8 / 17

8 前触れ

 映画研究サークルの土田は俺のことを、映画の配役としてなのかは分からないが、いたく気に入ったらしく、勧誘だけでなく、日頃から見かければよく話しかけてくるようになった。 「あ、いたいた。赤池君」  それは、たまたま真介とは一緒にいない時だった。  土田は講義を終えた直後の講義室に入ってくると、早速スマートフォンを取り出して俺の方に向ける。 「連絡先、交換しない?」 「はい!もちろんです」  俺は大学に入ってから初めて言われた台詞だったのもあり、満面の笑顔でスマートフォンを取り出す。 「何て言うか、赤池君可愛いね」 「え!?かわっ……?」 「そうそう。いつもにこやかだし、なんか男相手なのに意識させられる」 「意識って……」  連絡先の交換が終わり、話をどう続けようかと思ったタイミングで、メッセージを受信した。 『後ろ』  その言葉にヒヤリとした感覚を抱いて振り向くと、トイレから戻ってきた真介が講義室の出入り口に立っていた。 「真介」 「ああ、彼が戻ってきたなら、俺はこれで。後で連絡するね」 「あ、はい」  土田と別れ、真介がいた方に振り向くと、真介の姿はなかった。 「あれ?」  俺は急いで講義室を出て、真介の姿がないか見回した時、真介が数名の女に囲まれているのが見えた。 「またか……」  真介の元に駆け寄ろうとした気持ちが沈んでいく。  大学生になって垢抜けてから、真介は途端に女子生徒の注目の的になった。 「告白、されたりとかしてるのかな」  こういう時、自分が女だったら牽制しに行ったりできるのだろうか。  踵を返して、真介と約束していた講義室の合間のデートのことは忘れてしまおうと思って歩き始める。  すると数分後、一旦大学から出たところで真介からの着信が来た。  俺は飛び上がるほど嬉しくて、同時に胸の中に重たいものが広がるのを感じた。  真介は、本当に俺のこと好きなんだろうか。  いつも、素っ気ない態度ばかりだし、睨んでくることもよくある。  そもそも最初の頃だって、殺したいほど憎いと言っていた。  あれは結局どういう意味だったのか……。  俺は鳴りっぱなしの着信に出るのにしばらく逡巡したが、意を決して出た。 「やっと出た。どこにいる?」 「真介、あのさ。お前に訊きたいことがある」 「……何?」 「殺したいほど憎いって、本当はどういう意味?」 「まだ、答え分からないのか?」 「分からない」 「直接言ったら駄目か?」 「今言って」 「……してるってことだよ」 「え?何て……」 「殺したいほど、愛してるってことだよ。ドラマとかでもよく言うだろ。愛憎劇とか、可愛さ余って憎さ百倍とか」 「……」 「凌平?」 「はぁあ〜」 「何だよ」 「一気に力抜けた」 「まだ、言葉通りの意味に取ってたのか」 「だって真介、未だに時々俺のこと睨むし。本気で殺されるって思った」 「……まあ、……からな」 「え?ごめん、周りが騒がしくて聞こえない」 「いや、何でもない。それより今どこだ?」 「今、門のとこ」 「了解、すぐ行く」   通話が切れると、俺は空を仰いだ。  一気に悩んでいたことが解決して、空と同じく晴れ晴れとした気分だった。  その時、ふいにスマートフォンが震えて、見てみると、土田からだった。 『次の週末、空いてる?ちょっと撮影に付き合ってくれない?』 「撮影……?」 『撮影って、どういう意味ですか』  と送れば、すぐに返信が来た。 『今撮影中のショートドラマの主役が風邪を拗らせてて、すぐに代役が欲しいんだ』  俺は面白そうな話だと思った。  正直、自分に演技の才能はないし、この間は真介と二人のそういった撮影なら遠慮しようと思ったが、自分だけならいいかもしれない。  了承の返事を打ったところで、真介が現れた。 「今日は美術館だったな」 「そう、ホラー作品集やってて」 「凌平はホラー好きって言っても、本格ホラー苦手だからからかいたくなるな」 「酷いな」  むっとしつつも、真介が本心では言ってないことくらい分かるから、本気で怒れない。  ホラーハウスに行った時も、真介は俺の恐怖をなくすためにあんなことをしたのだから。 「また、キスしたい?」  俺が無意識のうちに唇を触っていたせいか、真介が真顔で訊いてくる。 「いや、唇乾燥してるなあと」  慌てて誤魔化すが、真介にはお見通しだったのだろう。  急に手を繋いできて、引っ張るように歩かされた。 「真介、何?どうし……」  顔が怖い。  何か気に障ることを言ったのかと思ったが、そうではなかった。  ぐんぐん歩いて美術館に着くと、受付を手早く済ませてトイレの個室に引きずり込まれたからだ。 「え、ちょっと、何……んっ」  真介は鍵を閉めた瞬間、俺をドアに押し付けて唇を奪う。  俺は反射的に目を閉じたが、すぐにそれを後悔した。  視界が見えなくなった途端、より感覚が鋭くなり、幾度も重なる唇の柔らかさと弾力、リップ音が背筋を羽で撫でられるように生々しく感じられた。  俺はあまりの激しさに溺れそうになりながら、必死で真介にしがみつく。  真介はそんな俺を抱き込んでさらに口付けを深くしようとしたが、ちょうどその時に誰かが話しながらトイレに来る音を耳にして、我に返ったように動きを止める。 「あいつらが行ったら、出るか」  真介は俺から目を逸らすと、小声で囁く。 「う、うん……」  俺は乱れた息を整えるので必死で、そう答えるのでやっとだった。 「行ったみたい」  声が遠ざかったのを見計らい、二人で個室から出る。  真介は何事もなかったように先に立って歩き始める。  なるほど、そのままの意味に受け取ってはいけないのは、何も真介の言葉だけではないのだと分かった。  真介の後に続いて展示室へ向かおうとして、ポケットの中のスマートフォンが震え出す。  土田からだ。  俺は真介に断りを入れて出ようとしたが、何となくそうしてはいけない気がして、土田には悪いと思いつつ電源を落とした。  後で家に帰ってから謝ればいい。  そう自分に言い聞かせて歩き出そうとしたが、真介はふいに俺の方を振り返った。 「今、電話がかかっていなかったか?」 「……大したことない。親からだった」  俺はなぜか、咄嗟に嘘をつく。  真介の目が、鈍い光を帯びたように感じた。 「そうか」 「うん、それより回ろう」  俺は自分から真介の手を取ると、真介の意識も俺の意識も展示物に向けようとする。  なぜだろう。  真介のことは好きだけれど、時々、天敵に捕らえられた獲物のような感覚になるのだ。  とはいえ、最初の頃ほど恐ろしさは感じなくなっていっている。  徐々にその恐ろしさを好意が上回り始めたのだと、真介の整った横顔に魅入られながら思った。  その夜、土田にメッセージを送った。 『昼間はすみません、充電が切れてしまって』  咄嗟につく嘘が増えたなと我ながら思うが、土田は特に勘繰ったりはしなかった。 『よかった、嫌われたんじゃないならいいよ。それより、代役の件で話したいから、土曜日の13時にこのカフェに来て』  貼られたリンクを開くと、真介の自宅から離れているカフェだった。  俺は返信を打って、そのまま寝ようとしたが、ちょうど次のメッセージを受信した。  土田からだと思って深く考えずに見た俺は、その内容に目を見開く。 『大事な話がある。今から話せないか』  間髪を容れず、俺は真介に電話をかけた。 「大事な話って何?」 「俺が高校の時からバイトしていたのは知ってるよな。実はこれまで、独り暮らしするために貯めていたんだけど」 「え?それ初耳」 「初めて言ったからな。それで、一緒に住まないか?」  真介と、一緒に住む……?  あまりに魅力的な提案に、頭の奥が痺れた。 「もちろん、すぐにとは……」 「住む!住みたい!親は説得する」  前のめりで答えると、真介が噴き出す声がした。 「じゃあ、説得できたら具体的な日取り決めようか」 「あ、でも俺もバイトした方がいいよな。家賃半分は出したいし」 「それなら、俺のバイト先紹介する」 「それはありがたいな。じゃあ、また大学で」 「待った。土曜日は空いてるか?気が早いかもしれないが、物件の候補を見ていた方がいいだろ」 「土曜日……」  俺は土田との約束を日曜日にずらしてもらうことも考えたが、さすがに電話を切った上にそうするのは良心が痛んでできそうもない。 「ごめん、土曜日用事があって。日曜日なら空いてる」 「……分かった。じゃあ、日曜日の昼に電話する」  真介の声が翳りを帯びた気がして、慌ててやっぱり土曜日に、と言いかけたけれど、通話が切れてしまった。  俺はざわつく心を持て余しながら、忘れてしまおうと目を閉じた。

ともだちにシェアしよう!