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第11話 止まらない
昼休みの音合わせから数日後、澄川律の名前は来訪予定の中に何度も出るようになった。
Ridgelineとの企画が具体的に動き始めたらしい。
収録、打ち合わせ、海外向けの素材確認。
その合間にも、澄川自身の取材や出演は続いている。
真壁修司が知っているのは、アトラボへ来る予定だけだった。
それでも、以前より忙しくなっていることは分かった。
午後、受付前へ来た澄川は、一見いつもと変わらなかった。
「こんにちは」
「こんにちは」
真壁は予定を確認する。
今日は三階ではなく五階だった。
「このあと収録ですね」
「はい」
澄川が受付票を返す。
その手に、真壁の視線が止まった。
指先に力が入っている。肩も高い。
昼休みのラウンジで音を鳴らしていた時には、あれほど無駄な力がなかった。
「眠れていますか」
澄川が顔を上げる。
「いきなりそこですか」
「前より戻っています」
「何が?」
真壁が肩を見ると、澄川もつられて自分の肩へ目を落とした。
「また上がってます?」
「上がっています」
意識して下げる。
けれど、数秒もしないうちに元へ戻った。
澄川が息を吐く。
「最近、仕事増えたんですよね」
「そうでしょうね」
「海外の反応、思ったよりよかったみたいで」
声は明るい。
困っているようには見えなかった。
「Ridgelineのも、次どうするかって話がもう来てて」
「早いですね」
「俺もやりたいです」
そこは迷わない。
真壁も、止める理由はないと思った。
「なら、やればいいと思います」
澄川が意外そうに見る。
「止めないんですか」
「私が止めることではありません」
「ですよね」
澄川が笑い、そのまま奥へ進みかける。
真壁は呼び止めた。
「ただ」
澄川が振り返る。
「これ以上増やすなら、休む時間も決めた方がいいです」
「真壁さん、マネージャーみたいですね」
「違います」
「じゃあ何ですか」
返事が止まった。
澄川はそのまま待っている。
真壁はもう一度、上がった肩を見る。
「身体が休めていないと言っているだけです」
澄川の目が細くなる。
「それ、真壁さんしか言わないですね」
「所属の方も言っているでしょう」
「寝ろとは言われます」
「同じことです」
「ちょっと違います」
澄川はそれ以上説明しなかった。
エレベーターの到着表示が変わる。
「行ってきます」
「はい」
扉が閉じ、真壁は受付へ戻った。
*
その日の勤務を終え、引き継ぎを済ませて更衣室へ入ると、私用のスマートフォンに通知が届いていた。
《今日、少しお願いできます?》
相手の名前を確認するまでもない。
真壁は着替えを済ませてから返す。
《勤務終わりました》
すぐに既読がついた。
《まだいます》
一階へ戻ると、澄川は以前と同じ窓際の椅子に座っていた。
今日は真壁の私服を見ても驚かない。
顔を上げるなり聞く。
「今日ひどいです?」
「まだ触っていません」
「見れば分かるんじゃないですか?」
「分かることと、確かめることは別です」
澄川が立ち上がる。
真壁は歩き出した身体を見る。
左右の差は大きくない。
ただ、全体が前へ入り、休んでいる時の立ち方ではなかった。
*
人の少ない休憩スペースへ移る。
澄川が椅子へ座り、真壁は後ろへ回った。
「触ります」
「はい」
肩へ手を置く。
見た時よりも張りが強い。
触れた瞬間、澄川の身体がわずかに強張った。
「力を抜いてください」
「抜いてます」
「抜けていません」
澄川が笑う。
その拍子に肩が落ちた。
真壁は腕の位置を変え、無理に押さず、預けられる場所を作る。
「今日は考え事が多かったですか」
「ずっと」
「仕事?」
「ほぼ」
澄川は目を閉じた。
「終わっても、さっきのこと考えてるんですよね。あそこ変えた方がいいとか、次はこうしたいとか」
「全部、今日決めることですか」
「違います」
「では、今日は決めなくていい」
澄川が黙る。
真壁の手が肩から首へ移ると、呼吸が深くなった。
「真壁さん」
「はい」
「こういう時、何も考えなくていいですよね」
「そうしてください」
「それが一番難しいんですよね」
「今はできています」
澄川の身体から力が抜けていく。
預けられる重さが増え、真壁はそのまま受けた。
しばらくして、小さな声が落ちる。
「眠いです」
「今日はそのまま帰って寝てください」
「またそれ」
「毎回同じことを言わせないでください」
「はい」
返事には、もう眠気が混じっていた。
真壁はそこで手を離す。
澄川がゆっくり目を開け、肩を回した。
「終わり?」
「終わりです」
「短い。もっとやって欲しいです」
「今日はここまでです」
もう一度肩を回す。
さっきより動きが軽い。
「軽くなりました」
「それならよかったです」
澄川は立ち上がった。
鞄へ手を伸ばす前に、真壁を見る。
「真壁さん」
「はい」
「俺、仕事やりたいんです」
「分かっています」
「だから、止めないでください」
真壁はそのまま澄川を見る。
「止めません」
澄川の目元から力が抜けた。
「ただ、倒れないでください」
澄川はしばらく真壁を見ていた。
それから笑う。
「分かりました」
今度の返事は、さっきまでより素直だった。
真壁は脇に置いていた鞄を渡す。
澄川は受け取り、そのまま肩へ掛けた。
やりたいなら、やればいい。
真壁が止めることではない。
ただ、こうして来た時くらいは、身体が休める方へ戻せばいい。
澄川はそのまま出口へ向かった。
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