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先輩の恋人
居酒屋の後は恵介先輩の部屋で宅飲み……バスケ部お決まりのコースだった。近くのスーパーで酒やつまみを買い込んで、なだらかな坂を上っていく。俺は一番後ろを歩いていた。楽しげに会話をする恵介先輩と、同じ三年生の先輩。そして恵介先輩の隣には頭一つ低い姿がある。揺れる小さなポニーテールが妙に可愛く見えた。
夏樹さんは何も言わずついてきている。自分からはしゃべらない。でも恵介先輩を介して他人と話すことはある。人見知りかと思ったが、人の中には入っている。自主性がないだけなのか、それとも本当に人見知りなだけなのか……どうも掴みどころのない人だ。
坂の傾斜に沿って、三階建てのマンションが建っている。ここの一階に恵介先輩の部屋がある。大学から最寄り駅までの中間地点、大学からなら徒歩十分弱といったところか。ここはバスケ部の溜まり場でもある。そんな風にされてても、面倒見の良い恵介先輩は嫌な顔をしない。「ゲロ吐く時は必ずトイレでやれ」とだけ口酸っぱく言うが。
部屋に入る。見慣れたそこは、学生マンションにしては少し広い間取りだ。壁にかけられたスーツ。使用感のない台所。きちんと揃えて本棚に納められている実用書。掃除の行き届いた部屋は、住人の性格を表している。
床に酒と袋菓子を並べ、二次会が始まった。みんな居酒屋で結構飲んでいたので饒舌になっている。
「恵介先輩、夏樹さんとどこで知り合ったんすか?」
翔太が缶ビールを飲みながら言う。ソファに座る夏樹さんは表情を変えない。すぐそばの床に胡座をかく恵介先輩が、夏樹さんに缶チューハイを手渡す。
「どこって大学だよ。一年くらい前かな」
「へぇ。なんか二人が付き合ってるとこ、想像できないんすけど」
俺も思った。よく言ったな翔太。後輩の言葉に先輩は笑う。
「別に普通だよ。美術館行ったよな、こないだ」
「……うん」
桃味の缶チューハイを飲みながら、夏樹さんが頷く。芸術学部にいる人が美術館に行くのは分かるが、バスケばかりやってる恵介先輩が美術館というのは意外だった。
「恵介先輩、芸術なんて分かるんすか?」
「いや、全然。宗教画はスゲーなと思うけど、現代アートとか意味分かんねぇわ。天井から便器吊るしてタイトルが『平和への祈り』とか、どこが平和でどこが祈りかサッパリだよ。それだけは未だに理解できねぇよ」
確かに分かんねぇ!と翔太が笑う。酒の入った翔太はよく喋る。恵介先輩もよく喋っていた。
飲みたい酒が出ていなかったので、近くにあったスーパーの袋を漁る。缶ビールがかなり入っていた。これでいいやと手に取ろうとした瞬間、耳に冷たいものが当てられた。振り向くと……夏樹さんが立っていた。
「これ、いらない。飲んで」
桃の缶チューハイだった。返事をしないでいたら、また耳にペチッと缶を押し付けられた。冷たい。仕方なくそれを受け取る。代わりに彼は袋から缶ビールを取り出し、灰皿を引き寄せた。
なぜか俺の隣に座る。恵介先輩の方を見たら、他の後輩との話しに夢中になっていた。
缶ビールのプルタブを開けて飲む横顔を見下ろす。想像よりもっと小柄で……華奢だった。ほっそりとした首が成人男性とは思えない。俺より年上だというのに、まだ少年のような危うい色気があった。
「これ、本当にいらないんですか?」
「いらない。味に飽きた」
仕方なく桃チューハイの処理を受け持つ。一口飲むと、甘ったるい桃缶にも似た味が広がる。これは確かにきついかもしれない。
ビールを飲みながら煙草を吸う彼と何を話せばいいか分からない。なぜか心臓がバクバクと強く脈打っていた。
「あの……芸術学部ってどんなことしてんですか?」
「絵、描いてる」
「夏樹さんはどんなの描くんですか?」
「油絵」
会話が、続かない。何を考えているのか分からない。
慣れた手付きで煙を吐き出す夏樹さんの隣で、俺は置物のように固まっていた。視界の端にいるから、チラチラ見えてしまう。ふと、キラリと何かが光っていた。白い耳朶に小さなフープピアスと真っ赤な石のピアスが着けられていた。無意識で手を伸ばす。触れる瞬間、紅茶色の瞳が動いた。手が引っ込む。
じ……っと色素の薄い瞳は俺を見上げる。そこにどんな感情が乗っているのかは分からない。だが、心をざわつかせる何かが浮かんでいた。
「恵介の後輩?」
「は、はい……保坂勇斗、です」
「あぁ。恵介から聞いたことある。腹筋すごいんだって?」
思わず桃チューハイを吹き出す。恵介先輩、どんな情報出してるんだよ。確かにやたら腹筋褒められるけど、そんなの聞かせなくていいのに。
じぃ……と見つめる瞳が近くなる。触れそうなほどの距離まで顔を詰められた。
「見てみたいな……」
心臓が、どくんと跳ねる。少しハスキーな声は甘かった。体が熱い。呼吸が上手くできない。
俺の反応をおかしそうにクスクス笑い、夏樹さんは煙草を灰皿に捨てて恵介先輩のところに戻った。何事もなかったように彼の隣に座り、肩に腕を回されている。
まだ動悸が止まらない。俺はそれを抑えたくて、桃チューハイを呷った。
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