。   「時雨、運んでください。お行儀が悪いですよ」    春雷の冷ややかな視線に、時雨は叩かれた手をさすりながら不満げに鼻を鳴らした。  台所の隙間から広間を覗くと、長座布団に腰を下ろした蘭淫と光芒が、真剣な面持ちで膝を突き合わせている。朝  の柔らかな光が差し込むなか、低く重い声が交わされていた。   「……怪しいとは思わないのか」   器を準備しながら、時雨が顎で光芒の方を指す。   「思っていますよ。でも信頼はしています。それに……」 「それに?」   春雷は少しだけ困ったように、けれどどこか吹っ切れたような笑みを浮かべた。   「大体、わかってきちゃいましたから」 「は?」    時雨の間抜けな声を聞き流しながら、春雷は広間の方へ優しく温かな視線を向ける。   「彼は——私に対して素直です」    お椀になみなみと注がれた温かい味噌汁と、ふっくらと盛られたご飯。  それを盆に並べ、春雷は時雨の手にそっと持たせた。   「さ、運んでください」    長旅の疲労と緊張が残る身体に、炊きたてのご飯と温かい汁物は何よりの薬だ。  湯気立つ朝餉を前にすれば、どんな硬い表情も緩んでいく。  温かな食事が、ゆっくりと一同の英気を養おうとしていた。

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