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第六十一話 薄明光線の正体

 蠱毒(こどく)の中、春雷(しゅんらい)はあまりの悪臭に思わず鼻を覆った。 先が見えない。  周囲は濃密な暗闇に閉ざされ、自分が落下しているのか、それとも宙に浮いているのかさえ分からなくなっていく。 ——このままではまずい。  春雷は焦燥を押し殺し、手のひらに紫電(しでん)を走らせた。一瞬、紫の光が闇を切り裂く。 「光芒(こうぼう)、周囲の穢獣(けじゅう)が多すぎます」 「うん」 返事はすぐ隣から返ってきた。  しかし、周囲には無数の気配が渦巻いている。どこから襲ってくるのか分からない以上、ここでじっとしているわけにはいかなかった。 「私が先に——」 そう言って踏み出した瞬間、手首を強い力で掴まれた。 「待って」 光芒の声が、いつもより深く、低い。 「でも——」 「まだ動かない方がいい」 その言葉に、春雷は眉を寄せた。 戦うなら、自分も動かなければならない。 守られているだけなど、性に合わない。 そう思い、言葉を返そうとした、その時だった。 光芒の手が、ふっと離れる。 「光芒?」 次の瞬間、春雷の肩を指先がとんと軽く叩いた。 ——途端、指先から温かな霊力が流れ込み、春雷の身体が金縛りにあうように動かなくなる 「ちょっとした術だよ」 「なにを——」 「あなたを動けなくしておく。空中に留まれるから、落ちる心配はないよ」 「そんな……!」 抗議しようとした春雷の前で、光芒が静かに足を引いていく。 「一瞬で終わらせてくる」 「待って、光芒!」 必死に声を張った。 だが、光芒は振り返らない。 闇の向こうへ消えていくその背中で、金色の髪がわずかに揺れた。 その瞬間。 ——ぞくり、と。 春雷の背筋を、嫌な予感が走り抜けた。 ただ敵を倒しに行く人間の背中ではない。 何か大きなものを決意し、覚悟を決めた者の背中だった。 「……光芒?」  その名を呟いた、まさにその瞬間。  足元から、世界を塗り替えるような眩い光が迸った。  重く淀んだ暗闇を縦横無尽(じゅうおうむじん)に切り裂き、無数の光の束が天へと伸びていく。 それはただの一本の大光ではなかった。 分厚い雲間から奇跡のように差し込む陽光——幾筋もの美しい光が、蠱毒の闇を貫いていく。 春雷は息を呑み、目を見開いた。 ——薄明光線(はくめいこうせん)。  誰もが畏怖と憧れを抱くその存在を理解した瞬間、眩い光の中心から光芒が姿を現した。  散らばる光の粒子を纏い、金色の髪が神々しく輝いている。  戦場であることも、己が動けないことも忘れさせるほど、その姿はあまりにも美しく、気高かった。 「……光芒」 掠れた声で呼びかけても、返事はない。 次の瞬間、浮遊していた春雷の身体がふわりと強く引き寄せられた。 光芒のしなやかで強い腕に抱き上げられ、包み込まれるような安心感と共にゆっくりと下降していく。 底へ着くと同時に、とん、と軽く肩を叩かれた。 術が解け、春雷は自由を取り戻す。 「光芒?」 問いかける春雷に、光芒は答えなかった。 重力に従って落ちてきた彼の金色の髪が、さらりと春雷の頬を撫でる。 春雷はその横顔を見つめた。 呼吸が触れ合うほどの距離。 ——いつもの光芒とは、何かが決定的に違う。 その僅かな違和感を、春雷は見逃さなかった。  蠱毒の底に降り立ち、そっと足をつかされる。  じっと光芒の顔を見つめたが、闇が深すぎて表情までは読み取れない。  口を開こうとしたその時、静寂を破って馬鹿にしたような笑い声と不快な拍手が響き渡った。  春雷が即座に音のする方へ紫電を放つと、暗闇の奥で声はさらに大きくなった。 「これはこれは、まさかだ。春雷、あなたが来てくれるとは」 声の主が術を唱えると、周囲の壁がぬらぬらと怪しい光を放ち、辺りを照らし出した。 「素晴らしい。あなたをついに殺すことができる」 視界が明瞭になり、話している人物の姿が露わになる。 小柄で黒髪、少女の姿——しかしその肩には、気味の悪い卵のようなものが剥き出しで突き刺さっており、周囲の皮膚は凍傷で真っ赤に腫れ上がっている。 目的の穢獣で間違いない。 ——紫苑の体を奪った、憎き穢獣だ。 「そして——愛しの……」 穢獣の顔が、恍惚と執着に歪む。 「薄明光線さまぁ」 その名を聞いた瞬間、春雷の身体が硬直した。 弾かれたように、隣に立つ男を見る。 美しく輝く、金色の髪。 先ほど蠱毒の重い闇を貫いた、あの神々しい光。 雲間から差し込む幾筋もの光——薄明光線(はくめいこうせん)。 そして何より。 これまで何度も自分に向けられてきた、あの穏やかで優しい眼差し。 胸の奥で、散らばっていた記憶の欠片が一気に一つへと繋がった。 「……あなたが」 震える声で呟く。 薄明光線は、しばらく何も言わずに春雷を見つめていた。 やがて観念したように、ふっと小さく息を吐き出す。 「……驚いた?」 春雷はゆっくりと首を横に振った。 「いいえ」 自分でも驚くほど、その声は静かで、穏やかだった。 「薄明光線が……あなたなら」 春雷はその澄んだ金色の瞳を、逃げずにまっすぐ見つめ返した。 「なんだか、納得しました」 薄明光線の瞳が、ほんの少し見開かれる。 「……そう?」 「だって、あなたはずっと——」 春雷はそこで言葉を区切り、ほんの少しだけ照れたように微笑んだ。 「私を守ってくれていたから」 薄明光線はすぐには答えなかった。 けれど、緊張の糸が解けたように、いつもの柔らかく愛おしそうな笑みを浮かべた。 「角はどうしたんですか?」 「ああ、僕は元々角がないんだ。角があるほうが分身だよ」 薄明光線が少し腰を落とし、頭を春雷の方へ差し出してくる。 思わず春雷は手を伸ばし、その柔らかい髪と頭頂部を撫でて確かめてしまった。 「……本当にない」 「だから言っただろう?」 「……では、今までのあなたは——」 甘い気が立ち込めかけたその瞬間—— 「触るな! 穢(けが)わらしい!!」 穢獣の不快な金切り声が響き渡り、春雷は反射的に腕に紫電を纏わせる。 しかし、薄明光線の動きの方が遥かに早かった。 一閃。 :天虹剣が空を切り、先ほど春雷に施した拘束の術で、一瞬のうちに穢獣を地面へ押しつぶす。 「うるさい。春雷の言葉を遮る資格がお前にある のか?」 氷のように冷ややかな声。拘束されながらも必死に暴れ回る穢獣が叫び立てる。 「なぜ、なぜそいつが大事にされる!? 薄明光線様にはもっとお似合いの方がいますよぉ!」 「えっと、現状をご理解されてますか?」 狂乱する穢獣に春雷が冷ややかに声をかけると、畳みかけるように罵声が飛んできた。 「黙れ! この色狂いが」 パチン、と春雷の中で何かが弾けた。 春雷は迷わず踏み込むと、穢獣の口を強情に鷲掴みにして言葉を封じ込める。 「そのような汚い言葉を、紫苑の姿で言わないでください」 バチィィィッ!と激しい紫電がその顔面を走り、穢獣は絶叫ともつかない痛みに身をよじらせて暴れた。 その悶絶する姿を見下ろしながら、春雷はもう一度、極上の笑顔で問いかける。 「現状、理解できましたか?」 至近距離で笑顔で見のぞき込む春雷に、穢獣は屈辱に下唇を噛み締めながら唸り声を上げた。 「このゲス野郎が……」

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