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第六十二話 傷ついた者、傷つけた者

 昴(すばる)の冷たい眼差しに、木蓮桜花(もくれんおうか)は息を呑んだ。  自身は統主であるにもかかわらず理不尽に打ち据えられ、無慈悲に封印されたというのに、殴り返すことすら叶わない。  荒れ狂うこの怒りは、一体どこへぶつければいいというのか。 「西霞白虎家(せいかびゃっこけ)の昴宿流星(すばるぼしりゅうせい)! なぜ、朕(ちん)の邪魔をする!」 「邪魔はしていない。話を聞けと何度も言っているだけだ」 「蘭淫(らんいん)をどうして庇う! 朕の方が尊いはずだ!」 木蓮桜花の言葉に、昴(すばる)は鼻で笑った。 「何が尊い。命に優劣をつけるから、一族を滅ぼしかけたのだろう。自覚しろ、木蓮桜花」 昴は手に持った鉄扇(てっせん)で、静かに木蓮桜花の頭上を仰いだ。  途端、肩にへばりつくような重圧が加わり、木蓮桜花は昴の顔を見上げることすらできなくなる。 「お前が蒔いた悲劇だ」 昴が淡々と言い放つと、木蓮桜花は猛烈に抵抗を始め、力づくで頭を上げようとした。 「だから——」 息を詰まらせながら叫ぶ。 「朕の何が悪いというのだ!!」 怒り狂う木蓮桜花に、昴は目線を合わせるように身を低くした。 「木蓮桜花、天煌麒麟家(てんこうきりんけ)の統主として、麒麟一族(きりんいちぞく)を守るのは当然のことだ。蘭淫(らんいん)や紫苑(しおん)も同じ麒麟一族だろう。どうして、彼らを守ろうとしない?」 「——朕のことを見下し、馬鹿にする奴は許せない! なぜ淘汰(とうた)する? なぜ、なぜ、なぜ……!」 木蓮桜花の目から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ち始めた。 「誰も、朕を理解しようとしてくれないのだ……!」 昴は呆れたように小さく吐き捨てた。 「君だって、他者を理解しようとしないじゃないか」 余計に激しく泣き始めた木蓮桜花に、昴は大きなため息をつくと、ようやく静かに語りかけた。 「木蓮桜花、君の何が悪かったのかについて、俺に正しい答えは出せない。正解なんて、この世のどこにもないのかもしれない」 昴は鉄扇を下ろし、重力を解いた。 「お前が傷ついた理由も、誰にも理解されなかった苦しみも、俺には分からない。だが——」 涙で濡れた幼き顔を、昴はまっすぐに見つめる。 「傷ついたからといって、誰かを傷つけていい理由にはならない」 「……」 「蘭淫を憎むのも、お前を馬鹿にした者を許せないのも勝手だ。怒ることも、泣くことも、恨むことも止めはしない」 昴は一度言葉を区切った。 「だが、その怒りを免罪符(めんざいふ)にして誰かの命を奪えば……今度はお前が、誰かの人生を踏みにじる加害者になる」 「朕は……」 「お前が本当に欲しかったのは、そんなものなのか?」 木蓮桜花の唇が小さく震えた。 「誰かをねじ伏せ、従わせることが、お前の真の望みだったのか?」 「……違う」 「なら、まだ間に合う」 昴の声は、先ほどまでよりもずっと静かで、温かかった。 「自分が傷つけられたことと、誰かを傷つけることは、まったく別の話だ。そこから目を逸らすな」 「……朕は、どうすれば……」 初めて木蓮桜花の声から激しい怒りが消えた。 あとに残されたのは、暗闇の中で途方に暮れる子どもような幼い響きだった。 昴は短く息を吐く。 「まずは、話を聞け。自分の主張ばかりではなく、蘭淫の話も、紫苑の話もだ」 「……」 「それから、自分が仕でかしたことの重さを知れ。許されるかどうかは、その後の話だ」 木蓮桜花は俯いたまま、しばらく何も言わなかった。 やがて、昴から術越しに渡された神聖な姿を取り戻した錫杖(しゃくじょう)を受け取る。 木蓮桜花は、じっとそれを見つめていた。 まだ、すべてを理解できたわけではない。 蘭淫を完全に許せたわけでもない。 自分の愚かな過去をすべて受け入れられたわけでもない。 それでも——今の自分に、成すべきことはたった一つしかなかった。 「……分かった」 小さく、けれど確かな決意を込めた声だった。 木蓮桜花は錫杖を強く握り締める。 「今は、己のなすべきことを果たせ。統主として、この地を守るんだ」 その言葉に、木蓮桜花は静かに頷いた。 ——あの『薄明光線(はくめいこうせん)』も言っていた。 統主としての役目を果たせ、と。 ならば。 朕が今、この命を懸けてやらねばならないこと。それは—— 「――天瑞結界(てんずいけっかい)!」 天煌麒麟家(てんこうきりんけ)を守り抜くこと。 そのためだけに、木蓮桜花は高く、気高く錫杖を掲げた。

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