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第5話

「レン様」  部屋の扉をノックしたメイドが、廉の名前を呼ぶ。  おそらくメイド長であるハンナだろう。 「はい」 「先ほどランス様から城を出たとご連絡がありました。もうすぐお帰りになると思います」 「わかりました。すぐに下に行きます」  廉は扉に向かってそう答えると、インク瓶の横にあるペン受けに羽ペンを立てた。  広い階段を下り、廉が玄関広間へ行くと、ちょうど従僕(フットマン)に鞄と上着を預けたランスがこちらを振り返った。 「お帰りなさい、ランス」 「ただいま戻りました、レン様。お出迎え、ありがとうございます」  甘やかな笑みを浮かべたランスが嬉しそうに言った。  ランスが帰ってくるという報告を聞くと、廉は出迎えるためにすぐに玄関広間に向かう。  以前は時折それで長い時間を待つことになり、ランスが気にするため、最近はメイドがちょうど良い時間を知らせてくれているようだ。 「今日は一日何をしていたのですか?」 「午前は算術の先生に来てもらって、午後は本を読んだり、音楽を聴いたりしました」  公務から帰ってくると、毎日ランスは同じことを廉に聞く。 「レン様、勉強熱心なのはよいのですが……たまにはのんびりしてもいいんですよ。来月からは学院が始まって、それこそ勉強漬けの生活になってしまうんですから。というか、本当に学院に入るんですか? もう一年遅らせてもいいんですよ?」 「元々一年遅れているのに、さらに遅らせるのはちょっと」  廉がそう言うと、「それはそうですが……」とランスはまだ納得できかねる様子だった。 「それよりランス、せっかく早く帰られたんですから夕食にしましょう」 「そうですね、私は一度私室に戻りますので、レン様は先にグレートホールへ行っていてください」  ランスはそっと廉の肩に一度だけ触れると、そのまま従僕を伴い二階にある自室へ向かっていった。  それを見送った後、廉はランスに言われた通り、食堂、グレートホールへと向かう。  廉がこの世界、フェルディナ王国へ来てから、六ヶ月が経っていた。  最初はヨーロッパの城のように、ただただ広いこの屋敷に戸惑ったが、半年経った今はどの部屋がどこにあるか把握できている。  スペンシア侯爵邸の主人はランスなのだが、この世界に来て早々にランスが廉の出生と立場を屋敷の使用人たちに説明したため、ランスか、それ以上の扱いを受けている。  一ノ瀬(いちのせ)家には莫大な資産があったが、祖母である千早は贅を嫌ったため、家事は全て祖母自身が行っていた。  自分の身体が悪くなると通いの家政婦が来たこともあったが、廉自身も自分のことが自分でできるよう育てられた。  だから、屋敷での至れり尽くせりという生活は、今でも慣れない。  最初の頃なんて、着替えを手伝おうとメイドたちが毎朝部屋を訪れるため、それを断るのにも苦労した。  彼女たちはなんにも思っていないのだろうが、十代後半、しかも中学から男子校育ちの廉にとって少し年上の女性たちに世話を焼かれるというのは照れくさいし、抵抗もあった。  半年経ったことで、ようやく廉が自分のことは自分ですることに周囲も慣れてくれたのだが。とにかく文化や習慣に馴染むのが大変だった。  まず、自分のことは自分でしたいと口にすると、ランスにとってはカルチャーショックだったのだろう。 『レン様、ご苦労をなさってきたのですね……。申し訳ありません、私が早くレン様を迎えに行っていれば』  廉にとっては当たり前の、日本での一般的な生活がランスからはそう感じられなかったようで、その誤解を解くのも大変だった。  ただ、ランスが廉を大切にしてくれていることは、この半年でとてもよくわかった。かといって、ランスとの関係が最初から円満だったわけではない。  いきなり知らない世界の知らない国に連れてこられたのだ。温厚で滅多に怒らない、と周囲から言われる廉だってさすがに怒った。  とにかく元の世界に戻して欲しいと、さすがに感情的になってしまった。  けれど、どんなに廉が感情的になって責めても、ランスが廉に言い返すことはなかった。 『ごめんなさい、レン様にもあちらでの生活があったことはわかります』 『それでも、レン様はこの国にとって必要なお方なのです』 『決して不自由はさせません。どうか、この世界に留まってください』  既に強制的に戻されているではないかと、その時の廉は思った。  けれど、あまりにランスが冷静で理知的であるため、いつまでも感情的になって責めている自分の方が幼く思えてくる。 『どういう事情があるんですか?』 『え?』 『俺がこの世界に連れ戻された理由です。とりあえず、話を聞かせてください。納得できるかどうかはわかりませんが……』 『レン様……ありがとうございます、レン様はお優しいですね』  ランスは穏やかに微笑んだが、すぐに厳しい顔つきになった。 『話は十年以上前に遡ります。全ては、レン様のお父上のハルバート様が、弟である現国王・クロードに濡れ衣を着せられ、反逆者に仕立て上げられたことが始まりです。囚われたハルバート様は公には病死となっていますが……毒殺されたのです』  ランスは静かに語り続けた。普段のレンに向ける穏やかな表情とは全く違う、その瞳には怒りと憎しみが籠もっていた。 『クロードは王妃である姉上を自分の妃に据え、自ら王となり政権を掌握しました。代々騎士の家系で、侯爵家である姉上を自らの王妃とすることで、自身の立場を盤石なものにしたかったのでしょう。けれど、姉上は既にハルバート様の御子を身籠もっていらっしゃいました。それが、レン様です』  レンの名前を呼んだ瞬間、僅かにランスの表情が柔らかくなった。 『王子であればレン様の命が危ういと考えた姉上は、レン様を姫として育てました。けれど、レン様が六つになった時、王子だということを知ったクロードがその命を狙い……姉上は、自身の全ての力を使い、レン様を逃がそうと異界へ送り込んだのです。死に際の姉上から、私はいつかレン様を迎えに行って欲しいと、そう託されました』  既に十年以上も昔のことであるはずなのに、ランスの語り口は静かながらも気持ちが入っており、ランスの中では未だ過去のことにできていないのがわかった。

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