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第10話 昼休み

昼休みに入って間もなく、真壁修司のインカムへ名取圭吾から連絡が入った。 三階の共有ラウンジに人が集まっているという。 トラブルではない。 ただ、普段より明らかに人数が多いらしい。 真壁が三階へ上がると、エレベーターを出たところですぐ理由が分かった。 ラウンジの奥からギターが聞こえる。 通路を塞ぐほどではない。それでも三階勤務ではない社員まで混じり、四階から降りてきたらしい者が壁際に立っている。共有スペースの椅子も、ほとんど埋まっていた。 その端に制作進行の名取圭吾がいる。 真壁を見つけると、すぐ近くまで来た。 「すみません。ちょっと増えすぎました」 真壁はラウンジ全体を見る。 エレベーター前も通路も空いている。非常口側にも人はいない。 「何かありましたか」 「音合わせ始めたら、こうなりました」 名取が奥を見る。 真壁も視線を向けた。 凪隼人がギターを持っている。 その近くに相沢涼。 紫月颯が機材を触り、澄川律もその中にいた。 正式な収録ではないらしい。 昼休みの空いた時間に、確認したいところだけ合わせている。 それだけだった。 「四階まで噂が行ったみたいで」 「そうですか」 「戻した方がいいですかね」 真壁は時計を見る。 昼食を持ったまま立っている者もいるが、動線は崩れていない。 「昼休みですよね」 「はい」 「問題はありません」 名取が真壁を見る。 「じゃあ?」 真壁は音の方へ視線を戻した。 「聴きましょう」 名取が一瞬黙る。 「真壁さんも?」 「問題がないか確認します」 「それ、便利ですね」 「何がですか」 名取は笑って、それ以上言わなかった。 凪が短く何か言う。 澄川が頷く。 次の音が始まった。 真壁は壁際へ立つ。 以前、一人で立つ澄川を見た。 今日は違う。 凪のギターがあり、相沢の声が入る。紫月の音が下を支えている。 それでも澄川は埋もれない。 声を一つ置けば、その場所が澄川のものになる。 次では退き、相沢が前へ出る余地を残す。 凪が音をずらしても追わず、間を置いて別の場所へ入る。 誰かの音を奪わず、それでも中心から外れない。 いつの間にか、途中まで話していた社員たちの声が消えていた。 昼食を持ったまま、手を止めている人もいる。 ラウンジには音だけが流れている。 凪が一度ギターを止めた。 「そこ、もう一回」 澄川もすぐ止まる。 「今のでいいですか」 「いや。次、空ける」 「俺も?」 「うん」 澄川は考えた。 「分かりました」 もう一度始まる。 今度は、澄川が入らない。 空いた場所を埋めず、間を置いて声を置く。 真壁には、何が変わったのか細かく説明することはできない。 それでも、その一瞬だけ音の向こう側が広がった。 相沢が笑う。 「今のいい」 凪も何も言わず、そのまま続ける。 澄川の表情が緩んだ。 音が終わる。 すぐには誰も話さなかった。 やがて、ラウンジのあちこちから息が戻る。 名取が隣で小さく言った。 「これ、仕事戻れますかね」 「戻ってもらってください」 「急に厳しい」 「昼休みは終わります」 真壁が時計を見ると、周囲でも同じことに気づいた人間が動き始めた。 四階の社員がエレベーターへ向かい、三階の席も空いていく。 真壁も戻ろうとした。 「真壁さん」 呼ばれて振り返る。 澄川がこちらへ来ていた。 さっきまで音の中にいた人間とは思えないほど、歩き方はいつもどおりだった。 「来てたんですね」 「名取さんからインカムで連絡がありましたので」 澄川が離れたところにいる名取を見る。 「怒られました?」 「誰も怒っていません」 「よかった」 真壁は澄川を見る。 照明もない。 客席もない。 昼休みのラウンジで、人に囲まれていただけだった。 それでも、音が始まった瞬間から誰も動かなかった。 「どうでした?」 澄川が聞く。 以前にも聞かれた。 その時は、言葉を選んだ。 今日は違った。 「すごかったです」 澄川が黙る。 目がわずかに動いた。 「真壁さんが、それ言うんですね」 「言いますよ」 「あんまり言わなそうなのに」 「すごかったので」 澄川は真壁を見たまま笑った。 「じゃあ、よかった」 奥から凪に呼ばれる。 澄川がそちらへ顔を向ける。 「行ってきます」 「はい」 数歩進んだところで、一度だけ振り返った。 真壁はまだそこにいた。 今度は澄川が先に視線を外す。 真壁は受付へ戻るため、エレベーターへ向かった。 仕事へ戻る時間だった。 それでも、さっきの声だけはしばらく耳に残っていた。

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