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第17話 なんか変わった
午後のアトラボ三階には、外の明るさとは違う仕事の光が満ちていた。
モニターが並ぶ作業フロアでは、キーボードの打鍵音と遠くの電話の声が途切れず続いている。凪隼人は窓際のデスクで、ゲーム用サウンドの最終調整をしていた。
画面には、雨上がりの港町が映っている。
濡れた石畳に水滴が落ち、遠くで汽笛が鳴る。店先の看板が風に揺れる音も、前よりずっと馴染んでいた。
それでも、最後の一音だけが決まらない。
保存して、開き直す。
少し聴いて閉じ、また再生する。
「……うるせぇ」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
フロア入口のガラス扉が開く。
凪は反射的に顔を上げた。
入ってきたのは別の社員だった。
何も言わず画面へ戻ると、向かいの席から相沢涼がこちらを見ている。
「待ってんの?」
「黙れ」
「図星じゃん」
「違ぇよ」
少し離れた席で、高澤廉が資料を見たまま言った。
「素直に仕事しろ」
「してる」
「してない顔だ」
凪はヘッドホンを机へ置いた。
もう一度ガラス扉が開いた。
今度は黒いジャケットに細いネクタイの男が入ってくる。
月城玲士だった。
凪の手が止まる。
五日ぶりだった。
月城は出張帰りとは思えない足取りでフロアを進み、こちらに気づくと小さく手を上げた。
「ただいま」
相沢が吹き出す。
「ここ家じゃないよ」
高澤は資料へ視線を戻したまま言う。
「お疲れさまです」
凪は椅子へ身体を預けたまま月城を見た。
「……生きてたんだ」
月城が笑う。
「物騒な確認だね」
「最近、静かだったから」
言ってから、凪は少しだけ眉を寄せた。
月城は何も拾わず、そのままデスクの横まで来る。
近づくと、いつもと少し違う香りがした。
乾いたホテルの空気みたいな匂いが、スーツに薄く残っている。
凪は月城を見上げた。
「なんか変わったな」
「そうかな」
「向こうの空気、まだ残ってる」
相沢が顔を上げた。
高澤の指も一度止まる。
月城は少し考えてから答えた。
「そうかもしれない」
凪はもう一度、月城の肩のあたりを見る。
「へえ」
「ちゃんと筋トレは続けていたよ」
相沢が何か言いかけて、やめた。
凪はしばらく月城を見たあと、画面へ視線を戻す。
「調子乗んな」
「褒め言葉かな」
「違ぇよ」
月城は笑いながら、凪のモニターへ目を向けた。
「進んだね」
雨上がりの路地を、キャラクターが歩いている。
看板が揺れ、遠くで汽笛が鳴る。
月城はしばらく黙って聴いていた。
「寂しくなった」
凪が顔を上げる。
「何が」
「街が」
短い言葉だった。
凪はすぐにマウスを握り直した。
音源をひとつ開き、店の奥に小さな笑い声を足す。
もう一度再生する。
人の姿は映っていないのに、さっきより街に気配が残った。
月城が頷く。
「今の方がいい」
「最初から分かってた」
「嘘だね」
「うるせぇ」
相沢が横から言った。
「ねえ、二人で世界作るのやめてくれる?」
高澤が資料を閉じる。
「騒ぐな」
月城はモニターから凪へ視線を戻した。
「今夜、空いてるかい」
凪はすぐには答えなかった。
画面の中では、雨上がりの港町をキャラクターが歩き続けている。
「内容次第」
「食事」
「どこ」
「近いところ」
「ならいい」
相沢が笑いながら立ち上がった。
「ねえ、今の距離、名前つける?」
「つけない」
凪と月城の声が重なった。
二人とも、そこで一度だけ相手を見る。
相沢は何も言わず、高澤の机の方へ歩いていった。
凪はモニターへ戻り、さっき足した笑い声をもう一度再生した。
今度は消さなかった。
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