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第4話 いつも来てる
昼のアトラボ大型スタジオには、収録前の熱がこもっていた。
Ridgelineの特番収録に合わせて常設ステージの周囲には追加機材が入り、床には何本ものケーブルが走っている。都市を模したLED映像の前では、配信用カメラと番組用カメラがそれぞれ位置を確認し、スタッフの声が途切れず飛んでいた。
ステージ中央では、相沢涼がマイクチェックをしている。
短いフレーズを歌い、返ってきた音を聞いて少し崩す。音響スタッフがモニターを調整する横で、紫月颯はタブレットを見ながらカメラ位置について確認していた。
凪隼人はギターケースを肩に掛けたまま、ステージ袖でその様子を眺めていた。
「凪」
紫月が近づいてくる。
「五分押し。カメラ三、少し位置変えるって」
「ふーん」
「緊張してねぇな」
「する意味ある?」
「少しはしろ」
凪は返事をせず、仮設された観覧席へ目を向けた。
関係者や外部スタッフが座る後方の席に、スポンサーらしいスーツ姿も混じっている。
その中に、見覚えのある男がいた。
ジャケット姿で腕を組み、ステージだけを見ている。
凪は小さく言った。
「おじさん来てる」
紫月がタブレットから顔を上げる。
「あ?」
凪が顎で客席を示した。
「あそこ」
紫月は視線を追い、すぐに眉を寄せる。
「……いつも来てる。しつこいな、月城」
凪は月城玲士を見たまま、小さく息を吐いた。
「あいつ、たぶん俺の古参ファン」
紫月が凪を見る。
「は? 知らねぇのかよ」
「知ってる」
「何を」
「耳のいいおじさんだろ」
紫月は額へ手を当てた。
「違ぇよ……いや、違わねぇけど」
「何だよ」
「お前、世間知らずにも程があるな」
「ギター弾くのに必要?」
「必要な時もある」
「今じゃねぇだろ」
紫月は言い返さず、舌打ちしてタブレットへ戻った。
客席では、月城もこちらへ気づいたらしい。
軽く手を上げる。
凪も同じくらい雑に返した。
「知り合いかよ……」
紫月が低く呟く。
「ファンだって」
「本人が言ってたのか」
「そんなところだって」
「めんどくせぇ返ししやがる」
ステージ中央から相沢の声が飛んできた。
「凪、そろそろ」
「はいはい」
凪はケースを開けてギターを取り出した。
チューニングをしながら、もう一度だけ客席を見る。
月城は深く座り直し、伏せたスマートフォンには触れていない。
凪は何も言わず、ペグを少し回した。
「毎回来るんだな、あのおじさん。暇なのか?」
紫月がすぐに返す。
「暇なわけあるか。お前見に来てんだよ」
「変わってんな」
「お前もな」
本番前のカウントが入る。
照明が落ち、さっきまで動き回っていたスタッフの声が消えた。
相沢がマイクの前へ立つ。
凪は少し後ろでギターを構えた。
最初のコードが入ると、スタジオの空気がRidgelineの音へ切り替わった。
都市を映したLEDの光の中を、相沢の声がまっすぐ抜けていく。軽さを残したまま、戻る場所を外さない声だった。
奥ではドラムが拍を作り、キーボードの薄い音がその間を埋める。
凪のギターは相沢の声の真下には置かず、少し斜めから支えた。紫月のベースが外側へ広がり、その真ん中を相沢の声が通っていく。
凪は、自分の音がどこにあるのかを確かめながら弾いた。
二曲目の途中では、短いコーラスも入れる。
主旋律ではない。
ほんの少し声を重ねただけなのに、そこだけ音の輪郭が変わった。
後方の席で、月城は少し目を伏せている。
ステージ演出にも、周囲の反応にも視線を動かさない。
ただ音だけを追っていた。
収録が終わり、凪がステージ袖へ戻ると、紫月が肩を軽く叩いた。
「ほら」
関係者入口の近くに月城が立っていた。
凪は首へ掛けたタオルで汗を拭きながら近づく。
「おじさん」
「よかったよ」
「短いな」
「長く言うと安くなる」
凪は笑った。
「何それ」
月城はポケットから小さな紙袋を取り出した。
「差し入れ」
「俺に?」
「今日は喉用」
凪が受け取って中を見ると、見慣れない包装ののど飴が入っていた。
「……俺、コーラスちょっとしか入れてねぇけど」
「その少しが残る」
月城は静かに言った。
凪の手が止まる。
後ろから、相沢がタオルを首へ掛けたまま歩いてきた。
「のど飴なら、凪じゃなくて俺にでしょ、玲士さん」
凪が振り返る。
「うるせぇな、相沢」
「基本ボーカル俺だよ」
「知ってる」
「知ってる扱いじゃなかった」
月城が少し目を細めた。
「君の喉は強そうだからね」
相沢は目を丸くする。
「ひどくない?」
「褒めているよ」
「絶対ちがう」
凪は紙袋を揺らした。
「分けてやろうか?」
「いらない。玲士さんに強そうって言われたから」
「すねてんの?」
「すねてない。強いだけ」
横から紫月が低く言う。
「面倒くせぇな、お前ら」
凪は紙袋の中をもう一度見た。
「ほんとにファンじゃん」
月城が笑う。
「そんなところだ」
相沢は二人を見比べた。
「へえ」
「何だよ」
「いや。凪が差し入れもらってるなあと思って」
「見れば分かるだろ」
「分かるよ。分かるから面白い」
「相沢、黙れ」
「はいはい」
少し離れた場所からスタッフの声が飛んだ。
「凪さん、追加コメントお願いします!」
凪がそちらを見る。
「今?」
「今です!」
面倒そうに息を吐き、紙袋を紫月へ押しつける。
「これ頼む」
「俺に持たせるな」
「のど飴守っとけ」
「何で俺が」
月城が小さく笑った。
凪はスタッフの方へ数歩進んだところで足を止め、振り返る。
「おじさん」
「うん?」
「次、来るならもっと前で見ろよ。後ろだと音、逃げる」
月城の目が少し細くなった。
「分かった」
凪は軽く手を上げ、そのままスタッフのところへ向かった。
相沢が背中を見送りながら笑う。
「懐いてる」
紫月がすぐに返した。
「言うな。面倒になる」
「もう面倒じゃない?」
「かなりな」
月城は否定しなかった。
収録の熱がまだ廊下に残っている。
スタッフが機材を運び始めても、月城のスマートフォンはポケットに入ったままだった。
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