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第16話 別にいいけど
アトラボ三階の作業フロアは、夜になってもまだ灯りが落ちていなかった。
残っている人たちはそれぞれの机へ向かい、モニターの光とキーボードの音だけが静かに続いている。
凪隼人はその一角で、ヘッドホンを首へ掛けたまま画面を見ていた。
月城玲士が海外へ発ってから、四日目だった。
数えるつもりはなかったのに、その数字だけは頭に残っている。
モニターには、開発中ゲームのステージ映像が流れていた。
雨の港町をプレイヤーが歩いている。石畳を踏むたびに水たまりが揺れ、路地へ入ると遠くの汽笛が薄く混じった。
凪は波の環境音を少し削り、足音へ金属の響きを足した。
再生すると、キャラクターが石畳を歩き、立ち止まり、また進む。
凪は途中で止めた。
「……違う」
保存せずに閉じ、別のパターンを開く。
今度は雨粒を細かくし、低い風を奥へ流した。
もう一度再生する。
数歩進んだところで、また止めた。
「違ぇな」
椅子へ背を預け、首を回す。
感覚はあるのに、そこへ音が合わない。
近くのデスクで資料を見ていた高澤廉が、画面へ視線だけ向けた。
「進んでないな」
「うるせぇ」
凪はマウスを指先で転がした。
しばらくして、何でもない声で聞く。
「……そっち、連絡あった?」
「月城さんか」
凪が眉を寄せる。
「誰も名前言ってねぇ」
「分かる」
「何だよ」
「別に」
高澤はそれ以上追わず、資料へ戻った。
「向こうはまだ押してるらしい」
凪の手が少し止まった。
「……ふーん」
画面へ向き直り、また港町を再生する。
雨も、足音も、風も、少しずつ気に入らないままだった。
しばらくして、相沢涼が紙コップを片手にやってきた。
「終わってる顔してる」
「してねぇ」
「耳合ってない日?」
凪は答えなかった。
相沢はモニターを覗き込み、そのまましばらく音を聞いた。
「港町のやつか」
画面の中でキャラクターが歩き、足音のあとを風が抜ける。
相沢が言う。
「音、綺麗すぎる」
凪が顔を上げた。
「は?」
「この街、今誰も困ってないじゃん」
少し黙ったあと、凪は舌打ちした。
「……むかつく」
「当たってた?」
「うるせぇ」
ファイルを保存し、立ち上がる。
ギターケースを掴むと、高澤が顔を上げた。
「どこ行く」
「屋上」
「逃げるな」
「整えに行くだけだ」
相沢が笑う。
「猫が機嫌直しに日向ぼっこ行く時の顔だ」
「黙れ」
屋上へ出ると、夜風がそのまま身体を抜けた。
庭園の植栽がゆっくり揺れ、足元の小径には控えめな照明が落ちている。その向こうには、東京の灯りが遠くまで続いていた。
凪はいつものベンチへ座り、ギターを取り出した。
生音で一音だけ鳴らす。
少し硬い。
もう一度、今度は長く伸ばす。
何度か弦へ触れているうちに、肩の力が少し抜けた。
「……来る時は勝手に来んのに」
誰に向けるでもなく言い、コードを鳴らす。
まだ少し荒い。
そのまま、鼻歌のように言葉を乗せた。
「確認だとか
理由つけて来てさ」
コードを変える。
「来ねぇなら来ねぇで
静かすぎんだろ」
そこまで歌って、自分で笑った。
「何だこれ」
風が植え込みを揺らし、葉の擦れる音が重なる。
凪はもう一度弦へ指を置いた。
今度はさっきより柔らかい。
港町の雨へ、少しだけ寂しさを混ぜられそうな音だった。
ベンチに置いたスマートフォンが震える。
凪は何気なく手を伸ばした。
画面に出た名前を見て、指が止まる。
月城玲士。
届いていたメッセージは短かった。
《確認が長引いた》
《明日、寄る》
凪はしばらく画面を見たあと、鼻で笑った。
「確認って何だよ」
返信欄を開く。
一度閉じ、また開く。
少し考えてから打った。
《別にいいけど》
続けて、
《仕事しろよ》
すぐに既読がついた。
《君は厳しいね》
少し置いて、
《しているよ》
凪が吹き出した。
誰もいない屋上に、小さく笑い声が落ちる。
「分かってるっつの」
スマートフォンを隣へ置き、もう一度ギターを構えた。
さっき止まっていたコードの続きを鳴らす。
港町の雨は、少しだけ先へ進めそうだった。
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