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第12章 日常

 カイルドの屋敷で暮らし始めてから、リオの生活は少しずつ形を変えていた。  朝は学校へ行く。  授業が終われば王都の食堂で働き、夕方には屋敷へ帰る。  夕食は使用人が用意してくれる。  カイルドが早く帰っている日は一緒に食べ、遅い日はリオが先に済ませる。  精気の提供も、数日おきに続いていた。  最初のころは何をするにも落ち着かなかった屋敷での生活も、最近ではすっかり日常になりつつある。 「団長、パン取ってください」 「ああ」 「そっちじゃなくて丸いやつです」 「これ?」 「それ」  朝食の席で、リオは受け取ったパンを半分に割った。  向かいでは、カイルドが新聞を読んでいる。  テーブルには、使用人が用意した卵料理とスープ、焼きたてのパンが並んでいた。 「今日、帰り遅いですか?」 「たぶん」 「たぶんって」 「訓練次第だな」  リオはパンをスープへ浸す。 「じゃあ、夕飯は別々かもですね」 「間に合えば食べる」 「何時くらい?」 「分からない」 「じゃあ俺、先に食べますよ」 「そうして」  新聞へ視線が戻る。  会話はそれで終わった。  最初は、カイルドと同じテーブルで食事をするだけでも緊張していた。  王国騎士団長と同じ屋根の下で暮らしている。  そう考えるだけで落ち着かなかったのに、今では当たり前のようにパンを取ってくれと言っている。  慣れとは恐ろしい。  リオはスープを飲みながら、ちらりと向かいを見る。 「何」 「何でもないです」  すぐ気づかれた。      ◇  その日は午前の授業だけだった。  週に一度、午後の実技がない日がある。  そういう日は、学校を出るとそのまま食堂へ向かい、昼の繁忙時間から働くことにしていた。 「リオ、三番!」 「はい!」  昼の食堂は戦場だった。  厨房から料理が出る。  注文が飛ぶ。  皿が下がる。  空いた席へ、次の客が案内される。  リオは二皿を片腕に乗せ、もう一方の手にスープを持ってテーブルの間を抜けた。 「お待たせしました。煮込みと鶏肉の香草焼きです」 「ありがとう、リオ」 「パン、足ります?」 「もう一個もらえる?」 「はい。持ってきますね」  空いた皿を回収し、そのまま厨房へ戻る。 「四番、パン追加です!」 「リオ、こっち会計!」 「今行きます!」  返事をして、少し緩んでいたエプロンの紐を結び直す。  忙しい。  けれど、嫌いではなかった。  学校の実技と違って、ここでは何をすればいいか分かる。  注文を間違えない。  料理を冷まさない。  客の水が減っていれば足す。  子供連れなら、空いていれば端の席へ案内する。  常連の好みも、自然と覚えた。 「リオ兄ちゃん!」  入口から声が飛んだ。  振り向くと、母親と一緒に入ってきた少年が手を振っている。 「コウ君、こんにちは」 「今日プリンある?」 「あるよ」 「やった!」 「でも、ちゃんとご飯食べてからね」 「分かってる!」  コウは元気よく答えると、いつもの席へ向かおうとする。 「コウ君、ゆっくりね」 「あ」  走りかけた足が止まった。  今度は大人しく歩いていく。  母親が苦笑した。 「いつもごめんね。リオ君の言うことなら聞くんだから」 「いえいえ。コウ君、今日は何にする?」 「いつもの!」 「じゃあ、鶏肉のやつね」 「うん!」 「プリンは食べ終わってから持ってくるから」 「忘れないでね」 「忘れないよ」  注文を受け、そのまま厨房へ向かう。 「コウ君、鶏肉の香草焼きお願いします!」 「はいよ!」  厨房から返事が飛んだ。  リオは次のテーブルへ水を運び、そのまま会計へ回る。  店に入ってきた客へ「いらっしゃいませ」と声をかけたところで、足が止まった。 「……団長?」  入口にカイルドが立っていた。 「こんにちは」 「どうしたんですか」 「近くに用があった」 「はあ」  こんなところまで来るとは思っていなかった。  けれど、仕事中だ。  リオはすぐに気持ちを切り替えた。 「一名ですか?」 「ああ」 「じゃあ、こちらへどうぞ」  空いている席まで案内する。  メニューを渡すと、カイルドは中を開いた。 「何がうまい?」 「全部」 「それじゃ分からない」 「じゃあ今日の煮込み。昼は一番出てます」 「それで」 「パン付きます。飲み物は?」 「水でいい」 「はい」  注文を書き留め、厨房へ向かう。 「六番、煮込み一つお願いします!」  それからは、カイルドを気にしている暇などなかった。 「リオ、二番下げて!」 「はい!」 「五番、水!」 「今持っていきます!」 「お兄ちゃん、スプーン落とした」 「あ、待ってね。新しいの持ってくるから」  皿を運ぶ。  注文を取る。  会計をする。  空いた食器を下げる。  途中でコウの席を通れば、空になりかけた皿が目に入った。 「コウ君、ちゃんと食べてるね」 「もうすぐプリン!」 「あと三口くらいかな」 「数えないでよ!」  母親が笑う。  リオも笑って、そのまま別の席へ向かった。  カイルドは煮込みを食べながら、その様子を眺めていた。  学校で見るリオとは、ずいぶん違う。  学校では、自信がない。  魅了は苦手。  精気を満足に受け取れず、卒業試験に何度も落ちている。  自分は落ちこぼれだと、本人も当たり前のように口にする。  だから、どこへ行っても少し頼りないのかと思っていた。  そうではなかった。 「リオ、これ持ってって!」   「はい!」 「七番の人、会計急いでるって」 「今行きます!」  どこから呼ばれても、すぐに返事をする。  客の顔も覚えている。  常連の注文も覚えている。  子供への接し方にも慣れていた。  同僚からも、当たり前のように仕事を頼まれている。  少なくともここでは、誰もリオを落ちこぼれとして扱っていなかった。  むしろ、頼られている。  ――こいつ、学校以外では全然落ちこぼれじゃないんだな。 「団長?」  気づけば、リオがテーブルの横に立っていた。 「さっきから、なんか見てません?」 「見てる」 「堂々と言わないでください。仕事しにくいです」 「ちゃんと働いてるなと思って」  リオの眉が寄った。 「当たり前じゃないですか」 「そうなのか」 「そうですよ。俺、ここ長いんですから」 「どのくらい?」 「学校入る前から」 「へえ」 「なんですか、その反応」 「別に」 「絶対なんか思ってる」 「リオ!」 「はい!」  厨房から呼ばれ、リオはすぐに振り返った。 「すみません。またあとで」 「ああ」  素早く厨房へ戻っていく。  カイルドはその背中をしばらく見ていた。  学校でできないことがある。  ただ、それだけだ。  ここで働くリオを見ていると、落ちこぼれという言葉はひどく似合わなかった。      ◇ 「団長」  午後の訓練を終え、カイルドが剣を鞘へ収める。  副団長が水を差し出しながら、じっとこちらを見ていた。 「何」 「最近、やけに調子よくないですか?」 「前にも似たようなこと言ってなかったか」 「そのときよりさらにですよ」  カイルドは水を受け取った。 「今日も最後まで動き落ちてないし」 「そうか?」 「前は後半になると露骨に重そうだったでしょう」 「そこまでじゃない」 「本人だけですよ、そう思ってるの」  水を飲みながら肩を回す。  確かに、軽い。  精気が溜まりきる前にリオへ渡せるようになってから、身体の重さを感じることはほとんどなくなった。  わざわざ提供所へ足を運ぶ必要もなくなった。  屋敷に帰ればリオがいる。  必要なときに渡して、リオはそれを問題なく受け取る。  今では、それがすっかり当たり前になっていた。 「例の淫魔君、相変わらずですか?」 「ああ」 「よく受け取る?」 「よく食う」  副団長が吹き出した。 「食うって」 「本人が腹減ったって言うから」 「そういう意味じゃないでしょう」 「知らん」  カイルドは水筒を返した。 「もう一本やる」 「まだやるんですか?」 「ああ」 「元気だなあ」  呆れたような声を背中で聞きながら、カイルドは再び訓練場へ向かう。  身体の調子がいい理由なら、もう分かっている。  リオが大量の精気を受け取れる。  魅了も使わない。  提供所へ行く手間もない。  自分にとって都合がいい。  それだけだ。  ――少なくとも、今はそういうことにしておいた。

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