21 / 27

第21話 触れたい方へ

澄川律から連絡が来たのは、数日後の夜だった。 《今度の休み、空いてます?》 真壁修司は翌週の予定を確認する。 《日曜なら》 返事はすぐに届いた。 《じゃあ真壁さんの家行きたいです》 以前、澄川の部屋で言われたことを思い出した。 今度家教えてください。 その時は、まだ行くとは言っていません、と返した。 どうやら澄川の中では、断られたのではなく保留になっていただけらしい。 《何をしに》 間があって、 《遊びに》 と返ってきた。 真壁が画面を見ていると、もう一通届く。 《だめです?》 《構いません》 送信してから住所を続ける。 数秒後。 《やった》 思わず、息が抜けた。      * 日曜の午後、インターホンが鳴った。 扉を開けると、帽子とマスクをつけた澄川が立っている。アトラボへ来る時より服装は軽く、片手には紙袋を提げていた。 「こんにちは」 「こんにちは」 澄川は部屋へ入る前に、玄関の奥を覗くように見る。 「ほんとに真壁さんの家だ」 「住所を送ったでしょう」 「そうなんですけど」 靴を脱ぎ、廊下を進む。 リビングへ入ると、また足を止めた。 「何ですか」 「真壁さんっぽい」 「どういう意味です?」 「物あるのに、散らかってない」 真壁は答えず、澄川から紙袋を受け取った。 中には菓子と飲み物が入っている。 「今日は手作りではないんですね」 「毎回作りませんよ」 「そうですか」 「期待しました?」 澄川が笑う。 真壁は袋をキッチンへ置いた。 「していません」 「ちょっと間ありましたけど」 「ありません」 澄川は楽しそうに、もう一度部屋を見回した。 棚には本が並び、壁際にはトレーニング用品が置かれている。音楽機材もギターもない。 澄川の部屋とはまるで違う。 「これ、家でもやるんですか」 「たまに」 「柔道整復師の勉強してた時から?」 「その頃から身体は動かしています」 澄川が棚の前でしゃがみ込み、置かれている道具を一つずつ眺める。 真壁はその後ろ姿を見る。 自分しか使わなかった場所を、澄川が普通に歩いている。 それだけのことなのに、妙に目についた。 「真壁さん、昔からこんな感じだったんですか」 「こんな感じとは」 「落ち着いてるっていうか」 「あなたが落ち着きがないだけでは」 「それは否定しませんけど」 澄川が振り返って笑う。 その笑い方まで、この部屋の中だと違って見えた。 「でも、たまに年下っぽいですよね」 真壁が眉を上げる。 「私がですか」 「はい」 「どこが」 澄川は考える。 「分かんないことあると、急に慎重になるところ」 仕事中なら、判断材料を集めてから動く。 身体を見る時もそうだった。 けれど澄川のことになると、分からないまま止まることが増えた。 「仕事してる時は全然そう見えないのに」 澄川はそう言って、何でもない顔でソファへ座る。 真壁は飲み物を用意した。 二人でテーブルにつき、澄川が持ってきた菓子を開ける。 特別な話はしなかった。 最近の海外案件。 Ridgelineとの制作。 真壁の休日。 よく行く店。 何を食べるか。 澄川は仕事の話より、真壁が普段どう暮らしているかを知りたがった。 「休みの日、一人なんですか」 「基本は」 「友達と会ったりは」 「しますよ」 間を置いて、澄川が聞く。 「彼女は?」 真壁の手が止まった。 澄川は菓子を食べながら、答えを急かさず待っている。 「いません」 「前は?」 「いました」 「長かった?」 「質問が多いですね」 「気になるので」 真壁は息を吐いた。 「それなりに」 「女の人ですよね」 「そうです」 澄川はそれ以上は聞かなかった。 その沈黙の方を、真壁が意識した。 「澄川さんは?」 「何がです?」 「過去の交際です」 澄川は考えてから、肩の力を抜く。 「付き合った人もいますよ」 「男性は?」 「あります」 返事は軽かった。 真壁はカップへ伸ばしかけた手を止める。 澄川がその動きに気づいた。 「そこ気になります?」 「経験がないので」 「男と?」 「はい」 澄川は笑わず、真壁を見る。 以前なら、その視線を状態確認として受け取っていた。 今はもう違う。 互いに、それを分かっている。 「俺はあります」 「そうでしょうね」 言ってから、真壁は自分で止まった。 澄川の眉が上がる。 「またそれ言う」 「失礼しました」 「別にいいですけど」 口元だけで笑う。 「俺の方が年下なのに、そっちは俺の方が詳しいですね」 「比べる必要がありますか」 「ないです。でも、ちょっと面白い」 「私は面白くありません」 「真壁さん、今困ってます?」 真壁は一度だけ澄川を見る。 「少し」 その答えに、澄川の笑みが深くなった。 「珍しい」 真壁はカップを置いた。 「楽しんでいますね」 「はい」 澄川は悪びれずに答えた。      * 夕方が近づいても、澄川は帰ろうとしなかった。 ソファへ移る。 以前なら一人分ほど空いていた距離が、今日は狭い。 肩が触れるほどではない。 けれど、手を伸ばせば届く。 「真壁さん」 「はい」 「今日、触らないんですか」 真壁は澄川を見る。 「身体は問題なさそうです」 「そうじゃなくて」 もう何度聞いたか分からない言葉だった。 澄川が身体をこちらへ向ける。 「この前、頬触りましたよね」 「はい」 「あれ、状態確認じゃなかったですよね」 「違います」 今度は迷わず答えた。 澄川の目がわずかに動く。 それだけで、部屋の空気が変わった気がした。 「じゃあ今日もいいですよ」 「あなたは簡単に言いますね」 「嫌じゃないので」 真壁は手を上げる。 今度は途中で止めなかった。 頬へ触れる。 掌に体温が乗る。 澄川は目を逸らさない。 近くで見ると、睫毛の影も、頬に落ちる光もよく分かる。 真壁の親指がゆっくり動いた。 髪へ触れ、耳の近くを通り、首の後ろへ手を置く。 今までなら、張りや動きを確かめていた場所だった。 今日は何も確かめない。 ただ触れている。 澄川の呼吸が変わった。 それが分かっても、手を離す理由にはならなかった。 「嫌ですか」 「全然」 声が近い。 澄川が身体を寄せる。 真壁は動かなかった。 受付越しには境界がある。 身体を整える時には理由がある。 ステージの上にいる澄川は遠い。 今は、そのどれもない。 ただ目の前にいる。 澄川は真壁の手を見たあと、顔を上げる。 「真壁さん」 「はい」 「俺に触りたいんですよね」 「はい」 初めて、迷いなく答えた。 澄川の表情が緩む。 「じゃあ、触ってください」 真壁の手は首の後ろに残ったままだった。 澄川を見ているうちに、さっきまで近いだけだった距離が急に足りなく感じる。 呼吸が分かる。 目を逸らせば終わる。 澄川も動かない。 真壁がどうするのかを待っている。 やがて、澄川が小さく言った。 「真壁さん」 名前を呼ばれただけだった。 それでも、背中を押されたように感じた。 真壁は首の後ろへ置いた手を引き寄せる。 澄川の身体が自然に近づいた。 「嫌なら言ってください」 「言います」 それだけでよかった。 真壁から顔を寄せる。 触れるだけの短いキスだった。 離れる。 澄川が真壁を見る。 「……真壁さん」 「はい」 「どうでした?」 真壁は考えた。 嫌ではない。 思っていたより戸惑いもない。 それより、もう一度近づきたい気持ちの方がはっきりしていた。 「もう一度したいです」 澄川の表情が止まった。 さっきまで余裕のあった目が、一瞬だけ揺れる。 「それ、言うんですね」 「聞いたのは澄川さんです」 「そうですけど」 真壁は首の後ろに置いていた手を動かし、澄川の頬へ触れた。 親指で頬をゆっくり撫でる。 澄川は何も言わなかった。 今度は、澄川が何か言う前に真壁から顔を寄せる。 二度目は少し長かった。 最初より近い。 触れている時間が増えただけなのに、呼吸の置き場所が分からなくなる。 離れても、真壁の手は頬に残った。 親指がもう一度、その肌を撫でる。 澄川は静かだった。 目が合う。 笑っていない。 その顔を見た瞬間、真壁はもう一度触れたいと思った。 男と付き合うことを考えたことはなかった。 男性へこうして触れることも。 けれど、今目の前にいるのは澄川だった。 性別より先に、触れたいと思っていた相手だった。 澄川が、頬に触れている真壁の手へ自分の手を重ねる。 「次、俺からしてもいいです?」 澄川の手が重なったまま、真壁はその顔を見る。 もう迷いではなかった。 「……どうぞ」 今度は澄川が近づいた。

ともだちにシェアしよう!