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第12話 確認だよ
アリーナの音が耳に残ったまま、数日が過ぎた。
午後のアトラボ二階。小ホール脇のリハーサルルームは扉が半分だけ開いていて、中から断続的にギターの音が漏れていた。
単音が鳴って止まり、少し置いてまた鳴る。
完成した演奏ではなく、何かを探している音だった。
廊下を歩いてきた月城玲士は、その扉の前で自然に足を止めた。
手には厚手の紙袋を下げている。中には果物と、喉にいい蜂蜜、それから海外土産の茶葉が入っていた。差し入れとしては申し分ない内容だったが、ここへ持ってきた理由までは自分でもうまく説明できない。
「入らないんですか」
背後から高澤廉の声がした。
月城は振り返らず、半分開いた扉の向こうへ耳を向けたまま答える。
「今、確認している」
「何を」
「音の状態を」
高澤は少し黙り、それから小さく息を吐いた。
「便利な言葉ですね」
「事実だよ」
中でまた音が鳴る。
さっきより低い位置だった。
弦を押さえる場所が変わったのだと、月城には分かった。
「今日は少し硬い」
「誰がです」
「凪の右手が」
高澤は持っていたタブレットを閉じた。
「もう中に入っていいと思いますよ」
月城はようやく扉を押した。
部屋にはアンプの熱と木の匂いが混ざっていた。
凪隼人は椅子に座り、足元にエフェクターを並べている。相沢涼は床へ座り、ペットボトルを片手で転がしていた。
先に気づいたのは相沢だった。
「お、玲士さん」
凪も顔を上げる。
「何しに来た」
月城は紙袋を少し持ち上げた。
「差し入れ」
「それだけ?」
「確認だよ」
「何を」
「色々」
相沢がすぐに笑う。
「嘘だね」
「君は失礼だな」
凪はギターを持ち直し、月城を見る。
「聴きたいだけだろ」
月城は少し間を置いた。
「……否定はしない」
相沢が声を立てて笑った。
「素直になってる」
高澤は壁際に立ったまま、何も言わずに見ていた。
凪がアンプのスイッチを入れ、軽くコードを鳴らす。
部屋の空気が揺れた。
会場で聴いた音とは違う。
指が弦を擦る音も、ピックが当たる硬さも、アンプが返す低音も近い。まだ何も整えられていない、剥き出しの音だった。
月城は無意識に一歩前へ出た。
凪が見る。
「近い」
「すまない」
月城が一歩下がると、相沢が肩を震わせた。
「だめだこの人」
「笑うところかい」
「かなり」
凪は少し考え、アンプの角度を変えた。
正面へ抜ける音が少し変わる。
「ほら」
「……何だい」
「聴きやすい位置」
月城は何も言わなかった。
高澤はタブレットへ視線を落としたが、画面を開き直すことはしない。
凪はそのままギターへ手を戻した。
「確認しに来たんだろ」
「……そうだったね」
もう一度、音が鳴る。
今度は少し柔らかかった。
さっきまで硬かった右手が、ほどけている。
月城は小さく息を吐いた。
「戻った」
「何が」
「右手だよ」
凪は眉を寄せる。
「細けぇな」
「耳のいいおじさんなので」
相沢が吹き出した。
「自分で言った」
「君たちがそう呼ぶからだ」
凪は笑いながら、次のフレーズを弾いた。
短い旋律は途中で止まる。
月城は何も言わず、その続きを待った。
凪がすぐに顔を上げた。
「まだだよ」
「分かっている」
「顔が待ってた」
相沢がまた笑う。
「玲士さん、もう客席戻れないね」
月城は少し考えた。
「……かもしれない」
部屋が静かになる。
その間へ、凪が次の音を置いた。
近くで聴くと、音の逃げる場所がない。
月城はいつもの癖でスマートフォンを取り出した。
画面には通知がいくつも並んでいる。
しばらく見てから、そのまま閉じた。
凪が言う。
「仕事は」
「今、休憩中だ」
「嘘つけ」
「確認中だよ」
今度は凪が笑った。
月城はスマートフォンをポケットへ戻し、さっき止まったフレーズの続きを待った。
凪は何も言わず、もう一度ギターへ指を置いた。
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