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第5話 今は

夕方、澄川律が一階へ降りてきた時、真壁修司は受付脇で来訪記録を確認していた。 仕事は終わったらしく、澄川は鞄を肩に掛けたまま、まっすぐこちらへ向かってくる。 「真壁さん」 「お疲れさまでした」 「凪さん、まだいます?」 「先ほど出られました」 「ああ」 澄川の肩がわずかに落ちた。 それでも大きく残念がることはなく、「じゃあ帰ります」と自動扉へ向かう。 数歩進んだところで、足が止まった。 壁へ手をついたまま動かない。 真壁は端末から顔を上げた。 「澄川さん」 呼ぶと、ゆっくり振り返る。 「はい」 返事は普通だった。 顔色も遠目にはそこまで悪く見えない。 ただ、壁から手が離れない。 真壁は受付を出た。 「座ってください」 「大丈夫です」 「その状態で言われても信用できません」 澄川が何か返そうとした瞬間、身体が片側へ傾いた。 真壁はすぐに腕を取った。 抜けた力の分だけ体重がこちらへ掛かる。 思っていたより軽かった。 「座れますか」 「……はい」 近くの椅子まで支えると、澄川は背もたれへ身体を預け、目を閉じた。 真壁は手の届く位置で様子を見る。 「気分が悪いですか」 「ちょっと、くらっとしただけです」 「食事は」 返事がない。 「澄川さん」 「朝は食べました」 「何時ですか」 「九時くらい」 真壁は壁の時計を見た。 十八時を過ぎている。 「それを最後に?」 「たぶん」 「たぶんでは困ります」 真壁は近くのスタッフへ受付を頼み、水とすぐ口にできるものを持って戻った。 澄川は反論せず受け取った。 ボトルを持つ手に、さっきまで仕事をしていた時の力が残っていない。 真壁はその手から肩へ視線を移した。 肩に力が残っている。 「最近、眠れていますか」 澄川が水を飲みながらこちらを見る。 「普通です」 真壁は何も言わなかった。 数秒後、澄川の方が視線を逸らす。 「……寝ても途中で起きます」 「仕事のことを考えて?」 すぐに顔が上がった。 「何で分かるんですか」 「他に思い当たることがなかったので」 澄川はしばらく真壁を見たあと、水をもう一口飲んだ。 否定はしなかった。 やがて顔色も戻ってきた。 「今日はタクシーで帰ってください」 「そこまでしなくても」 「今日は大丈夫ではありません」 澄川は何か言いかけたが、やめた。 「分かりました」 手配を済ませ、到着まで入口近くで待つ。 外はもう暗くなっていた。 澄川は自分で立てている。 それでも真壁は受付へ戻らず、隣に残った。 しばらくして、澄川が前を向いたまま言う。 「この前ライブ来てくれたし」 「はい」 「チャンネルも登録してるし」 「しています」 そこで顔だけがこちらへ向いた。 「俺、真壁さんに結構見られてますよね」 真壁は澄川を見る。 「見る必要がある時は見ています」 澄川の視線が残る。 「今は?」 答えが止まった。 ちょうど道路の向こうからタクシーが曲がってくる。 真壁はそちらへ目を向けた。 「来ました」 「逃げました?」 「何からですか」 「今の質問」 澄川が笑った。 顔色はさっきより戻っている。 真壁は車のところまで付き添った。 「今日は無理をしないでください」 「はい」 澄川が乗り込み、ドアへ手を掛ける。 そのまま閉めるかと思ったが、もう一度こちらを見た。 「まだ答えてないですよね」 真壁は返さなかった。 澄川もそれ以上は待たず、車へ乗る。 タクシーが道路へ出ていく。 赤いテールランプが遠ざかり、見えなくなってから、真壁は建物へ戻った。      * 翌日の午後、来訪予定には澄川律の名前があった。 十五時。 早く来ることもあるため、真壁は時刻だけ確認して別の対応へ回った。 十四時半を過ぎても来ない。 十五時を過ぎても、自動扉の向こうに姿は見えなかった。 別の対応を終えて受付へ戻った時、表示が変わっている。 澄川律。 延期。 理由までは出ていない。 来ないことが分かれば、それで足りる。 真壁は画面を閉じた。 自動扉が開く。 反射的に顔を上げる。 入ってきたのは宅配業者だった。 対応を済ませ、また端末へ戻る。 しばらくして、もう一度扉が開いた。 今度は社内の人間だった。 来ないと分かっている。 予定も延期へ変わっている。 確認する必要はない。 それでも、扉が開くたびに目が向いた。 夕方、最後の来訪予定を閉じる。 画面から澄川の名前は消えていた。 真壁は端末を伏せた。 今日は一度も見ていない。 そのことだけが、妙に残った。

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