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第22話 今からです
真壁修司がその映像を見たのは、勤務を終えて帰宅したあとだった。
夕食を済ませ、何となくテレビをつけると、音楽番組の特集に澄川律の名前が出ていた。
欧州公演後の反響と、今後の海外展開。
ベルリンとパリの映像が短く流れ、そのあと国内スタジオで収録されたライブへ切り替わる。
真壁はリモコンを置いた。
ステージ中央に澄川が立っている。
照明の中では、アトラボへ帽子を被って来る時とも、真壁の家で笑っていた時とも違って見えた。
大きく動いているわけではなく、客席へ手を伸ばすわけでもない。それでも声が入った瞬間、空気が変わる。
必要以上に近づかなくても、視線を集める。
真壁は画面を見たまま姿勢を変えた。
仕事の澄川は、自分が何をしたいのかをよく分かっている。誰かの後ろへ立つ人でもなく、海外へ出ても自分の位置を失わない。
曲が終わると、短いインタビューへ切り替わった。
海外での活動について聞かれた澄川は、次の予定について簡潔に答える。
Ridgelineとの制作についても、詳しいことはまだ話せないと前置きしながら、楽しみにしていると話した。
返事はどれも短い。
けれど画面の中にいる澄川は、これから自分がどこへ行くのかを、もう知っているように見えた。
多くの人に見られながら声を届け、これからさらに外へ出ていく。
真壁が知っている澄川と同じ人間なのに、その距離だけが急に広がったように感じる。
番組が終わり、画面が別の内容へ変わっても、真壁はそのまま座っていた。
スマートフォンが震える。
澄川だった。
《今日の見ました?》
真壁は画面を見る。
《見ました》
返事はすぐに届いた。
《どうでした?》
《よかったです》
《またそれ》
真壁は考える。
《本当にそう思っています》
間が空いた。
《明日行っていいです?》
指が止まる。
さっきまでテレビの中にいた人間が、明日は自分の家へ来る。
そのことの方が、映像より現実味がなかった。
《構いません》
送ると、
《じゃあ行きます》
とすぐに返ってきた。
真壁は画面を伏せた。
遠くへ行く人と、自分の家へ来る人。
そのどちらも澄川だった。
*
翌日の夕方、澄川は真壁の家へ来た。
帽子を取り、玄関へ入る。
「昨日、見ました?」
「見たと返したでしょう」
「ちゃんと全部?」
「ほぼ」
「どうでした?」
「昨日答えました」
澄川は靴を脱ぎながら笑った。
「直接聞きたいです」
真壁は考える。
「すごかったです」
澄川の動きが止まった。
「それ、久しぶりですね」
「何がですか」
「すごかったです、って」
以前、三階のラウンジでも言った。ベルリンの配信を見た時にも送った。
澄川は覚えているらしい。
「ありがとうございます」
そのままリビングへ入り、持ってきたものをテーブルへ置く。
真壁は飲み物を用意した。
向かい合って座っても、澄川はすぐに仕事の話を始めなかった。
真壁の方も、昨日から残っているものをうまく言葉にできずにいた。
澄川がカップを持ったまま、こちらを見る。
「真壁さん」
「はい」
「昨日から変です」
「そうですか」
「何か考えてます?」
真壁はカップへ視線を落とした。
澄川は急かさない。
必要なところまで言えば、その先を無理に埋めない。その待ち方は、仕事の時にも何度か見ていた。
真壁は息を吐く。
「あなたは、私が思っていたよりずっと遠くへ行く人なんだと思っていました」
澄川が首を傾げる。
「昨日の番組見て?」
「以前からです」
「でも俺、ここにいますよ」
「そういうことではありません」
「じゃあ?」
真壁は言葉を探した。
テレビの中にいた澄川も、海外へ出ていく澄川も、多くの人に見られる澄川も、目の前にいる人間と同じだった。
だからこそ、軽く扱いたくなかった。
「澄川さんにとっては、付き合うことがもっと自然なのかもしれません」
澄川が瞬きをする。
「自然?」
「私は違います」
真壁は視線を上げた。
「私にとっては、付き合うと決めることはかなり重いんです」
澄川の表情が変わる。
「俺、そんなに軽く見えますか?」
澄川の表情から、さっきまでの軽さが消えていた。
「……そう見えることはあります」
「やっぱり」
澄川は笑わなかった。
「でも、真壁さんのことは本気です」
澄川はまっすぐこちらを見ている。
「信じられないですか」
「信じていないわけではありません」
「じゃあ?」
真壁は言葉を探した。
「私の方が、付き合うことを決めるまでに時間がかかるんです」
澄川は黙って聞いていた。
「あなたの気持ちが軽いと言っているわけではありません。ただ、私は触れたいと思うことと、付き合うと決めることを同じにはできません」
澄川はしばらく真壁を見ていた。
「じゃあ、今決めてもらえます?」
真壁が顔を上げる。
「今?」
「俺はもう決まってます」
澄川の声に迷いはなかった。
「真壁さんと付き合いたいです」
その言葉だけを置いて、澄川は黙る。
真壁は目の前の澄川を見る。
テレビの中では、これからさらに遠くへ行く人に見えた。
今は、その本人が真壁の返事を待っている。
軽く扱いたくないと思った。
だからこそ、曖昧なままにしておく方が違う気がした。
「……私もです」
澄川の目が動く。
「ほんとに?」
「はい」
「付き合いたい?」
「そう言っています」
澄川の表情が緩む。
「じゃあ、今から?」
「今からです」
「確認しました」
「あなたも最近、それを便利に使いますね」
澄川が笑った。
さっきまで張っていた空気がほどける。
真壁はカップを置いた。
「澄川さん」
「はい」
「私も、本気です」
澄川の笑みが消える。
今度は真壁が続ける。
「時間がかかっただけです」
澄川はしばらく何も言わなかった。
それから、静かに頷く。
「分かりました」
その返事の方が、いつもの軽口より深く残った。
澄川がソファの距離を詰める。
「真壁さん」
「はい」
「触っていいです?」
「今さら聞くんですね」
「一応」
真壁は答える代わりに、その頬へ手を伸ばした。
掌に体温が乗り、澄川は自然にその手へ寄る。
昨日テレビの中で見た人と同じ顔だった。
けれど今は、手を伸ばせば届く。
「昨日、遠い人だと思ったんですよね」
澄川が言う。
「そうですね」
「今は?」
真壁は目の前を見る。
頬に触れている。
呼吸も分かる。
表情が変わるのも見える。
「近いですね」
澄川が笑った。
「ならよかった」
真壁の親指が頬を撫でる。
澄川はそのまま動かなかった。
もう、状態確認ではない。
理由も探さない。
恋人として、触れている。
その違いだけは、今度こそ迷わなかった。
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